記録9:サイボーグ①

歴史(フィクション)解説 ジュネーブ国連ビル占拠事件


第三次世界大戦に於いて、欧州は完全に蚊帳の外であったが、難民を受け入れるべきと訴える組織による散発的な暴動は発生した。その暴動にロシアが支援したため、組織はやがて強大化し、大きな戦闘に発展した。それが、ジュネーブ国連ビル占拠事件である。

中立国スイスで発生したこの事件には国連軍が派遣され主にヨーロッパの兵士が包囲、殲滅をしていた。

しかし、取られた人質の中には戦争中の国家の大使も混じっており、下手に軍隊を動かしてこれらを死亡させた場合の欧州情勢の悪化は避けられないと考えたEUは、特別突入隊を組織し、排気ダクトから拳銃一丁で秘密裏に潜入し、わずか数分で人質を解放した。別名ヨーロッパ危機とも呼ばれるこの事件は、欧州におけるヨーロッパ・ナショナリズム(※)のさらなる発展を助長したのであった。


※ヨーロッパ・ナショナリズム…どんな手段を用いてでもヨーロッパ諸国でまとまり一つの国家を形成することで外部からの脅威の一切を排除し、ヨーロッパ諸国のみで発展していくべきであるという考え方。

(欧州バージョン大東亜共栄圏)



意識が収束する。

戻ってきたのか?あの傷で?まあ、良い。死に際に潔く逝こうとしなかった僕の往生際の悪さの結果だ。

多分僕だけが生き残ったんだろう。ムルには、数十年待たせることになるな。


胸の奥が、チクリと傷んだ。

僕は彼女に心のなかで謝罪して、自分の体の感覚を確かめた。


四肢は繋がっている。腹部の穴も塞がっている。五体満足だ。


だが、何だこの感覚?体が、少し圧縮されてる?というか...一回りちっちゃくなってるのか?しかも、何だこの...変な感じ。よく分からないが、自分の体の一部が足りない気がする。


思考を巡らせた。何度も生を実感しては、ムルに先に逝かせてしまったという罪悪感に押しつぶされそうになった。


気づけば、まぶた越しに、光が入ってきていることに気づいた。

少しだけ、音も聞こえている。

中峰と...誰だっけ?えっと...日本版ハイドリヒみたいな人で...ああ、そうだそうだ。天菊だっけ。


僕はゆっくりと目を開いた。急に入ってくる光が強く、まずは周りの人間にさとられないように、目を細めたまま、ゆっくりと辺りを見渡した。

ここは病院で間違いないようだ。


もう一度目を閉じて、前進の感覚がはっきりするまで待った。おおよそ二十分くらいかかった気がしたが、まだ二人は喋っている。何を言っているかまではよく聞こえなかったが『サイボーグ』というキーワードが何度も聞こえてきた。

恐らく、僕の一部を機械で代替しているのだろう。


点滴の液体が体に入ってくる感覚まで感じることができた所で、僕は一気に目を開いた。蛍光灯の光に目がくらみ、数秒だけ目が慣れなかった。何度か瞬きをしてようやく普通の視界に戻ってきた。


ん?なんか、やけに視力が良くなったような。

起き上がってみると、窓に僕の姿が写った。二人共、僕に気づいて僕に何かを言っていたが、僕はその言葉が一切入ってこなかった。


窓に、僕は居なかった。居るのは、ムル?でも、僕だ。写っているのは、ムル。僕か?いや、僕じゃない。だが僕はここに居る。なんで?なんでなんでなんで―――


「山原君。落ち着きなさい。ちょっと、本当に精神安定剤投与したの?」

「は、はい、しかし、こんなの、やっぱり体が持ちませんよ。いつ脳がショートを起こしてもおかしくはありませんよ。何しろ、脳髄を入れ替えてる―――」


僕はその言葉に振り向き、医師に向かって叫んだ。


「何だと!?お前!もう一度言ってみろ!」


すると、医師は以上に驚き、腰を抜かしながら後ずさった。まるで幽霊を見たかのように顔を青ざめさせて、過呼吸になって使い物にならなくなったので、中峰はため息をついて言った。


「貴方の脳髄と貴方と一緒に居たムルちゃんの脳髄を入れ替えたの。世界で公式成功例が二件しか無い手術だから、それも合衆国の技術だし...それで、どう?動けそう?」


僕は震える腕をもう片方の腕で抑えて、呟いた。


「気持ち悪い...!」


腹の中から込み上げてきたものを吐き出そうとしたが、何も飲み食いしていないせいで何も出てこない。嗚咽だけを繰り返して、咳き込んでいると、中峰が僕を抱きしめて泣きながら囁いた。


「ごめんなさい!貴方を救うには、これしか無くって」


僕は、この手術をさせて人間が中峰だと分かり、彼女を突き飛ばして怒鳴った。


「じゃあ、ムルは!?ムルはどうなったんだ!殺したってのか!ああ、そうだろうさ!殺したんだろ!僕の肉体は損傷が激しすぎて、ムルの脳髄は数日も持たないんだろ!?何ならもう死んだか!?」


僕の顔は涙でグシャグシャになっていた。涙と鼻水だらけで怒鳴り散らす僕はさぞ滑稽に写っただろう。

気づけば僕はいつも拳銃を入れている左腰のホルスターの一に手を伸ばしていて、そこで初めて我に返った。


震えながら深呼吸をして病院の布団で顔を拭いた。

暫くしてから落ち着いて、中峰の方を睨んだ。彼女は俯いて、とても暗い顔をしていた。


彼女が僕の目の前で喉をかききって死ぬくらいの言葉を吐いてやりたかったが、理性を取り戻し始めていた僕はベッドを一度拳で突く程度に収めた。


「それでは、私は退出いたしますね。ああ、山原君。いや、ムルさんかな?まあ、どちらにせよ貴方がたは死んだことになっているので新しい偽名を考えておいてくださいね。できれば本名もお願いします」


そう言って天菊は退出してしまった。医師もその後を追って素早く退出したせいで、室内には異常に重い空気が流れた。僕が彼女を睨みつけ、彼女は俯いたまま喋らない。僕は自分の体を少し動かして一人で歩けることを確認すると、彼女に言った。


「僕...いや、私は名前を考えるので少し外に行きます。着いてこないで下さいね」

「分かったわ。待ってる」


点滴の針を全部引き抜いて、僕は中峰の横を通り過ぎて、病室を出た。それから、エレベーターに乗ってとりあえず屋上に行った。


すると、低い鉄柵に囲まれた屋上のベンチに一人、十代中盤くらいの少女がぽつんと座っていたのだ。少女はヘッドホンを付けており、静かに音楽を聞きながら本を読んでいた。

僕は近くに寄って隣りに座った。彼女の呼んでいる本のタイトルをちらりと見た。


シェイクスピアの名前も知らない本だった。随分難しい本を読んでるなと思っていると、彼女は僕を不審がって本を閉じ、ヘッドホンを外して僕を下から睨みつけて言った。


「お姉さん。どうしたの?暇なの?」


こういう時、どう言えば良いのか分からなくて、とりあえず彼女の持っている本を指差してできるだけ女性っぽく言った。


「その本、分かるの?」


すると、彼女は正面を向いて、暫くして、真顔で言った。


「わかんない」

「へ?」

「でも、読まないよりまし。だって、男の人と話さなくて良いんだもん」

「何か...あったの?」


少女は私を指さしてジト目で言った。


「お姉さんのほうが、何か会った顔してるよ。誰か大切な人を失ったみたいだね」


その言葉に、胸の奥が痛む。数回瞬きをして、私は少女に言った。


「ねえ、君、名前は?私は...山原...山雁(ヤマカリ) 明日香(アスカ)って、言うの」

「私は、境時(サカイドキ) 杏子(キョウコ)。どう?古風な名前じゃない?」

「ふふっ、そうだね」


私は彼女に微笑みかけて立ち上がった。


「もう、行くんだ」


杏子が悲しそうな声で言った。名前も決まったから、僕がここに居る理由もない。僕はまた来るねとだけ言って病室に戻った。

エレベーターに乗り私の病室のある五階に到着して、降りた時、隣のエレベーターからも人が一人降りてきた。身長が百八十以上はあるような欧州の顔立ちをした男の人で、私と目があっても、特になんの反応も示さなかったが、私と同じ病室にはいると分かった時、向こうから声をかけてきた。


「ね、お嬢さん。山原―――」

「私だ。今は山雁 明日香だ。状況を聞いてきたのか?」

「ああ、そうだ。ジャップがわざわざ欧州の俺を頼ってくるなんて、ただ事じゃないと思って一週間掛けてここに来たんだよ」

「へーって、一週間!?何があったの?」


私の戸惑いに、彼はニヤッと子供らしく笑って言った。


「途中で飛行機が中国軍に撃墜されてね。途中で脱出して、朝鮮半島まで歩いてそっから泳いできた。だから、荷物は何もない。勿論、一銭も持ってない」


彼は話し終わると同時にため息をついた。僕はとりあえず中に入ろうかと言って扉を開けた。



お読み頂きありがとう御座いました。次回もこうご期待!


次回『サイボーグ②』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る