一二章 ここは異世界。夢のなか

 地球回遊国家。

 太平洋上を風と潮の流れに乗って回遊する氷の船団。その上に築かれた氷の都市は、今日もカーニバルの装いだった。

 顔を七色に塗りたくったモザイク画のような通行人がいる。

 孔雀の尾羽のような絢爛けんらんたる付け毛をつけ、得意気になびかせている芸人がいる。

 三メートルもあるような義足をつけて闊歩かっぽするもの、子どもの夢に出てくるオモチャの兵隊のような服を着ているもの、車椅子に乗って両足で楽器を鳴らすもの……誰ひとりとっても、この場でしかお目にかかれないような風変わりな住人たち。

 その誰もが自分の姿を誇らしげにさらし、底抜けに楽しそうな笑顔で踊り、練り歩き、楽器をかき鳴らし、歌を唄っている。

 通行人より多いのではないかと思われる大道芸人たちが通りを埋め尽くし、あるものは全身を石の色に塗って彫像の真似をし、あるものは一言も喋らないままにパントマイムだけで芸を語り、あるものは魔法としか思えないような手品を披露している。

 その他にも自作の絵を並べながら似顔絵描きをしている画家がいる。

 どうやら自作らしい奇妙奇天烈な楽器をデン! と、道ばたに置き、夢中になって演奏しているストリートミュージシャンがいる。

 相棒のイヌやネコと一緒にパフォーマンスに興じている芸人がいる。

 炎をまき散らしながら踊るダンサーがいれば、そこに水をぶっかけるパフォーマーがいる。炎のダンサーが怒って喧嘩をふっかければ、水のパフォーマーも受けて立つ。結局、喧嘩しながらふたりして踊り狂う。

 どの方向からも歌声が聞こえ、まるで全身に音のシャワーを浴びているかのよう。

 『自由』という言葉、いや、概念を現実の姿として映した場所が地球上にあるとしたら、それこそがまさにここ、地球回遊国家だった。

 ここにあるものは秩序ではなく混沌。すべてを受け入れ、混ぜあわせ、一匙ひとさじのドレッシングで味を調えたサラダボウル。

 訪れた観光客たちも、その予想を超えるはっちゃけぶりに感化され、羽目を外して騒いでいる。

 日頃の暮らしであればとうていできないほどに踊り、唄い、我が物顔に通りを歩く。こっそり近づいては『ばあっ!』と脅かして去っていくお化けに度肝を抜かれ、唖然あぜんとし、次いで笑い出す。教会のステンドグラスのように色とりどりのメイクをしてもらい、よそでは絶対にお目にかかることのない奇抜な服を着てケラケラ笑う。

 誰もが、これ以上ないほどの非日常を楽しんでいた。

 まるで、異世界に迷い込んだかのようなその光景。

 いや、実際にここは異世界なのだ。地球という現実のなかに築かれたもうひとつの世界。外の世界とはまったくちがうことわりによって動かされる異なる世界。

 その人工の異世界のなかをノウラと永都ながとはよりそって歩いていた。正確には、ノウラに引っ張られて歩いていた。

 「午後からは市内の視察にまいりましょう」

 昼食を終えたあと、ノウラが張りきってそう宣言したのである。

 ちなみに、永都ながとは昼食をきれいに平らげた。そのことには料理人たちも驚いていた。昼食も朝と同様、ろくに食べずに、まわりの人々を心配させるのが最近の常だったので。

 「永都ながと陛下は最近ちっとも、市内に出ておられないそうではありませんか。そんなことでは国民が寂しがります。市内に出てお元気な姿を見てもらいましょう」

 ノウラは勝手にそう決めてキビキビ言う。永都ながとの方は、

 「そうだな」

 などということは一言も言わなかった――と言うより、なにか答える間がなかった――のだが、ノウラはそんなことは気にしない。

 つかつかと近づくと永都ながとの腕をとり、強引に椅子から立たせ、市内に引っ張り出した。ただ、さすがにこの人ごみと喧噪のなかでは『鬼さん、こ~ちら』などとやるわけにもいかず――いかにノウラと言えども、その程度の良識はある――永都ながとが転んで怪我をしないように腕を組んで支えながらゆっくり歩いている。

 「本当に、賑やかな場所ですね」

 ノウラがあたりを見回し、感心したように言った。

 体を包む音のシャワーと色彩の洪水。人の迷惑顧みず、神出鬼没のお化けたち。普通であれば、

 「うるさい!」

 「目がチカチカする!」

 と、クレームのオンパレードになりそうなありさまも、ここまで徹底的に、底なしに行われれば、もうどんな気むずかし屋でも一緒に騒ぐしかない、という気持ちになる。

 「……ああ」

 永都ながとはまんざらでもない様子で言った。もちろん、ここで言う『まんざらでもない』というのは市内を歩くことであって、『世界で二番目の美女』がピッタリ腕に抱きつき、瑞々しい胸のふくらみを押しつけてきているからではない……と、本人は断固として主張するにちがいない。

 「……本当に、あの頃と比べると夢のようだ。はじめて七海なみとふたり、氷の船を仕上げて海に出たときは人も少なく、ろくな財源もなく、誰も彼もが将来の不安を感じて暗く、沈み込んだ表情をしていたものだ。それがいまではこの状況……」

 変わればかわるものだ。

 しみじみと、深い思いを込めて永都ながとはそう呟いた。

 「それが、永都ながと陛下の成し遂げられたことなのですね」

 「そうだ」

 と、永都ながとは七〇過ぎとは思えないほど力強くうなずいた。

 「おれと、七海なみのふたりでな」

 「おや。これはこれは。永都ながと陛下ではございませぬか」

 突如、目の前に表れた海賊王の仮装をした――果たして仮装なのか、それともいつもの普段着なのか、その点がわからないのが地球回遊国家という『異世界』なのだが――男が、頭にかぶった海賊帽をとり、うやうやしく挨拶した。

 「お久しゅうございます、永都ながと陛下。昨今はすっかりお見かけすることもなくなっていましたゆえ、気に懸けておりました。ご壮健そうでなによりです」

 挨拶の仕種も仰々ぎょうぎょうしいが、言葉遣いもやけに古風というか芝居がかっている。しかし、この世界にあってはこれでいい。下手へたに『普通の』話し方などされてはせっかくの異世界気分が台無しになってしまう。

 「ああ、うむ……」

 永都ながとは妙に口ごもった挨拶をした。ここ数年、国民の前にろくに姿を表さなかったことを気にして、はっきりと答えられなかったのだろう。

 ひとりが気がつくとあとは一気だった。

 「永都ながと陛下が久々にお見えになられた!」

 その声がさざ波のように伝わり、我もわれもと永都ながとのまわりによってくる。

 あたりはたちまち派手な装いの人間たちが群れなす花壇となった。誰も彼もが永都ながとに話しかけ、体調を気遣い、どうしていたのかと尋ねる。

 それは、国王に対する臣民の態度と言うより、小さな島の族長とその住民といった印象。気さくで、飾り気がなく、それでいて信頼と敬愛の念が込められている。

 永都ながとという国王がいかに人々から慕われ、愛されているか。

 そのことを示す在り方だった。

 永都ながとは少しばかり困ったような表情を浮かべて集まってくる人々に答えていたが、ふいにパントマイムを演じていた大道芸人が笛を吹きはじめた。

 その笛の音は楽しく、軽快で、子どもっぽく、それでいて、感謝と敬愛の念を感じさせる。芸人として、言葉ではなくその芸をもって永都ながとに対する思いを表現しているのだろう。

 笛吹きが笛を鳴らしながら大きく足を動かして歩きだした。それに応じて人々の花壇が動きはじめた。一方向に向かって。

 その流れに乗せられて、ノウラと永都ながとも歩きだした。それに気がついた人々が我もわれもとやってきて、思いおもいの音を出しながら次々と合流してくる。

 その賑やかさにつられて観光客までもが集まり、一緒になって踊り、唄い、歩きだす。いつの間にか人の花壇は、無数の音に包まれた子どもの国のオモチャの行進となっていた。

 誰も彼もが笑っている。

 誰も彼もが楽しんでいる。

 底抜けに明るく、楽しく、不安や心配など入り込む余地もないこの世の楽園。

 そう思えるその光景。しかし、実はそうではない。もともと、地球回遊国家の人々が仮装をはじめたのは戦争や、貧困から来る病によって体をそこなった人々が、そのことに引け目を感じずにすむようにするため。

 そのことはいまもかわっていない。戦火によって目を、耳を、手足を失った体を、貧困と不衛生によって引き起こされた病によってあばただらけになった体を、道化師の姿の下に隠している。道化師の笑顔の下には癒やされることのない哀しみが隠されている。

 それが感じられるだけにより一層、人々の明るい装いが大切に感じられる。

 「……これが、永都ながと陛下の目指した姿なのですね。永都ながと陛下と七海なみ殿下の」

 「そうだ」

 永都ながとはノウラの言葉にうなずいた。

 「すべての人を幸せにしたい。それが、七海なみの夢だった。そして、おれの夢は、その七海なみの夢を実現させることだった」

 「そして、おふたりはたしかにそれを実現させたのですね。地球回遊国家という形で」

 「たしかに……」

 永都ながとは苦いものを噛みしめた表情で答えた。

 「おれたちは大きな成果をあげた。そう言っていい。だが、まだだ。七海なみの夢はまだ叶っていない。この世界にはまだまだ多くの不幸な人がいる。貧困にあえぎ、差別にさらされ、戦火に追われる人々がいる。七海なみの夢はまだ道半ば。それなのにあいつは、七海なみは、その道の途中で死んでしまった……」

 「いいえ」

 きっぱりと――。

 ノウラは永都ながとの言葉を否定した。

 「七海なみ殿下は亡くなられてはいません。そのお心はいまも生きています。そのお心を受け継ぎ、夢を実現させようとする人間は必ずいます」

 ノウラは力強く言った。

 「七海なみ殿下の夢は、わたしたちの手で叶えることができるのです」

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