一八章 成婚の日

 ノウラと永都ながと

 ふたりの結婚式の日がやってきた。

 いくら、永都ながとが『ウサギ小屋』と呼ばれていた頃の日本家屋程度の居住空間で生活している庶民派の国王とはいえ、王は王。式自体は各国の要人とプレスとを招いた盛大なものだった。

 永都ながと本人はそんな大々的な結婚式など趣味ではなく、さんざん侍従長のゾマスに愚痴ったものである。

 「なにも、そんな盛大な式にすることはないだろう。身内だけで簡単にすませればいいじゃないか」

 苦虫を噛みつぶしながら言う――その態度は、新婦のはしゃぎっぷりについていけない新郎のソレそのものだった――永都ながとに対し、ゾマスはあきれ返って答えた。

 「なにをおっしゃるのです。一国のあるじともあろうお方が妃をめとるのですよ。国をあげて行わずにどうするのですか」

 国民も一緒になってお祝いすることを楽しみにしているのですよ。その期待を裏切るおつもりですか?

 そう畳みかけられて、永都ながとはますます苦虫を噛みつぶした。

 「しかし、七海なみとのときだって、数人の仲間とあげただけのささやかなものだったし……」

 永都ながとはあくまでも渋る。そこには、単に『大仰なのはきらいだ!』という思いだけではなく『自分は二三歳の娘の相手にふさわしい存在ではない……』という引け目もある。それに、七海なみに対してしてやれなかったのに……という思いも。

 ゾマスもそのことは充分に察していた。察していたからこそ、あえて力強く勧めた。

 「七海なみ殿下のときとは事情がちがいます。あのときは、地球回遊国家はまだ活動をはじめたばかりの貧乏所帯。国として認められていないばかりか、日々の生活さえままならずに、みんなで海に釣り糸を垂れていたではありませんか。

 いまはちがいます。地球回遊国家は人口一億人を超える大国家であり、国際社会からも正式な国家として承認されています。その地球回遊国家の国王の結婚式に、各国の要人を招待しないとなれば外交問題です。『自分たちをないがしろにしている!』との怒りを買い、これまで積み重ねてきた友好関係すべてが壊れることになりかねませんぞ」

 言われて、永都ながとはみたび、苦虫を噛みつぶした。

 いくら、気乗りしないとはいえ『外交問題』とまで言われては国王としての責任上、それ以上、文句をつけるわけにも行かない。

 結局、永都ながとも各国の要人とプレスを招いての盛大な式に賛同することになった。式の段取りはすべてノウラとゾマスを中心に行われて、永都ながとは終始、蚊帳の外。

 「……いったい、誰の式なんだ?」

 と、憮然ぶぜんとして呟く羽目になっていたが。

 それでも、とにかく、式は盛大に執り行われた。

 観光客用の挙式専用船を使っての海上結婚式。南洋の日差しを浴びて、潮風に吹かれ、波を蹴立てて進む氷の船での挙式。

 各国の要人にプレス、さらに、抽選に当たった一般国民を集め、楽団が楽器をかき鳴らしながら練り歩き、派手な衣装の芸人たちが踊りあかす。

 まさに、カーニバル。

 人々の装いといい、華やかさといい、そう呼ぶにふさわしい式。子どものオモチャ箱をひっくり返して、中身を世界中にぶちまけたような、底抜けな賑やかさがそこにあった。

 それは確かに、地球回遊国家の国王の挙式としてふさわしいものだった。

 その底抜けの賑やかさに包まれながら、新郎と新婦はバージンロードの前で合流した。日本人とアラブ人の結婚だが、式自体はキリスト教式、プロテスタント流である。

 国際色豊かと言えばその通りなのだろうが、やはり、違和感はぬぐえない。

 日本人である永都ながとにとっては、キリスト教式の結婚式はむしろ自然なものであるからいいとして、ノウラはナフード王国の生まれ。ナフード王国はイスラム教国であり当然、その国の王女として生まれたノウラもイスラム教徒のはず。それが、キリスト教式の結婚式というのは……。

 一応、永都ながとはその点に関してノウラに尋ねたのである。

 「君はイスラム教徒のはずだろう。キリスト教式の結婚式でいいのか?」と。

 ノウラは自信に満ちた笑みを浮かべると、堂々と言った。

 「かまいません。わたしが結婚の誓いを立てる相手は神ではなく、永都ながと陛下おひとりですから」

 神などどこの誰でもかまわない、と言うわけだ。なんとも、ノウラらしい豪快な答えだった。

 その肝の据わり方には、さすがに永都ながとも感心した。

 「なんで、生まれついてのイスラム教徒のはずなのに、ここまで奔放ほんぽうに育ったんだ?」

 という疑問は感じたが、

 「まあ、ノウラだからいいか」

 で、すんでしまうことであるし。

 ともかく、式ははじまった。

 プロテスタントの流儀に従って、牧師が結婚式の開式を宣言する。

 まずは。永都ながとがひとりで礼拝堂に入場。左右に立ち並ぶ出席者たちの視線に見守られながらバージンロードを歩いて、祭壇前に到着。その場で、新婦の入場をまつ。

 そして、新婦のノウラがやってくる。

 侍従長のゾマスにその手を引かれて。

 本来、新婦の手を引くのは父親の役目。しかし、今回、ノウラの父であるアブドゥル・ラティフは出席していない。自分の代理として『第一王女』たる娘、ズフラを派遣したのみで自身はやってきていない。ついでに言うと、ノウラ自身もいまさら、アブドゥル・ラティフを父親として扱う気などない。

 と言うわけで、侍従長のゾマスがその代理を務めることになったのだ。

 ゾマスのエスコートを受けてウエディングドレスに身を包んだノウラがバージンロードの上をしずしずと歩んでいく。その美しさに左右に並ぶ出席者のなかからため息がもれる。

 ただひとり、例外がいた。

 ノウラの妹、幼い頃からノウラのものはすべてほしがり、自分のものにしてきた妹。『世界一の美女』という称号をノウラから奪いとり、婚約者であったアブドゥル・アルバルを奪い、『第一王女』の立場までも奪った妹。

 その愛する妹が他の出席者たちに混じって自分を見ている。口元に笑みを浮かべて。他人が見れば姉の晴れ舞台を無邪気に喜ぶ姿に見えたことだろう。ズフラの擬態はそれほどに完璧だった。だが――。

 生まれた頃からずっと一緒に生きてきたノウラにははっきりとわかった。その愛らしい笑顔の裏に潜む底知れない悪意、すべてを自分のものにしてやろうというよこしまさが。

 ――永都ながと陛下まで、わたしから奪うつもり?

 ノウラは心に思った。

 それは、宣戦布告の鐘の音も同じだった。

 ――いままで、あなたがわたしから奪ったものは、わたしにとってはどうでもいいものばかりだった。名ばかりの婚約者も、第一王女の座も、わたしには必要なかった。むしろ、あなたが奪ってくれたおかげで自由になれてありがたいぐらい。だからこそ、いままではなにも言わずにいた。でも……。

 と、ノウラはバージンロードの上を歩きながら思う。

 ――永都ながと陛下は別。永都ながと陛下まで奪うつもりなら、そのときは容赦しない。

 断固たる決意を込めてそう思う。もっとも、すでにナフード王国の次期王妃の座を手に入れたズフラがそれ以上、人の婚約者をほしがるとまではさすがに考えられないのだが。

 ノウラはゾマスに手を引かれながらバージンロードの上を歩む。

 永都ながとのもとへ歩いていく。

 ニコリ、と、永都ながとを見て微笑む。

 このときばかりはノウラもズフラのことを忘れた。心からの、永都ながとへの愛を込めた笑みだった。

 ドクン、と、永都ながとの心臓が鳴った。

 世界で二番目の美貌びぼう

 世界中からそう称されてきたノウラ。そのノウラがウエディングドレスに身を包み、笑顔を向けてくる。世界中でただひとり、自分だけに向けてくるのだ。その姿を見れば永都ながとも男。

 ――きれいだ。

 反射的にそう思った。

 無意識のうちに、口に出してそう言いそうになっていた。それをとどめたのは永都ながと自身の思い。

 ――おれはノウラの夫として、ふさわしい歳ではない。それに、おれには……。

 その思いが新婦に対して言うべき言葉を言わせなかった。

 ノウラはそんな永都ながとの思いに気がついていただろうか。笑顔のままゾマスの側をはなれると、そっと永都ながとによりそった。

 心臓の高鳴りを感じながら、永都ながとは新婦とふたり、よりそって牧師に向きなおった。

 二三歳の新婦と、すでに七〇過ぎの新郎。

 歳の差、五〇以上のカップル。

 しかし、そこに違和感はなかった。王としての正装に身を包んだ永都ながとは背筋もビシッと伸び、表情は引きしまり、実年齢より二〇歳も若く見える。そこにいるのは無力な年寄りなどではない。王の威厳に満ちた、苦みばしったおとなの男だった。

 そして、ノウラ。

 世界で二番目の美貌びぼう

 そう称される美女。しかし、ウエディングドレスに身を包んだいまのノウラを見れば一〇〇人が一〇〇人、それは嘘だと思うだろう。

 ――かのこそ、世界一の美女だ。

 誰もがそう思うにちがいない。

 万人にそう思わせ、納得させるだけのその美しさ。太陽のように自らが光を放ち、輝いているとしか思えないその姿。 

 その威光はすべての理屈を越えていま、この場で繰り広げられている光景が正しいのだと、すべての人間に納得させるものだった。

 王の威厳に満ちたおとなの男と世界一の美女。

 あまりにも似つかわしいふたりによる、堂々たる結婚式だった。

 そして、礼拝堂のなかに賛美歌が流れはじめた。

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