二三章 血の制裁
「なんだ、なにがいったい、どうなっておるのだ⁉」
「わ、私にもわかりません……。突然、軍が我々に向かって攻撃してきて……」
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な! 我が国の軍が国王たる余に向かって攻撃するなど、そんな馬鹿なことがあってたまるか!」
ナフード王国国王アブドゥル・ラティフは顔面を蒼白にして叫んだ。
世にこれほど愚かしい叫びもなかっただろう。現に、国軍の攻撃を受けているというのにその現実を否定する叫びをあげたのだから。
場所はナフード王国の王宮。雷鳴のごとく高く、大きく、間断なく鳴り響くものは砲撃音。
無数の隕石が落ちてきたかのようにグラグラと揺れるは白亜の王宮。
揺れて、落ちて、床にぶつかって破損するのは、オイルマネーにあかせて世界中からかき集めた高名な美術品の数々。
間断ない砲撃によって王宮が破壊され、壁と言わず、天井と言わず次々と崩れ落ちる。その崩壊に巻き込まれて、失われれば二度と帰らぬ歴史的な美術品が次々と破壊されているのだ。美術品の収集家たちが見れば、
「人間はどうでもいいから、美術品だけは助け出してくれ!」
そう叫ばずにはいられない光景だが、当事者たるふたり、国王アブドゥル・ラティフとその娘婿である内務大臣アブドゥル・アルバルにとってはもちろん、それどころではない。
しょせん、数々の美術品など金持ちの証としてかき集めただけで興味ひとつありはしない。興味という点なら王宮内に山と積まれたジャパニメーションの円盤の方がよっぽど大事だ。
その円盤のことさえ、いまやふたりの頭のなかにはない。気になるのはただひとつ、自分自身の運命だけである。
まったく、信じられないことだった。
なにが起きたのか、ふたりともまるでわかっていなかった。
ある日突然、それまで忠実に命令に従っていた軍が
そんなことがあり得るはずはなかった。すべての国軍はつい先日まで自分たちの忠実な道具として命令に従っていたではないか。各地に派遣され、王家に楯突く身の程知らずの民衆やら、生意気にも武装した反王家勢力やらの掃討に尽力していたではないか。
それがある日突然、現場の将軍たちが一斉に王家から離反した。勝手に民衆と戦うのをやめ、あろうことか武装勢力と手を組んで王宮めがけて進軍しはじめたのだ。それも、各地に派遣されていたすべての軍が一斉に。
国王アブドゥル・ラティフのもとに残ったのは王宮を守備する近衛兵団だけだった。この近衛兵団は王家と古くからのつながりのある部族の子弟によって構成されており、アブドゥル・ラティフは隊員たちの父や祖父はもちろん、家族一人ひとりのことまで『よおく』知っていた。
それがなにを意味するか。
もちろん、隊員たちは知り尽くしている。だからこそ、国王としてもっとも信頼していた。オイルマネーにあかせて買い集めた最新の装備を与え、破格の待遇を与え、貧民などには一生かけても稼げないだけの金を一月分の給料として支払っていた。
その状況でいったい誰が裏切るというのか。近衛兵団こそはまさに、代々の国王が育成してきた最後の壁。決して砕けぬ王家への門。この近衛兵団がいる限り、なにがあろうと国王一族の身命は守られるはずだった。ところが――。
破格の待遇も、異次元の給与も、本当の意味での忠誠心を
いくら、家族を事実上の人質として捕えられているといっても、当のアブドゥル・ラティフ自身が失脚するなら危害を加えられる恐れはない。もはや、戦況が明白である以上、形ばかりの主君を捨てるのにためらいなどない、と言うわけだ。
かくして、近衛兵団は投降した。最新鋭の武器を捨て、両手をあげて、見た目ばかりは立派な制服に身を包んだ隊員たちは、訓練不足と酒と肉の食い過ぎでぶよぶよになった腹を波打たせながら次々と反逆者に下ったのだ。
それは、まさに一瞬の出来事。各地から迫ってきた国軍の戦車が、王宮から目に見える位置まで来てから一日と立たないうちのことだった。
もはや、国軍と国王の間を遮る壁はなく、すべての門は開け放たれた。そこからなだれ込んでくるのは『国王を捕えろ!』と叫ぶ、昨日までの忠実な兵士たち。
目端の利く閣僚やら軍の高官やらはその叫びを聞くやとっとと逃げ出し、いまや、広大な王宮にいるのは国王アブドゥル・ラティフと内務大臣アブドゥル・アルバルのふたりだけ。そして、砲撃は絶え間なくつづき、自分たちを捕えようと進んでくる兵士たちの軍靴の音が近づいている。
これほど惨めな終わりを迎えた国王も歴史上、そうはいないだろう。
将来『惨めな最後を迎えた国王たち』という題名の本が出版されることがあったなら、アブドゥル・ラティフはまちがいなく、そこに記される資格を手に入れていた。
しかし、もちろん、アブドゥル・ラティフも、そして、その娘婿たる内務大臣アブドゥル・アルバルも、そんな資格を得ても嬉しくもなんともなかった。ただただうろたえ、叫ぶばかりである。
「なんだ、いったいなにが起こったんだ! 誰か説明しろ!」
自分と娘婿以外、もはや誰もいない王宮のなかでアブドゥル・ラティフは叫ぶ。その叫びに答えるものなど誰もいないというのに。ところが――。
アブドゥル・ラティフ本人が驚いたことに、このときばかりはその声に答える声がした。しかもそれは、若く美しい女性の声。アブドゥル・ラティフがよく知る声だった。
「わたしが説明してあげるわ。アブドゥル・ラティフ」
仮にも国王たる身に対して敬称ひとつつけることなく、それどころか『人間が、ここまで他人を軽蔑できるものなのか』と思わせるほどに冷淡で、あざけりを含んだ声。その声があまりにも
そんな、最上級の皮肉の効いた声を発した相手を見て、アブドゥル・ラティフは顔面を蒼白にした。
「お、お前は……」
それ以上はもう声が出ない。
驚きと言うより、恐怖のためだった。
アブドゥル・ラティフの目の前に立ち、砂漠の月のように
そのノウラがいま、地球回遊国家の王妃としてのドレスをまとい、すでに
「久しいな」
「
事情を知るものが聞けば、これ以上ないほどの皮肉だとすぐにわかる言葉。しかし、本心から喜んでいるとしか思えない声。
そう。
「これでようやく、きさまに報いを受けさせてやれるのだからな」
国王としての風格にいたっては勝負にもならない。まさに、日がのぼる国の王と日が没するところの王のちがいだった。
「き、きさま、
「だから、わたしが説明してあげると言ったでしょう」
もう忘れたの?
と、
「わたしたちがナフード王国軍を買収したのよ」
「な、なんだと……」
「もともと、ナフード王国軍は金で雇われていただけの存在。国や王家に対する忠誠心なんていうものはない。まして、買収相手が本来の第一王女であるわたしとなれば、反逆罪を心配する必要もない。金をばらまいて『国を乱す
「な、なななな……」
アブドゥル・ラティフは呻いた。
それでも、声を出せただけまだましと言えただろう。隣に控えるアブドゥル・アルバルなど、声も出せずに顔を真っ白にして凍りついていたのだから。
「な、なぜだ、ノウラ。我が娘たるお前がなぜ、父を攻める?」
かつての自分の言葉も行為も、そのすべてを都合よく忘れて、アブドゥル・ラティフは血縁の情に頼った。砂漠の民がなによりも大切にしてきた、その伝統的な価値観に。
そんなアブドゥル・ラティフの態度を、ノウラはこれ以上ないほどの冷笑で笑いのめした。
「誰が娘? 誰が父? わたしはお前の娘などではない。わたしは
そう言ってから突然、その美しい目に純粋な怒りの稲妻がはじけた。
「アブドゥル・ラティフ! お前は我が夫、
「そして、我が妻ノウラを殺しかけた」
「その報い、受けてもらう!」
ノウラと
「あ、あれは、ズフラが勝手にやったことで……」
「そんな言い逃れが通用すると思う⁉」
あくまでも逃れようとするアブドゥル・ラティフを、ノウラは一喝した。
「さあ、覚悟しなさい。アブドゥル・ラティフ。そして、アブドゥル・アルバル。お前たちを簡単には死なさない。ズフラともども死ぬまで地下牢に幽閉してあげる。狭苦しい穴蔵に閉じ込められて、寝て食べるだけの暮らしをつづけながら老いさらばえていくのよ。でも、それだけではあんまりだから、たまには外に出して見せてあげる。わたしが国王となって新しい時代に入るナフード王国の姿をね」
「お、お前が国王だと⁉」
「そう。このわたし、ノウラこそがナフード王国の新しい王」
「その通りだ」
ノウラの堂々たる宣言に、
「我が妻ノウラは、地球回遊国家の王妃とナフード王国国王の地位を兼任することになる。おれがそれを認めた」
「ば、馬鹿な……。ナフード王国の国王はわしだ! 国王の座は誰にも渡さんぞ!」
アブドゥル・ラティフの最後の悪あがきに対して、ノウラはもはや言葉を使ってわからせようとはしなかった。ただ、事実をもって思い知らせた。
パチン。
軽やかな音を立てて、ノウラの指が鳴らされた。それを合図に機関銃を構えた兵士たちが殺到し、銃口を向けながらアブドゥル・ラティフとアブドゥル・アルバルを囲んだ。
いったい、誰が支配者で、誰が囚人なのか。
それが、一目でわかる光景だった。アブドゥル・ラティフとアブドゥル・アルバルは銃口の輪に閉じ込められて、顔を真っ白にすることしかできなかった。
そんなふたりに対し、ノウラは最後の冷笑と言葉を投げかけた。
「安心しなさい。ナフード王国はわたしが立派に繁栄させてみせる。新しい時代にふさわしい、新しい国家としてね」
そして、ふたりは兵士たちによって連行されていった。半ば、
「ともあれ、これで報いは受けさせてやれたな」
「ええ。『ざまぁ完了』というところですね」
「……つくづく、ジャパニメーションの見すぎだな」
「だが、これで君は晴れてナフード王国国王。自分のことしか頭になかった国王に邪魔されて実行できなかった改革を思う存分、進められるな」
「はい。
「なに。君自身がずっと、その思いを抱いてきたからこそだ。おれにとっても喜ばしいことだ。いままで、どんなに説得しても聞く耳をもたなかった
「嬉しいです。
「もちろんだ。残る生涯、君とともに過ごすことを改めて誓う」
その言葉に――。
ノウラは思いきり
そして、ふたりは熱烈なキスを交わしたのだった。
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