一七章 ウェディングドレスを求めて

 「永都ながと陛下! 服を選びに行きましょう!」

 「だから、なんでいきなり寝室に入り込んでくるんだ⁉」

 今日もきょうとて、ドアを蹴破らんばかりの勢いで寝室に入ってきたノウラに対し、永都ながとは泡を食って叫んだ。ベッドの上で上半身だけ起こした格好で、パジャマ姿を見られた女子中学生のようにシーツを胸まで引っ張りあげて身を守る。

 ノウラは永都ながとのそんな防御本能にはかまわず、例によって例のごとくズカズカと律動的な歩調で近づき、シーツを引っぺがす。思わず、

 「きゃあっ!」

 とか、叫んでしまいたくなる永都ながとである。

 そんなふたりのやりとりを、侍従長のゾマスがドアの向こうの廊下から、困りながらも微笑ましく見守っている。

 「いったい、今日はなんなんだ⁉」

 永都ながとの叫びに、ノウラは揺らぐことのない毅然きぜんたる態度で答えた。

 「ですから、服を選びに行こうと言っているのです」

 「服? なんの服だ、いったい?」

 「決まっているではありませんか。わたしたちの結婚式の服です」

 「結婚式?」

 永都ながとはそう言われて、キョトンとした表情を浮かべた。そこでノウラが、

 「はああ~」

 と、大きなため息をもらしたのはいたって当然のことだったろう。いや、状況からすれば驚くぐらいに寛大な態度だったと言っていいかも知れない。よりによって、花婿たる身が結婚式のことを忘れていたのだ。花嫁の気質次第では血を見る事態に発展していたかも知れない。

 「こほん」

 と、侍従長のゾマスが、少々わざとらしく咳払いなどしながら説明した。

 「陛下。永都ながと陛下とノウラさまのご結婚式の日が迫っております。お式の準備はこちらで進めておりますが、お式でまとう衣服は御自ら選んでいただかなければなりません」

 「あ、ああ、そうか……」

 永都ながとはようやく思い出した。本人の意思ではなかったとはいえ、強引に勧められた結果として、ノウラを新しい王妃として迎えることを承知したのは事実。となれば当然、結婚式を行わないわけにはいかない。

 なんと言っても、れっきとした国王夫妻の結婚式なのだ。それは、諸外国の大使を招いての外交の一環であり、各国との友好関係を深めるための手段でもある。市井しせいのカップルのように式なしですませる、などというわけにはいかないのだ。

 その結婚式の日取りか迫っており、そのために式で着る衣服を選ばなければならない、と言うわけだ。

 「しかし、それなら出来合いの服を適当に……」

 永都ながとはそう言ったが、たちまち花嫁と侍従長、双方からの猛反撃を受けてしまった。

 「なにをおっしゃっているのです! 一生に一度の女の晴れ舞台、出来合いの服ですませろと言うのですか⁉ それが、夫の言うことですか⁉」

 「陛下。はっきり申しあげますが、ノウラさまとのご結婚は政略結婚。すなわち、公務の一環です。である以上、最低限の形式は整えていただかなくてはなりません」

 私人としての立場と公人としての責任。

 その双方からの連続攻撃。どちらも、あまりにもっともな言い分だったので永都ながととしてもなにも言えない。そのまま、口ごもっているしかなかった。

 ノウラは、そんな永都ながとをむりやり引き起こし、ベッドから引きずり出した。お姫さま育ちのその身のどこにそんな力があるのか。そう思わせる強引さだった。

 「さあ、まいりましょう。永都ながと陛下。女の晴れ舞台。徹底的に付き合っていただきます」

 そうして結局、永都ながとはノウラとふたり、ゾマスの御する馬車に乗って市内のブティックを訪れる羽目と相成った。

 王族の結婚式の服選び。

 となれば、たとえ国王でなくても専属のデザイナーなりがついて一から作るのが普通だろう。

 だが、国王である永都ながとも、亡き王妃である七海なみも、共に日本の一般庶民の出。そんな『王侯貴族みたいな』ふるまいはどうにも性に合わなかった。服を買うにもその辺の当たり前の洋品店に出向いて、出来合いの品を買うのが普通だった。

 なんとなく、それがそのまま伝統のようになってしまい、『専属のデザイナー』など影も形もいた試しはない。

 そんな態度が『庶民的で飾らない国王』として、国民から好かれている理由のひとつなのだが。

 一応、永都ながととしては、七海なみに言ったことはあるのである。

 「地球回遊国家も様になってきた。おれたちもいまでは国王と王妃だ。少しはそれらしいことをしてもいいんじゃないか?」

 しかし、夫のそんな言葉に対し、七海なみは肩をすくめながら言ったものである。

 「そんな気にはなれないわ。地球回遊国家をはじめたばかりの頃は、自分で釣った魚をさばいて食べていたんだから」

 そう言われて永都ながとも、

 「それもそうだ」

 と、納得してしまった。

 結局、立場はどうあれ、骨身に染みついた庶民性は抜けることのなかったふたりなのである。

 ただ、今回、侍従長のゾマスがふたりを連れてきたのは『その辺の』洋品店ではない。さすがに、ノウラのことをおもんぱかってか市内随一のブティック、ヨーロッパでも有名な老舗洋品店の支店である。

 当然、どの服の価格も一般庶民が手を出せるようなものではないし、それ以上に店員の態度の垣根が高い。

 一般庶民が入ろうものなら筋肉がスーツを着ているような店員に、問答無用でつまみ出される。店員たちはそのことを自分たちの格式を保つための誇りある行為と信じているし、世間もそれが当然と思っている。

 そういう店だ。

 そういう店に堂々と入り、店員たちのもてなしを受けて服を選ぶ。

 ――おれも出世したものだなあ。

 と、永都ながとがしみじみと思って感涙にむせんだのは、『庶民の出でよくぞそこまで出世した』と讃えるべきか、それとも『国王にまで登りつめたのにみみっちい』とけなすべきか、判断に困るところであっただろうけど。

 ノウラの方はそんな永都ながとの思いなど『自分には関係ない』とばかりに、さっさと店内に入って店員のもてなしを受けながら自分のまとうべきウェディングドレスを選んでいる。

 ノウラは、永都ながと七海なみとちがって生まれついての王族。正真正銘の王女さま。当然、生まれた頃から専属デザイナーやら王室御用達の商人やらに囲まれて育ったはずなのだが、普通に店内での買い物を楽しんでいる。

 その姿は永都ながとにとっては少々、意外なものだった。もっとも、店員のもてなしを当然のこととして受けとめ、女王然としてふるまっているのは『さすが本物』と言いたくなる貫禄ではあったけれど。

 ノウラは数人の店員に囲まれながら、なんとも楽しそうにウェディングドレスを選んでいる。そんなノウラの姿を見て、侍従長のゾマスはしみじみと口にした。

 「ノウラさまはお仕事ばかりに夢中で自分のことは気に懸けない、と噂されておりましたが……やはり、女性ですな。見てください、あの嬉しそうなお顔。見ているこちらまで幸せな気分になってくるではありませんか」

 「……うむ」

 永都ながとは信頼する侍従長の言葉に歯切れ悪く答えた。

 たしかに、ゾマスの言うとおり。ノウラは本当に嬉しそうにドレスを選んでいる。『世界で二番目の美貌びぼう』と呼ばれる美女が、こうも無邪気に喜んでいるのだ。その姿を見ればやはり、愛おしくなる。とうに忘れたはずの熱いたぎりが体内に蘇っても来る。しかし、それでも……。

 「……ノウラが喜んでドレスを選ぶべき相手は、おれではあるまい」

 「そのお言葉は、ノウラさまに対して失礼と存じますが?」

 「歳がちがいすぎる。それに、おれの妻は七海なみひとりだ。七海なみの存在がありながら他の女を妻にすることはできない。七海なみに顔向けできんし、相手に対しても失礼だ」

 「ノウラさまはすべての事情をご存じの上で、陛下とのご結婚を受け入れてくださったのですよ?」

 「親に売られたせいだろう」

 「本気でそんなことを思っておられるわけではありますまい。あのノウラさまが親に売られたぐらいで唯々諾々と従うような、そんなか弱い女性とお思いですか?」

 言われて永都ながとは思いきり顔をしかめた。

 結局、ゾマスの言葉に反論できないのだった。

 「永都ながと陛下」

 突然、ノウラの声がした。永都ながとは心臓発作を起こしそうな表情で飛びあがった。

 「な、なんだ、いきなり!」

 「次のお店に行きましょう」

 「次の店? ここで買うんじゃないのか?」

 「最初に入ったお店で決めるなど、ショッピングの楽しみを放棄するようなものではありませんか。せっかくの一生に一度の買い物。思いきり、時間をかけて楽しまなくては」

 と、思いきり力瘤を作りながら、妙に庶民的なことを言う生まれついての王女さまだった。

 「では、ゾマス。次のお店をお願いするわ」

 ゾマスはうやうやしくお辞儀をし、三人は馬車に戻った。ゾマスの操る馬車がカタカタと音を立てて氷の道路の上を走り出す。永都ながとはノウラとふたり、並んで座りながらむっつりとした顔をしていたがやがて、言った。

 「……ノウラ。最初に言ったことだが、改めて言っておく。これは、あくまでも政略結婚だ。一度、約束した以上、王妃として迎えはする。だが、それだけだ。お前をおれの妻とすることはない」

 永都ながとは真剣な表情でそう言ったが、ノウラの方は気にもかけない。澄ました顔で言ってのけた。

 「陛下のお心など関係ありません。わたしは妻となります」

 「しない」

 「なります」

 「しない!」

 「なります!」

 ふたりのそんな言い合いを浴びながら――。

 ゾマスの御する馬車はのんびりと氷の市内を走っていくのだった。

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