50:本が消えたらどうするの?
番人に守護者と呼ばれて、私は言葉に詰まった。
ダンジョンの守護者として扱われると、そういつまでも子供じみた悪態をついてもいられない。
私は急いで表情を取り繕い、なるべく冷静な口調で尋ねた。
「<記憶の奔流>が記憶庫に戻る前に、どうしてもあなたの確認が必要なの?」
「はい。記憶庫の扉が確実に閉まっていないと、記憶庫に流れ込む<記憶の奔流>に乱れが生じます。だから確認をして、不十分な場合は、あなたに再度閉めてもらう事になります」
「それはいいけど。それなら、最初からあなたが閉めれば良かったのに」
「私は、記憶庫の扉に触れる事が出来ないのですよ」
「はあ? 触れる事が出来ないって、どうして」
「説明する必要も余裕もありません」
素っ気ないし、どうにも信用できない。
「……念のために聞くけど、嘘をついて騙そうとしている訳じゃないよね?」
番人は平然と答えた。
「私は嘘をついたことも騙したこともありませんよ。あなたがそう思い込んでいるだけです」
思わず睨みつけたけど、平気な顔で見返された。何の罪悪感も無いらしい。
でも今はとにかく、<記憶の奔流>をスムーズに無限の記憶庫に戻して、ダンジョンを安定させないといけないのはわかっている。
「そろそろ扉の前から動いてくれませんか。もうすぐダンジョン内の<記憶の奔流>の流れが変わります」
私は文句を飲み込んで、黙って無限の記憶庫の扉前から離れた。
なるべく足を引きずらないようにして、意識を失っている深海魚の所に行く。
さっきの番人が深海魚の方を見た目つきがどうにも気に入らない……必要とあれば排除する? 深海魚を? 私は、私のジャケットに包まっている深海魚を胸に抱えた。
番人は、相変わらず背中で手を組んで、無限の記憶庫の扉のすぐ前に立ち、でも触れたりはせずに、じっと扉の表面を見つめている。驚いたけど、触れる事が出来ないというのは、本当のようだ。でも両手に手袋などをはめていないのが、何となく妙に思える。
紫色の瞳は、扉の向こう、もっと遠くの何かを見ているようだ。私は話しかけた。
「あなたの目、暗黒女王と同じ紫色なんだね」
無視。でもしつこく尋ねる。
「暗黒女王には散々迷惑をかけられたけど、あなたは彼女の仲間だったの?」
こちらは見ないけど、少々面倒くさそうに答えが返ってきた。
「存在は知っていますが、別に仲間ではありません」
「へえ。でも、暗黒女王はあなたに裏切られたと怒ってたよ」
「そうですか」
真面目に答える気はなさそうだけども、私は思い切って尋ねた。
「どうして、深海魚が作ったダンジョンを変化させたの?」
ようやく番人が私の方を見で無表情で答えた。
「あなたには関係の無い事です」
やっぱりそうだったんだ……! ようやく確信できた。
深海魚よりも遥かに強い力を持ち、ダンジョンを元の世界と繋げて大きく変えたのも、<裂け目>を作って暗黒迷宮とダンジョンと繋ぎ、暗黒女王にダンジョンの事を教えたのも、この番人だ。
永遠の塔を訪れた私と会った時、初めて<記憶の奔流>の事を聞いたような態度で話してたけど、でも彼はずっとダンジョンと無限の記憶庫を、永遠の塔かどこからか見ていたんだ。あの時は、変わった存在だとしか思わなかったけど。
それにしても、番人の目的は何だろう?
無限の記憶庫の扉を閉めて<記憶の奔流>を記憶庫に戻す。それ以外に何かあるような気がして仕方ない。
じっと横顔を見ていると、番人は扉の前から離れ、私の向かいの壁を背にして立った。
「確認しました。記憶庫の扉は確実に閉まっています」
にこりともしない。少しは愛想よくして欲しいもんだ。
「そう、良かった。苦労した甲斐があったな。じゃあ私は、もう上に戻っていいでしょう? <記憶の奔流>の事はあなたに任せる」
本当は、<記憶の奔流>が戻るところも見ておきたい。でも、傷ついて意識の無い深海魚をとにかく番人から遠ざけたいという気持ちが強い。
番人は、懐から前にも見た黒い小箱を取り出すと蓋を開け、中を覗き込んで人差し指でかき回しながら言った。
「あなたは私に対して質問が多く、うるさくてかないませんね。良く言えば好奇心旺盛という事ですが」
うるさくて悪かったねとムッとする私に、番人は黒い小箱の蓋を閉めると懐にしまって言った。
「もうすぐ<記憶の奔流>が記憶庫に戻ります。全てが終わるまで上への階段は見えなくしました。ああ、向こうの15階との境目も閉じましたから、あちらに呼びかけても無駄です」
はあ? 見えなくした!? 閉じた!? あまりの強引さに私はカッとなって叫んだ。
「ちょっと待ってよ、やる事が無茶苦茶身勝手すぎるわよ!」
しかし番人は無表情だ。
「あなたは守護者で扉を閉めた存在です。しっかり見届けてください」
私は急いで自分の左側を確認した。確かに、上り階段が消えてただの壁になっている。いつの間に。だけど、永遠の塔への扉はそのままだ。
「何よ。あなたが逃げ込める、こっちの扉はそのままじゃない」
私が指差しながら文句を言うと、番人はさっきと同じ事を言った。
「あなたには関係の無い事です」
言い返そうとした時、急に空気が薄くなったような気がした。
そして、周囲が暗くなり、ありとあらゆる方向から、強風が吹き出した。何だかきらきら光っているように見える。
いよいよ<記憶の奔流>が戻るんだ……!
突然、大音響の雷のような轟音が響き、15階全体がびりびりと震え風の力が強まった。凄まじい暴風だ。
私は、深海魚をしっかり抱えて座り込んだ。でも背中からも風で押されて前のめりになる。床も振動しているので、体中が揺れる。必死で耐えながら、何とか目を開けた私は目を見張った。
記憶庫の扉が消えている……!
15階の部屋中から溢れ、うねる、白色の光の太い束のように見える風が、全て無限の記憶庫に物凄い勢いで雪崩れ込んでいく。私の向かいに立っている番人は微動だにせず、無限の記憶庫の方を見ている。
雷のような轟音は何度も何度も立て続けに響き、耳がどうにかなりそうだ。
顔どころか身体中に強風がぶつかり、息がしづらくなって気が遠くなってきた。
これが深海魚が無限の記憶庫から取り出し続けた<記憶の奔流>、ダンジョンに満ちていた記憶の持つ力、無数の本を形作っていた記憶の力なのか……ダンジョンは今どんな状況なんだろう……本棚から本がどんどん消えていってるんだろうか……司書ウサギが阻止しようとして弾き飛ばされたりしてなきゃいいけど……ヴァレンティールが心配しているだろうな……。
霞む頭でぼんやりとそんな事を考えながら、私はただ、身体を丸めて床にうずくまって耐えているしかなかった。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。急に風が弱まり、轟音が止まった。
ふと気づくと、無限の記憶庫の扉が戻っている。吹き飛ばされた訳じゃないのか。
やがて風が完全に止まり、15階は静かになった。
ようやく終わったみたいだけど、耳鳴りがひどい。
何とか呼吸が出来るようになった。でもまだ息苦しく、空咳も出る。天地がぐるぐる回っていて、酔ったようで、気を抜くと正直吐きそうだ。でもずっと抱えていた深海魚は、微かにキュウゥと呟きながら眠っている。良かった。
向かいの壁前に立つ番人は、相変わらず無表情で周囲を見回している。面白くない。
壁にもたれ、目を閉じて、目まいがおさまるのを待つ。
ダンジョンの様子はどうだろうか。同じような暴風が吹いたんだろうか。司書ウサギは、本棚が空になって落ち込んでいるだろう。早く上に戻って、皆に会って事情を説明して……。
コツコツと靴音が近付き、番人が私の前にしゃがみ込んだのがわかった。気分が悪いのを我慢しながら目を開けると、番人が静かな口調で言った。
「深海魚を引き渡してください、守護者。それで全て終わりです」
紫色の瞳を光らせながら番人がそう言った瞬間、私はずっとずっと前から、いつか必ず、誰かにこう言われるのを知っていたような感覚に襲われた。そして私がどう答えるのかも。
「絶対にお断りよ」
番人の目が細くなり、口調が厳しくなった。
「あなたは、その深海魚がどれだけ危険な存在か、まだ理解していないのですね」
私も思い切り言い返した。
「危険て何がよ! 何がどう危険なのか、説明しなさいよ! 何も言わずに言う事を聞かせようなんて、あなたの方がよっぽど危険だよ! 最初から深海魚を排除とかするつもりで私に扉を閉めさせて!」
興奮したせいか、また吐き気がする。気分が悪い。
「番人。あなた、一体何が目的なのよ。何がしたかったのよ。<記憶の奔流>を戻すためにしても、ダンジョンを変化させて深海魚を悲しませて、暗黒女王を引き込んで見捨てて。でもダンジョンが崩壊するのは黙って見てた。何を考えているのかさっぱりわからないし、完全に理解不能よ」
私が永遠の塔から決死の思いで飛び降りた時、番人が手を振って見送ってくれたのを思い出す。励ましてくれているんだと思って嬉しかったのに……。
少し涙声のようになった私のヤケクソな言葉を聞いて、番人は私の顔を覗き込んだ。香のような匂いが漂い、彼は宥めるように言った。
「目的も理由も、あなたが知らなくてもいい事です。全て終わりました。知らなくても何の不都合もありませんし、知ったところで何も変わりません。あなたの希望通り、本は消えて増加は止まりダンジョンは完全に安定しました。なぜ、終わった事の理由を知りたがるのです? 守護者であるあなたのやるべき事は、私に深海魚を引き渡す事です。これでダンジョンから危険が消えるのですよ」
「……もうほっといてよ。深海魚は絶対に渡さない。危険だっていうなら、私が何とかする」
番人は私の顔をじっと見つめている。少し怪訝そうな表情だ。
「何とかする? 深海魚が利用した<記憶の奔流>を見たでしょう。深海魚はあなたや私がどうにか出来る存在ではありません。深く眠っている今が好機なのですよ」
「深海魚の考えや行動がわかりにくいのは認めるわよ。でもね、私はね、ダンジョンの皆と、深海魚も一緒にダンジョンで楽しく暮らしたいだけよ。私の事を馬鹿だって笑いなさいよ。でもそれ以上ごちゃごちゃ言うなら、私から深海魚を引っぺがせば。噛みついて大暴れしてやるけど」
怪訝そうな表情がまた無表情に戻り、番人は思いがけない事を言った。
「私は、深海魚に触れる事が出来ません。あなたに深海魚を特定の位置に連れて行くように頼む事しか出来ないのです」
触れる事が出来ない? 何それ。そういえば記憶庫の扉にも触れられないって……この世界を変えられるぐらいの力があるのに……力……。
「番人。あなた、一体何者なの」
番人の紫色の瞳が強く光ると、初めて聞く怒ったような口調で言った。
「何者? あなたが尋ねている意味では、私は何者でもありません。人間の男性の形をしているだけです」
今度は私が怪訝な表情になったのが自分でもわかった。番人は溜息をついてから言った。
「私は本質の星から作られた存在、
私はぽかんと口を開けたまま、紫色の瞳を見返した。異世界の存在だとは思ってたけど、人間じゃない?
「星から作られた守護者って……記憶庫の番人なんでしょう?」
「記憶庫の番人ですよ。守護者である私の最も重要な役割です」
「じゃあ
番人は、また溜息をつくと立ち上がった。
「本気で全てを抱え込む気なんですね。わかりました。あなたの知りたい事は全部お話ししましょう。深海魚について納得してもらうには、それ以外に方法がないようですから。歩けますか?」
「え、まあ。何とか歩けると思うけど、どこかに行くの?」
「その扉から、『永遠の塔』へ。塔は時間の流れが全く違いますから、あなたの気が済むまでお付き合いできますよ。深海魚については長い話になりますから、そこは覚悟しておいてください」
「……わかった。でも、嘘はつかないでよ」
「ダンジョンの守護者に嘘をつく必要などありませんよ」
まだ大丈夫かなという気持ちはあるけど、番人から深海魚の話はどうしても聞きたい。ここは信用しておくしかないな。
私が深海魚を抱えてよろよろと立ち上がる間に、番人は手品のように取り出した白いシルクハットを頭に乗せた。
「深海魚は、そのまま置いていってください」
「え、でも」
「深海魚は塔には入る事が出来ません。大丈夫です、当分の間は大人しく眠っていますよ」
迷ったけど、確かに怪我をしているのに違う世界に連れて行くのも心配だ。番人が触れられないなら、危険も無いだろう。もう一度、深海魚の身体をジャケットで包み直してから、無限の記憶庫の扉前の地面にそっと置く。そんな私を番人はじっと眺めているようだった。
深海魚の件が私たちの間で決着していないので、上への階段はまだ番人が復活してくれない。それはいいけど、ともかくダンジョンの様子が気になるから教えろとうるさく言うと、諦め顔で懐の黒い小箱で調べてくれた。彼によると本が消えた混乱も少しずつ落ち着いているらしい。うん、私がいなくても大丈夫だと思っておこう。
私は改めて腹をくくった。暗黒女王の話を聞いた時から、記憶庫の番人と大喧嘩をする覚悟はしていたんだ。これから先は、喧嘩じゃないかもしれないけど負けてたまるか。
「では、参りましょう。ダンジョンの守護者を招待するのですから、扉も華やかにしました」
私は番人の指差す方、永遠の塔への扉を見てびっくりした。いつの間にか、また外見が変わっている。
金色に輝く豪華な感じの一枚扉で、扉の表面には美しい彫刻。周囲の壁は、咲き誇る色とりどりのバラの花で覆われていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます