一九章 ズフラの指輪

 出席者全員による賛美歌が流れる。

 おごそかな雰囲気のなか、その歌が終わり、牧師が聖書を朗読し、神への祈りを捧げる。そして、結婚するふたりに対し、誓いの言葉を投げかける。

 「新郎永都ながと あなたはノウラを妻とし

 健やかなる時も 病める時も

 喜びの時も 悲しみの時も

 富める時も 貧しい時も

 これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い

 その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 「……はい。誓います」

 「新婦ノウラ あなたは永都ながとを夫とし

 健やかなる時も 病める時も

 喜びの時も 悲しみの時も

 富める時も 貧しい時も

 これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い

 その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 「はい。誓います」

 決まりどおりの誓いの言葉。そこにおかしなところはなにもない。

 だが、ふたりの様子をよく見、よく聞いていれば、ノウラが晴れやかな笑顔と溌剌はつらつとした声で心から誓っているのに対し、永都ながとはわずかながら表情を曇らせ、誓いの言葉のなかにも迷いがあることに気がついただろう。

 牧師もそのことに気がついたかも知れない。しかし、そのことを問題にすることはなく、手続き通りに式を進めた。

 指輪が交換され、ウエディングキスが交わされた。そのときのノウラの誇らしげな顔、そして、永都ながとの照れくさそうな顔は、共に後々まで語り継がれるものとなった。

 出席者たちの祝福のなか、牧師がふたりがここに正式に夫婦となったことを宣言する。

 その宣言を受けて出席者たちの祝福の声はいやがうえにも高まった。

 結婚証明書にサインが交わされ、牧師が式の閉会を告げる。

 そして、新郎新婦は腕を組み、バージンロードをさがっていく。出席者たちの祝福の声と拍手とに包まれながら。

 ノウラは心からの微笑みと共に永都ながとを見上げた。その微笑みを受けて永都ながとは頬を赤くして顔をそらした。七〇過ぎだというのにまるで、一〇代の少年のように初々しいその態度。ノウラは微笑みどころか大きく笑って永都ながとの腕を強く抱きしめた。そんな新婦の姿に、

 ――こんなふうに笑うのか。

 永都ながとは心のなかにそう思った。

 ノウラは美しい。

 世界で二番目の美女。

 そう呼ばれるだけのことはある美貌びぼうの持ち主。

 それは、まちがいない。しかし、それは勝ち気な美しさだ。相手に挑み、征服するような、武芸者としての美しさ。それこそ、かつての日本における武家の妻のような、そんな凜とした美しさ。いわゆる『女性的な美しさ』とはちがう。

 少なくとも、永都ながとはいままでそう思ってきた。しかし、いまのノウラはちがう。優しく微笑むその姿。愛情に満ちた笑顔。いずれも柔らかく、繊細せんさいで、女性的な美しさに満ちている。

 ――こんな面もあったのか。やはり、若い女性なんだな。

 いまさらながらにそう思う。

 その思いと共に心臓が高鳴る。本当に、こんなふうに女性を前にして胸の高鳴りを感じたのはいつ以来だろう。それこそ、高校のとき、七海なみに出会ったとき以来かも知れない。

 ――惚れなおした。

 思わずそんな感想をもってしまい、あわてて振り払う。

 もし、永都ながとがノウラと年相応の男であり、心のなかに先妻の存在がなければ、大威張りでそう思い口に出していたことだろう。

 居並ぶ出席者と諸外国の要人、そして、プレスに向かい、堂々とそう告げて『国王、大のろけ』と、一面記事のネタを贈っていたにちがいない。しかし――。

 ――おれはノウラにふさわしい歳じゃない。それに、おれには七海なみがいる。

 その思いがどうしても、永都ながとにそのことを認めさせることを拒んでいた。

 そんな後ろめたさと気恥ずかしさとで、とてもノウラの顔を見ることができない。頬を赤く染め、顔をそらしたまま、永都ながとはノウラと共にバージンロードをさがっていく。出席者たちの拍手に包まれながら。

 誰もが拍手していた。

 誰もがふたりを祝福していた。

 ただひとりの例外をのぞいて。

 ノウラがその例外に気がついたのはもちろん、偶然ではない。はっきりと注意を向けていたからだ。

 警戒していたからだ。

 ズフラ。

 世界一の美女と称されるノウラの妹。

 そのズフラだけが例外だった。美しい顔に表面ばかりは完璧な祝福の笑顔を浮かべ、拍手している。しかし、その笑顔の裏にはよこしまさが潜んでおり、拍手は振りだけ。他の出席者たちとはちがい、決して手と手を打ちあわせることはなく、打ち合わせる振りをしているだけだった。

 ――なんで、ここでそんな振りを?

 ズマラが姉の挙式に対し、心から祝福する気などないことは最初からわかっている。だからと言って、ここで拍手する振りをする必要はないはずだった。普通に拍手していればいい。そうしていれば、誰に怪しまれる危険もないものを。そして、外面を取りつくろう才能に関してはその美貌びぼうに劣らないズフラのことだ。腹のなかで舌を出しながら表面ばかりは姉を祝福する善良な妹を演じるぐらい、簡単なことのはずなのに。

 ――まあいいわ。

 ノウラは笑顔を浮かべながら拍手する振りをつづける妹の姿を見ながら思った。

 ――なにを企んでいるにせよ、今回ばかりは邪魔はさせない。いまこそ本当に、わたしの人生がはじまるときなのだから。

 ノウラはその思いを胸に、夫とともに礼拝堂を退場していった。


 式が終わり、そのままパーティーがはじまった。

 水面に浮かぶハスの花のように配置されたテーブルの上に、決して贅沢ではないが心を尽くした料理が並べられ、給仕たちがシャンパンを配って歩く。出席者たちは料理に舌鼓を打ちながら互いに親交を深め、式について感想を語り合う。

 永都ながととノウラ、新郎新婦のまわりには各国のプレスが群がり、その姿を写真におさめている。ノウラはもちろん満開の笑顔。永都ながともこのときばかりは、さすがに国王としての務めを果たして、心のなかの迷いをおいて、控えめだが心情のこもった笑みを浮かべている。

 そうやって笑顔でよりそうふたりはやはり、威厳ある王と絶世の美女。どこからどう見ても、ロイヤルカップルと呼ぶにふさわしい姿だった。

 そして、各国の要人からの挨拶。一列に並ぶ要人たちを前ににこやかな笑顔でふるまい、相手の挨拶を受け、男性であれば両手で握手を交わし、女性であればそのたおやかな手を押しいただき、手の甲に口付けを贈る。

 それを繰り返し、やがて、ズフラの番がやってきた。正直、ノウラとしてはズフラを永都ながとに近づけたくはない。もちろん、嫉妬などではなく、ズフラがなにをしてくるかわからないという警戒感からだ。

 かと言って、ノウラの生国しょうこく、それも、血統的な意味における妹の挨拶を拒むなどできるはずがない。そんなことをすれば、相手に恥をかかせたとして外交問題に発展してしまう。王族の結婚式はそのまま、各国との外交の場でもあるのだから。

 結局、ノウラは内心の警戒心を押し隠しながら、腹黒い妹が夫に近づきのを黙って見ているしかなかった。

 ズフラは永都ながとの前で王族としての完璧な礼をして見せた。ドレスをまとい、優美に一礼するズフラの姿はやはり、美しい。世界一の美女と呼ばれ、美貌びぼうにおいて、ノウラをかすませることのできる世界でただひとりの存在。そのズフラの美しさの前では永都ながとでさえ思わず『ほう……』と、感嘆の声をもらしたほどだ。

 その永都ながとの声を聞いたとき、ノウラが、

 ――思いきり、爪先を踏んづけてやりたい!

 と、思ったことを責められる人間はいないだろう、恐らく。

 ズフラが優美な仕種で右手を差し出した。指先にいたるまで完璧な美しさをもつその造形。自然物というよりは、完璧な計算のもとに作りあげられた人工物。そうとさえ言いたくなるほどに形の整った手。永都ながとは作法通りにその手を押しいただき、手の甲にキスしようとした。そのズフラの指には――。

 飾り気のない、無骨な指輪が飾られていた。

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