一六章 おれの妻は……

 「『ゴールデンサークル』は知っているか?」

 「はい。『WHYよりはじめよ』ですね」

 永都ながとの問いに対し、ノウラはキビキビと答えた。背筋をまっすぐに伸ばし、真面目一方の表情で答えるその姿は、夫に対する妻のものではなかった。どこからどう見ても、師に対する弟子のものだった。

 『師』はひとつうなずくと、つづけた。

 「その内容を説明してみろ」

 「はい」

 と、ノウラはやはり生真面目に、キビキビした調子で答える。

 「物事には、

 なぜ、やるのか。

 どう、やるのか。

 なにをしているのか。

 という三つの段階がある。凡庸なリーダーは『なにをしているのか』から語る。対して、歴史を動かすような偉大なリーダーは『なぜ、やるのか』から語る。それこそが、人の心を打ち、人を動かす秘訣であり、ゴールデンサークルと呼ばれるものです」

 「よろしい」

 と、地球回遊国家国王・葦原あしわら永都ながとはうなずいた。満足げに、ではない。あくまでも、弟子を厳しく鍛える厳格な師としてのうなずきだった。

 永都ながとが再び国王としての姿を衆目の前に表したあの日。あの日からノウラは徹底して永都ながとによる指導を受けていた。地球回遊国家の歴史、理念、その理念を実現させるためになにをしてきたか。そのすべてを叩き込まれてきた。

 その『指導』はいっそ無慈悲と言ってもいいほどに厳しいもので、並大抵の二三歳の女性なら、あまりの厳しさに泣いて逃げ出しているぐらいのものだった。

 しかし、ノウラにとっては大歓迎。なにしろ、まだ幼い日、ナフードを訪れた永都ながと七海なみの夫妻を見、その理想を語る姿、理想を実現させるために情熱をたぎらせて行動するその姿に恋い焦がれて以来、ずっとずっとこうやってアツく行動できる日を待ち望んでいたのだから。

 ――そう。ナフードではこんなふうにアツくなって行動することなんてできなかった。『女のくせに』、『女であることをわきまえろ』なんて、そんなことを言われてばかり。わたしがどんなに真剣に国の未来について語っても、誰も相手にしてくれなかった。

 ――でも、ここはちがう。『女のくせに』なんて言われない。どんなにアツく夢を語っても誰もわらったりしない。ここでなら、わたしの幼い頃からの思いを実現できる。

 そう思うと喜びのあまり、胸が張り裂けそう。

 いささか妙な表現だが、そう絶叫したくなるぐらいの喜びを感じていた。どんなに厳しくても、いや、厳しければきびしいほど望むところ。

 満たされることのなかった幼い頃の心が後からあとから湧きだしてきて『もっともっと』と叫んでいるのだ。その心を満たしてやるためには厳しければきびしいほど都合がいい。

 「では、ノウラ。ゴールデンサークルにそって、地球回遊国家の在り方を説明してみろ」

 「はい!」

 ノウラは永都ながとの言葉に大きな声で答えた。『世界で二番目の美女』と呼ばれるその美貌びぼうには、笑みさえ浮いている。

 まるで、ジャバニメーションのなかのスポ根ものの一シーンのよう。鬼コーチの指導を受けて真剣に答える選手のような、そんな光景だった。

 ノウラはその嬉しそうな表情のまま、答えた。

 「わたしたちは人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を求めています。そのために、すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会の実現を目指しています。その実現のために、氷の船団による国家、地球回遊国家を作りあげました」

 「よろしい。では、なぜ、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる社会』を作るために、氷の船団による国家が有効なのか」

 「住み分けができるからです。地球回遊国家は船を増やしていくことでいくらでも人間の住み処を増やすことができます。住み処がふえると言うことはそれだけ、好きな暮らしを送れる場所を増やすことができると言うこと。いま、自分のいる場所が気に入らなければ新しい船を作り、独立して、その船に自分の望む暮らしを築けばいい。そうすることで、『すべての人間が自分の望む暮らしを送れる』世界を実現できるからです」

 「よろしい」

 と、永都ながとは、厳格な上に気むずかしい師の態度でうなずいた。

 厳しさに慣れていない人間であれば、その態度だけで泣き出して逃げ出すにちがいない。そう思わせる態度もノウラにとっては心地よい厳しさである。

 「忘れるな。世の中には『住み分けはいけない』という人間が多くいる。だが、それは『共存』という概念を誤解しているからだ。自然界における『共存』とは、一緒に住むことではない。一緒に住まなくていいよう、住み分けることだ。

 森を見ろ。ひとつの森のなかには何種類もの似たような鳥たちが住んでいる。決して、一種の鳥だけが森のすべてを支配するようなことにはならない。その秘訣が『住み分け』だ。

 ある鳥は朝に行動し、ある鳥は昼に行動し、ある鳥は夜に行動する。また、ある鳥は森の上層部に住み、ある鳥は森の中層部に住み、ある鳥は森の下層部に住む。そしてまた、ある鳥は植物の実や種を食べ、ある鳥は昆虫を食べ、またある鳥は小動物を食べる。

 そうやって自分たちの生活する時間、生きる場所、食べるものをかえて住み分けている。そうすることで、ひとつの森のなかに何種類もの鳥が生きていけるようになる。

 もし、住み分けを否定したなら、すべての鳥に同じ時間に行動し、同じ場所で生活し、同じものを食べるように強制したならそれは、すべての鳥をただ一種類の同じ鳥にかえてしまうということだ。

 そんなことをすれば、それを望まない鳥は反発する。そんな鳥に『同じ生き方』をさせようとすれば結局、武力によって押しつけるしかない。そして、それを戦争という。戦争とは『相手を自分の意思に従わせるための、武力を含めた総合手段』なのだからな」

 「はい!」

 「地球回遊国家はその逆を行く。住み分けを前提とすることですべての人間が自分の望む暮らしを送れるようにする。そうすることで、人と人が争う必要をなくす。それを忘れるな」

 「はい!」

 「そもそも、それこそが人類本来の在り方なのだ。古来、人々は自分の住む土地で、自分たちの望む暮らしを打ち立ててきた。世界中どこでも、それぞれの町、それぞれの村で、それぞれに適した暮らしを営んできた。それが、近代国家の成立によって一変した。近代国家はすべての人間を『国民』として統制し、国家の掲げる『正しい生き方』を全員がするように強制した。

 そのために、国民誰もが自分の望まない暮らしを押しつけられ、息苦しさを感じ、挙げ句の果てに国民同士が憎み合うようになってしまった。

 『自分が思い通りの暮らしを送れないのは、あいつらのせいだ。あいつらさえいなければ、自分の望む暮らしを送れるんだ』

 というわけだ。

 近代国家は自由を広めたと言われる。だが、事実はまったくの逆だ。近代国家の成立によって、人類は自由を失った。『自分の望む暮らしを自分で作る』という巨大な自由をだ。

 その自由を取り戻す。最新の技術を使い、古来の在り方をアップデートした形でだ。地球回遊国家においては、人は誰でも自分の好む暮らしを送る船で暮らす権利がある。もし、自分の望む暮らしを送る船がないのなら、自らが独立して船をもち、自分の望む暮らしを打ち立てる。

 それが、地球回遊国家。国王の役目は国民一人ひとりが自分の望む暮らしを送れるよう手助けすることだ。

 相手が『自分はこんな暮らしを送りたい。だから、その実現のためにこういう協力を頼みたい』と、そう言ってきたときに、その頼みに応じることだ。まちがっても『唯一の正しい生き方』を国民に強制するようなことをしてはならない。

 そのとき、その場で、どのような暮らしを送るのが一番よいか。それを知っているのはあくまでもそのとき、その場に住む人々であって、国王などではないのだからな。国王はあくまでも国民の望みを叶えるためのサポーター。国民を教え導く存在などではない。そのことを忘れるな」

 「はい!」

 「ただし! 国民の望むことはなんでも実現してよいというわけではない。地球回遊国家の目的はあくまでも『人と人が争うことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を作る』ことだ。その目的に沿った暮らしだけを認める。それ以外の暮らしは認めてはいかん。いいな」

 「はい!」

 「そして、もうひとつ。それ以上に忘れてはならないことがある」

 「なんでしょう?」

 「地球回遊国家の理念を信じるな、と言うことだ」

 「理念を信じるな?」

 ノウラはさすがに眉をひそめた。『理念を信じるな』とは『理念を語る』ことの真逆であるはずだ。その意味はさすがに理解できなかった。

 永都ながとは厳格な師として『弟子』に語った。

 「『正義』としては信じるな、と言うことだ。地球回遊国家の掲げる理念はあくまでも人間が作ったもの。宇宙の絶対真理に支えられた正義などではない。まちがっているかも知れない。正しいのは住み分けを否定する側かも知れない。その疑いは常にもっていなくてはならない。疑いをもたず、自分の理念こそを『正義』と信じたとき、人は寛容さをなくす。自分と異なる理念を掲げるものを許せなくなる。そうなれば結局は戦争だ。

 だから、地球回遊国家は自分たちの理念をあくまでも『実験のひとつ』として捉える。理念が正しければ地球回遊国家は栄える。まちがっていればついえる。正しいか否かは歴史の審判に委ねる。

 その上で、自分の信じる理念の実現のために行動し、他の理念を掲げる人間には干渉しない。それが地球回遊国家の在り方。我が妃となり地球回遊国家の明日を背負う存在となるつもりなら、そのことだけは決して忘れるな」

 「はい! 肝に銘じておきます」

 その表現に、さしもの『厳格で気むずかしい師』もつい苦笑をもらした。

 「肝に銘じる、か。まるで、日本人のような言い方をするな」

 「地球回遊国家製のジャパニメーションで覚えました」

 誇らしげに胸を張り、笑顔でそう言うノウラであった。

 永都ながとはまたも苦笑するしかなかった。

 「どうやら、おれの思っている以上にジャパニメーション部門の貢献は大きいようだな。いいことだ。では、いい機会だ。ジャパニメーション部門の歴史について語っていくぞ」

 「はい!」

 そして、永都ながとは語りはじめた。地球回遊国家においてジャパニメーションを作りはじめたその経緯を。それは、永都ながとの亡き妻、七海なみの掲げた壮大な挑戦だった。

 「たとえ、戦火によって傷つこうともペンさえもてればマンガは描ける。声さえ出れば声優になれる。理不尽な戦火によって傷つき、人生を奪われた無数の人々。その人々に再び生きる力を与え、富と幸福を手に入れる手段を与える。その目的のもとに地球回遊国家はジャパニメーションの制作を掲げ……」

 永都ながとの声がそこでとまった。ふと気がつくと、ノウラがデスクに突っ伏して眠ってしまっていた。

 二三歳が七〇代よりも先に寝落ちしてしまうなど、普通に考えればおかしなことだ。事情を知らないものが見れば『いい若いものが年寄りより先に寝落ちしてどうする! 気合いが足りん!』とどなっているところだ。

 しかし、永都ながとは知っている。ノウラが毎日まいにち自分の行う『講義』の他にも地球回遊国家の歴史や政策、産業について貪欲に学び、また、閣僚たちと会議を重ね、市井しせいの人々とも交流し、生の声を聞いていることを。そのために、ろくに眠っていないことを。

 ――それだけ真剣に、地球回遊国家の王妃になろうとしているのだな。

 永都ながとは、デスクに突っ伏したまま両目を閉じ、健やかな寝息を立てているノウラを見てそう思った。

 ――わずか二三歳の身で親に売られ、七〇過ぎの年寄りの嫁になることになった。いくら気丈とはいえ不安もあれば、腹が立ちもするだろうに。そんなことはおくびにも出さず、公人としての立場を貫こうとしているのだな。

 そう思うと歳老いた胸に痛みが走る。

 永都ながとはノウラの寝顔をジッと見つめた。

 世界で二番目の美女。

 そう呼ばれる美貌びぼうは寝ていても、いや、無防備な寝姿だからこそよけい際立ち、魅力的に見える。

 永都ながとはふと手を伸ばした。その白く、なめらかな頬にさわろうとした。指が頬に届くその寸前――。

 永都ながとは手をとめた。指を曲げ、拳を握った。首を左右に振った。

 「なにをやっているんだ、おれは。二三歳に手を出していい歳ではあるまい。それに、おれには……」

 そう言って、もう一度首を横に振った。

 永都ながとは結局、人を呼んで、寝落ちしたノウラを本人の寝室に運ばせた。

 「くれぐれも起こしてしまわぬようにな」

 そう念を押して。

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