一三章 夜這いは日本の古き良き伝統でしょう
「ふう」
体が重い。いつの間にかすっかりやつれ、枯れ枝のようになってしまった七〇過ぎのこの体。その体全体になにやらズッシリとした重さがかかっている。
「今日は疲れたな」
そう。まるで、若い頃、思いきりスポーツに励んだあとのようなそんな感じ。
「……自分にもまだ、こんな疲れを感じることができたのだな」
こんな疲れを感じたことなどいつ以来だろう。もう何年もの間、感じたことのない疲れ。体を使ったあとの充実感。
ここ数年は一日の大半をベッドの上で過ごし、体を使うことそれ自体を忘れかけていた。
もちろん、疲れることなどなかった。疲れがないせいか、ろくに眠ることもできず、日がな一日ベッドの上でうつらうつらとして過ごしているだけだった。
そういえば、まともに食事をしたのも数年ぶりだ。最近は朝も、昼も、夜も、
食事を抜くことを心配したメイドや料理人が少しでも食べるよう説得しても、
「国王に命令するのか!」
と、パワハラ丸出しの台詞を投げつけ、追い返した。まったく、年甲斐もないことをしたものだ。
それが、今日はどうだろう。朝も、昼も、夜も、出された食事をすべて平らげてしまった。
それも、
それも、意識して食べたと言うよりは、ノウラとなんやかんやと言いあっているうちに、気がついたら食べていた……という状況。
「この久々の気分が、あの娘のおかげなのは確かだな」
「まったく、不思議な娘だ。まだ二三歳、それも『世界で二番目の
ノウラの、ネコの目のようにクルクルとかわる表情が思い出される。
思い込んだら
自分を引っぱりまわすイタズラっぽい表情。
朗らかに笑う無邪気な表情。
そして、思いをはせるときのしっとりと落ちついた美しい女としての表情。
どれも一目、見たら忘れられないほどに魅力的。心に焼きついてはなれない表情ばかりだ。思い出すと、苦笑と共についついニヤけた笑みがもれでてしまう。
「まったく。かわった娘だ」
「しかし、どれだけ振りかな。あんなふうに遠慮せずに接してくる相手は」
日本の、ごく普通の一般家庭に生まれ、高校まではごくごく普通にまわりの人間と接してきた。
誰にも遠慮する必要などなかったし、誰も自分に対して遠慮することもなかった。友だち同士でつるんでは、互いに気兼ねすることなくバカをやってきたのだ。
それが、高校で
そうなると、まわりの人間との関係もかわってくる。誰に対しても『一国の王』としてふるまわなければならないし、まわりの人間も『国王』相手となれば、どんなに親しくしていようとやはり、相応の遠慮をせずにはいられない。
国王になった自分に対し、一切の遠慮なしに引っぱりまわすような真似をしたのはただひとり。いまは亡き妻である
「……そうか。あいつが先に
しみじみと――。
懐かしさを込めて、
それから、
「寝よう」
そう呟いた。今日はきっとよく眠れるだろう。数年ぶりに気持ちよく。
そう思った。だが――。
それは甘いというものだった。
カチャリ、と、音を立てて寝室のドアノブがまわった。大胆なネグリジェ姿のノウラが姿を表した。
「夜這いにまいりました。
かれこれ一時間ほどもたっているだろうか。一日の疲れも、年齢も吹っ飛び、底なしのスタミナを
その
アラブ人であるノウラが『正座しろ!』と言われて、あっさり正座できるというのも奇妙なものだが、それも、ジャパニメーションで学んだらしい。
アニメの登場人物が正座しているシーンを見て『なんで、あんな座りかたができるんだろう?』と興味をもち、何度もなんども足をしびれさせながら練習した結果、日本人顔負けのビシッとした正座姿を身につけた、ということらしい。
これでもし、スッと落ちついた表情をしていれば『武家の娘』とでも言いたくなるような威厳ある姿となっていただろう。あいにく、キョトンとした不思議そうな表情をしているので威厳もなにも感じられないのだが。
「さっきからなにを怒っておられるのです、
ノウラは尋ねた。その言い方がごまかしているとかではなく、本気で、心の底から不思議がっているものだったので、
「お前はいままでなにを聞いていた⁉ 自分がなにをしに来たのかわかっているのか!」
「ですから、夜這いをしにきたんです」
ノウラは一切、悪びれず、堂々と言ってのける。それこそ、自分の行いが天地自然の
「それが、若い娘の言うことか⁉」
「若い娘だからいいのではありませんか。
「あ、いや、それは確かに、若い娘の方が……って、ちがう! そういう問題じゃない! 若い娘がそんなはしたない真似をするなと言っているんだ!」
「ですから、それがわかりません。なにがはしたないと言うんです? 夜這いは日本の古き良き伝統でしょう」
「どこで覚えた、そんなこと⁉」
「地球回遊国家製のジャパニメーションで」
「うちは、そんな内容のジャパニメーションは作っていない!」
「いくらでもありますよ。ご存じないんですか?」
キョトンとした表情でそう言われて――。
いくら、自国で生産しているからと言って、すべてのマンガ・アニメに目を通しているわけではない。
――くそっ! そんな内容のものまで作っていたとは。内容を制限してやろうか。
「とにかく、
じっと座って説教されていることに飽きたらしいノウラが立ちあがった。ズイッと近づいた。
「夫婦の営みは不可欠です。やるべきことをいたしましょう」
「それがはしたないと言うんだ!」
「妻の務めを果たそうと言うことのなにが、はしたないのです?」
「お前は政略結婚で迎えることになったお飾りの王妃だ! 妻として扱う気はないと言ったろう」
「王妃であればなおさら、世継ぎを儲けなくてはなりません。さあ、
「やめろ、押し倒すなあっー!」
氷の船の王宮に――。
貞操の危機にさらされた七〇男の絶叫が響いたのだった。
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