二二章 わたしが受け継ぎます

 「足元に気をつけろ! 滑りやすいからな。転ばないよう気をつけるのだぞ」

 「そこ! 段差があるぞ。気をつけろ」

 「ああ、ほら! 小石があるじゃないか。つまずいて転ばないよう気をつけろ」

 永都ながとはそう言って新妻の歩みをとめると、自ら身をかがめてノウラの足元の小石をのけた。

 ここに来るまで、万事がこの調子。一歩歩けば『気をつけろ!』、二歩歩けば『気をつけろ!』、途絶えることのない『気をつけろ!』の連発に――。

 ノウラはとうとうキレた。

 「永都ながと陛下! いい加減にしてください。わたしは幼い子どもではないのですよ。注意ぐらい自分でできます」

 「夫が妻を心配してなにが悪い!」

 ノウラはまなじりをつりあげて怒ったものだが、永都ながとはその言葉を跳ね返す防壁となったかのようにふんぞり返ってそう答えた。

 ノウラを妻として受け入れたあの日以来、永都ながとはすっかりこの調子。ノウラとの間に距離をおいて近づけないようしていたことなど忘れたように、やたらベタベタしては気にかける溺愛系の夫と化していた。

 はああ~、と、ノウラはそんな夫の態度に深いふかいため息をついた。

 「あのですね、永都ながと陛下」

 と、両手に腰をつけ、まるで生意気盛りの児童を諭す女教師のような態度で永都ながとに言う。

 「ご心配してくださるのはありがたいですよ? でも、ものには程度というものがあります。あんまりしつこくされるとありがたいのを通りこして、ウザったくなるだけです」

 「なにを言うか。お前はまだ退院したて。つい先日まで死にかけていたのだぞ。いくら心配しても足りると言うことはない。まして、ここは氷の船の船上。滑りやすくて危険だからな」

 「この霊園はきちんと土を入れられて、草も生えているではありませんか。滑る心配なんてありません」

 「生えている草に足をとられるかも知れんだろう。小石だってあちこちにある。つまずく危険は常にあるではないか。そうだ。いっそのこと、おれが背負って……」

 「永都ながと陛下!」

 ノウラはさすがにたまりかねて叫んだ。もう一度、思いきり重いため息をつく。

 ――まさか、永都ながと陛下がここまでデレるなんて。こんな過保護な性格だとは思わなかったわ。

 「そいつは、昔からそうよ。最初のうちはそっけないくせにいったん、心を許すとデレデレになるんだから」

 そう言って、天国で苦笑いしながら語りかけてくる七海なみの声が聞こえてくるようだった。

 「あのですね、永都ながと陛下」

 ノウラは両手に腰をつけたままため息交じりに言った。

 「お互いの歳を考えてください。わたしは二〇代。永都ながと陛下は七〇代。七〇代が二〇代を背負うなんておかしいでしょう」

 「なにを言うか。いまどき、七〇代などまだまだ若造。そう言って、おれにハッパをかけたのはお前だろう」

 「だからって。体が衰えていることは確かなんです。若い頃のようなわけにはいかないんですよ。永都ながと陛下こそ転ばないよう気をつけてください」

 高齢者にとって一番、怖いのは転倒することなんですから。なんでしたら、わたしの方こそ背負ってさしあげたいぐらいです。

 ノウラはため息をつきながらそう言った。

 「なにを言うか。おれはまだまだ他人の世話になる必要など……おわっ!」

 ノウラの言葉に自分の体力を誇示したくなったのだろう。永都ながとは頬をふくらませて両腕をもちあげ、胸をそらした。が――。

 悲しいかな。やはり、七〇代。張りきりすぎて頭に血がのぼったか、息がつまったか、はたまたバランスをくずしたのか、地面に倒れ込みそうになった。

 「危ない!」

 ノウラがあわてて永都ながとに抱きついた。倒れないよう必死に支えようとした。

 しかし、相手は七〇代とはいえ、決して小柄ではない男。若い頃に比べて筋肉量はさすがに落ちているがそれでもまだ、体重は七〇キロ以上ある。その重量を女の細腕、それも、お姫さま育ちのノウラの腕で支えるのは厳しい。あわてて抱きついたはいいものの、支えきれずに一緒に倒れ込みそうになってしまう。

 ――そうはいくかあっ!

 ノウラは心に叫んだ。

 この歳になって一〇代バカップルのようにお互いにもつれ合って倒れて、偶然――そんな偶然があるか! と、叫びたくなる形で――思わず唇と唇を接触させてしまったり、もっときわどくスカートのなかに頭を突っ込んだり……などと言うラブコメ展開などやっていられない。

 そもそも、一〇代ならともかく、七〇過ぎて転んで、怪我などしたらシャレにならない。病院のベッドに縛りつけられ、そのまま寝たきり生活直行である。

 そんなことにはさせられない。夫を支える妻として、夫の身は守ってみせる!

 ――どおすこ〜い!

 妻としての使命感をその胸に燃えたぎらせて、ノウラは心に叫ぶ。力士のように両足を踏ん張り、渾身の力で倒れそうになるふたつの体を支える。ドレス姿で四股を踏むかのように大股開きで膝を曲げたその格好。

 はたから見れば王妃さまにあるまじきはしたない姿だが、そんなことは気にしていられない。気合いを込めて全身の力を振りしぼり、うっちゃりよろしく永都ながとの体を振りまわし、重力に抗してその身を立たせる。

 おかげで、自分の方が倒れそうになったが、なんとか足を踏ん張り、転倒をまぬがれる。

 「ハ、ハアハアハアッ……」

 なんとか体勢を立てなおしたノウラだが、渾身の力を振りしぼったせいで息は切れぎれ、汗はビッショリ。長い髪が汗だくの額に張りついて『世界で二番目の美貌びぼう』も台なしである。

 「す、すまん……」

 さすがに永都ながとも自分の態度を反省して、頬を赤く染めてちぢこまっている。

 「……まったく。いい歳して、見栄を張る子どもみたいな真似をしないでください。子どものような回復力はないんですよ」

 「う、うむ、すまん……」

 ノウラに言われて永都ながとはますますちぢこまる。

 そんな永都ながとを見てノウラは『クスリ』と微笑んで見せた。そんな表情をするとやはり『世界で二番目の美女』――いや、ズフラが正体を失ったいまとなっては、まぎれもなく『世界一の美女』――にふさわしい、思わず見とれてしまう魅力にあふれている。

 「仕方ありません。ここは、お互いに支えあって歩くとしましょう」

 ノウラはそう言って永都ながとによりそうと、しなやかな両腕を永都ながとの腕にからめ、しっかりと抱きとめた。

 すると、永都ながとも堂々たる表情を取り戻し、まっすぐに背筋を伸ばして見せた。

 「うむ。お互いに支えあう。それでこそ、夫婦というものだな」

 そして、新婚の歳の差カップルは霊園のなかを歩いていった。


 そこは、氷の船の船上に作られた霊園。

 地球回遊国家に生き、地球回遊国家に死んだ人々が文字通り骨を埋めた場所。氷の船の上で、そこだけは土が盛られ、草が生え、木が生い茂っている。花が咲き、チョウが舞い、ミツバチが飛んでいる。

 そのなかで、ノウラと永都ながとはよりそいながら、ひとつの墓石の前でたたずんでいた。

 ふたりとも静かに墓石を見つめていたが、その表情は神妙と言うには愛おしさと懐かしさとが含まれすぎていた。

 ふたりの見つめる墓石。そこにはただ一言、

 ――我が妻、七海なみ。ここに眠る。

 とだけ、あった。

 「七海なみ

 と、永都ながとは亡き妻に向かって語りかけた。まるで、まぎれもなくいま、この場にその当人がいるかのように。いや、実際に永都ながとにとっては、七海なみはいま、この場にいるのだ。長年、苦楽を共にした夫として、いつでも妻の魂にふれることができた。

 「おれは、このノウラを妻として迎えた。だが、七海なみのことを忘れたわけではないぞ。このノウラはおれとお前、ふたりの妻なのだからな」

 「はい」

 と、ノウラも永都ながとの言葉にうなずいた。永都ながとと同じように、その人が目の前にいるかのように語りかける。

 「わたしは幼い頃からずっと、おふたりに恋してきました。永都ながと陛下と七海なみ殿下のご夫婦に。ですから、わたしはおふたりの妻となります。ご夫婦の妻として、わたしはあなた方の思いを受け継ぎます」

 ふたりはそれぞれに七海なみに断りを入れた。そのとき、墓石の上にふたりをけしかけるような威勢のいい七海なみの笑顔が浮かんだような気がしたのは、単なるふたりの思い込みだったろうか。

 ふたりは七海なみへの報告をすませ、互いに向きなおった。永都ながとがこれ以上ないほどに真摯しんしな目を五〇以上も年下の妻に向けた。

 「ノウラ。夫婦となる上でこれだけは約束してほしい」

 「なんでしょう?」

 「おれが将来、認知症になったり、寝たきりになったりしたら、そのときはためらわずに殺してくれ。なにもできない役立たずとなって、お前に苦労をかけることだけはしたくないんだ」

 真摯しんしななかに哀しみを込めたその表情。妻と同じ時を生きられない、どうしようもない年齢の差。その差を背負った夫として、最大限の誠意の言葉。しかし――。

 ノウラは永都ながとに対し、ニッコリ微笑むと言いきった。

 「いやです」

 「ノウラ!」

 「永都ながと陛下。あなたは地球回遊国家の国民に対し、『役立たずは死ね!』と命令したいのですか?」

 「なに?」

 「国王であるあなたが『役立たずになったから死ぬ』などとおおせられては、国民もそうするしかないではありませんか。地球回遊国家の国民が『自分はもう誰の役にも立てないから死ぬ』と自殺したり、『役立たずは死ぬべきだ』などと言って殺してまわる。そんな未来をお望みなのですか?」

 「あ、いや、それは……」

 永都ながとはさすがに答えにきゅうした。ノウラに対する言葉は永都ながとなりの最大限の誠意であり、本心だった。しかし、それがあくまでも自分ひとりのためのものであり、国民のことまでは考えていなかったことに気づかされたのだ。

 「……そんな未来を望むわけではないが」

 「そうでしょう? わたしも、そんな世界は望みません。ですから、永都ながと陛下。あなたには認知症になろうが、寝たきりになろうが、役立たずとして生きつづけていただきます。役立たずが役立たずとして堂々と生きていける。そんな未来のために」

 そう言われて――。

 永都ながとは一瞬、あっけにとられた表情になった。それから、後ろに倒れてしまうのではないかと心配になるぐらいそっくりかえって笑い声を立てた。

 こんな爽快な笑い声を立てたのは、生まれてはじめてかも知れない。

 そう思う笑いだった。

 「わははははっ! よかろう! そういうことならこの永都ながと、役立たずとなって堂々と生きてやるわい。この命が尽きるまでな!」

 「はい。その意気です。ああ、ご心配なく。わたしは『夫の面倒は自分でみる!』なんて言い張るほど、けなげではありませんから。そのときまでにちゃんと、国をあげての介護体制を作りあげて楽しますから。共倒れになったりはしませんよ」

 『いけしゃあしゃあ』という言葉の見本のような表情でそう言ってのけるノウラに対し、永都ながとは満足げにうなずいて見せた。

 「うむ。それでこそ、おれの妻だ。楽こそ正義。お互い、楽して暮らせる世界を作りあげようではないか」

 「はい」

 と、ノウラはうなずいた。それが『自分たちが苦労して、他人が楽して暮らせる世界を作る』という意味であることは、ふたりとも重々、承知していた。


 そして、ふたりは王宮へと帰ってきた。霊園のなかを歩いていたときと同様、しっかりと腕を組み、お互いにその身を支えあって。

 そのふたりを侍従長のゾマスが迎えた。ゾマスはうやうやしく頭をさげると、ふたりに言った。

 「お帰りなさいませ。永都ながと陛下。ノウラ殿下。準備が整いましてございます」

 その言葉に――。

 ノウラと永都ながとはニヤリと笑って見せた。

 そこにいたのはそれまでの、歳の差はあれど仲の良い普通の夫婦などではなかった。危険な、あまりにも危険な策謀家たちだった。

 「いよいよだな」

 「はい」

 「我が妻を殺しかけたものに……」

 「我が夫を殺そうとしたものに……」

 ふたりは危険な笑みを浮かべたまま、声をそろえて言った。

 「血の制裁を!」

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