第3話

 夕方、庭の草掃除をしている時にイェルダからお遣いを頼まれた。町に言ってソーセージを買ってから、イェルダの家に行って夕食分のパンを取ってきてほしいということだった。翼の生えた少女は散歩から帰ってから眠そうだったのでベッドに降ろしたらそのまま眠ってしまった。もう少し、昨日からの疲労について考えてみるべきだった、今更反省している。イェルダは食後の散歩は身体にいいと言ってくれた。

 町は、家の裏手側に浅い谷を降りて行った所にある。緩やかに繋がる稜線を眺めながら坂を下ると、谷の溝に沿って流れる小川に寄り集まるように出来上がった縦長気味の集落の外観が、もうすぐ暮れる日の弱まるに従って点けられるランプの灯りによって、蛍の光のように温くてザラザラした輪郭を帯びていく。そうして谷を降りる程にそれは大きく大雑把になって行って、次第に広がる暗がりの隙間に潜り込む。

 肉屋は店の集まる中央街道の比較的開けた外郭寄りに看板を構えている。朝早くに来ると、獲れたての豚や羊や偶に牛を積んだ2頭引きの馬車がパカパカと街道の石畳を踏んでいるのが見られる。この町の肉屋は日曜日にも休まないから、教会がパンを配る週に急いで町に降りると目にする事ができる。荷馬車の上で蝿がたかっていた生き物が、夕食に出されるソーセージになるなんて自分は未だに信じられない。しかし、そんな生々しい、美味しい食事には似つかわしくない僕の不安は、この次第に強くなる燻煙の香りと、大鍋から立ち昇る湯気に混ざった香草類の香りのせいで、店の前に立つ頃にはすっかり忘れ去られているのだ。


 店に入ると、いつもどおり、大鍋を覗き込む大きな背中のエプロン姿と、その巨体からは一回り小さいながら、また背の高い店主の奥さんがこちらを向いて笑顔でいた。

 「あら!ルインいらっしゃい!」

 店主の大男がその声を聞いて初めて振り返った。巨体の迫力に輪をかけるようにゴツゴツとした顔が真っ黒な瞳で視線を真っ直ぐぶつけてきて、大抵の場合、その日聞く一番の大声はこのすぐあとに飛んでくる。

 「ヨォ!ルイン!旨いポークあるぞ!!」

 「イェルダからはソーセージを買えって言われて来ました。」

 「今日のソーセージはハーブを多めに練り込んであるのよ。スープで煮ると絶対に美味しいわ。」

 「じゃあ、それ下さい。」

 「オマケしたる!!ちょっとな!!」

 「ありがとうございます。」

 「ふふ。今日は風が強かっでしょう。」

 「はい。昨日から強かったです。でも今日は暖かかったです。」

 「そうだろうね。」

 「ソウダソウダ!」

 「イェルダはどんな感じだったい?」

 「イェルダ?いつも通りだけど・・・。まぁ、ちょっと忙しそうかな。」

 「そうかいそうかい。」

 「イツモノコトダ!!」

 「うん。」

 「はいよ。これ。いっぱい食べなさいね!」

 「ありがとう。」

 「・・・最近、背が伸びて来たわね。」

 「そうかな。」

 「イッパイ食えよ!!」

 「うん、ありがとう。それじゃあ。」

 「毎度~!」

 「・・・ルイン!暗いカら気を付けろヨ!」

 「はい。」


 すっかり日も暮れてきた。肉屋を出て少し歩く頃には町からも出てしまって、光と言えるものは、山の向こうに隠れた太陽が作る夕焼けのグラデーションの端っこと反対側の空に浮かぶ月と、その周りの一際明るい星程度だ。急いでイェルダの家に行かないと・・・。


 草原に浮かぶランプの灯りに気付くのはそう難しい事ではなかった。月夜に照らされた背の低い草原の無数の白い影が茂む中に、小島が浮かんだようなオレンジ色のランプの光があるのだから。

 「君はこの辺の町の子供かい!?」

 小島の中央には男が立っていた。具合の悪そうなガラガラ声なのに、地の高めな声がよく通った感じの鋭さがある声。

 「うん。」

 「すまない。この暗闇の中で道に迷ってしまったようでね。町へ案内してくれないかな。」

 「・・・案内って、すぐ目の前にあるじゃないか。」

 「目の前!?・・・あぁ、そうか!これは済まない!ハハ!目の前ってのは・・・」

 「おじさん目が見えてないの?坂の下に町の入口があるじゃない。」

 「あぁ、あぁ!そうだね!ハハハ!いやぁ、前髪がかかって見えてなかったみたいだ。」

 変な理由。

 「町は川を挟んで広がっていて、町の入口は坂を下った所にある橋を渡るとあるよ。橋以外の所は小川が流れているから、落ちないように気を付けてね。」

 「あぁ、ありがとう。」

 「うん。気を付けてね。・・・じゃ。」

 なんだか少し気味が悪い。町には宿屋もあるし旅人が来ない事も無いけれど、なんだかこの人は、ただの浮浪者にしては快闊だし、職業人にしてはちゃらんぽらんな感じだ。お話の中で読み聞かされた、古風な放浪騎士たちを思い出す。

 「・・・ねぇ、君。」

 「なに?」

 「君は町の住人じゃ無いの?」

 「うん。僕は丘の上に住んでる。」

 「牧場の子供かい?」

 「・・・昔は山羊を飼ってたらしいけど、今はいない。」

 「・・・そうか。どうも親切にありがとう!夜道にはお気を付けて。こわ~いお化けが出るかもしれないからね!ハハハ!」

 「・・・気を付けるよ。・・・じゃ!」

 今一番、お化けよりも不気味な男から、もう声をかけられないように、一目散に丘を駆け上がった。

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