一四章 ……お前が言ったのか?

 「なんですか、この仕打ちは⁉ 愛する妻を牢屋にぶち込むのが夫のすることですか!」

 「だまれ! 一晩、牢屋にとまって頭を冷やせ!」

 ノウラと永都ながとは黒光りする鉄格子をはさんでどなりあっている。目をつりあげた顔を互いに近づけ、歯をむき出しにしてどなりあう様はまさに『角突き合わせる』という言葉の見本。

 地獄の鬼たちでさえ、一目見たら恐れおののき、身をすくめて抱きあってしまうのではないかと思わせるほどだった。

 地球回遊国家の警察本部。

 そのなかにある留置場でのことだった。

 有無を言わさず独房に放り込まれたノウラが鉄格子を両手でつかんで、怒れるサルのごとくに歯をむき出しにしてどなり散らせば、永都ながと永都ながとで歳を忘れてどなり返す。

 そんなふたりのまわりで、警官たちがオロオロした様子で見守っている。夜中に突然、国王たる葦原あしわら永都ながとその人からの通報を受け、すわ何事かと寝室に駆けつけ、命じられるままにノウラを独房に放り込んだ。

 しかし、目の前で繰り広げられている光景は、これはやはり、どう見ても……。

 このままどなり合っていてもらちがあかない。ようやく、そう悟ったのだろう。ノウラがいったん、口を閉ざし、『ギン!』とばかりに警官たちをにらみつけた。

 そのあまりの激しさ、勢いに、警官たちは思わず飛びあがる。そして、ノウラの口から飛び出した言葉の激しさは、先ほどまでのどなり合いに勝るとも劣らないものだった。

 「そこの警官! さっさとわたしを出しなさい。未来の王妃の命令です!」

 「絶対、出すな! 現国王の命令だ!」

 未来の王妃と現国王。ふたりから相反する命令を出されて困ったのは警官たちである。

 もちろん、命令系統から言えば現国王の方がはるかに上。警官たちとしては国王に従うのが筋。

 それはわかっている。

 しかし、ここで国王に従って未来の王妃ににらまれる結果となればそれはそれで困る。なにしろ、国王がすでに七〇代なのに対し、未来の王妃はまだ二三歳。今後、どちらの方が長く自分たちの上に君臨するかと言えば、結果は明らかなわけで……。

 かと言って、現国王の意思に逆らうなどできるはずもない。

 警官たちはどうしたものかと困りきった。困ったあげくに出した結論は、

 ――夫婦ゲンカはイヌも食わない。

 関わりあいにならないことに決めた。

 「我々は市内パトロールの時間ですので」

 そう言って国王の手に独房の鍵を押しつけ、そそくさとその場を立ち去った。『あとは野となれ』という言葉の見本のような、なかなかに堂々とした逃げっぷりだった。

 さっそくと言うべきか、残されたノウラと永都ながとは鉄格子をはさんでふたり、どなり合いを再開した。

 目をつりあげ、唾を飛ばし、頬を真っ赤に染めて汗を流し、喉も裂けよとばかりに大絶唱。日本の住宅街でやっていたらまちがいなく通報されて、騒音公害で逮捕される。そういうレベルの大声の共演だった。

 どれだけの間、そうやってどなり合っていたのか。ふたりとさすがに疲れはて、声もとまった。汗みどろになった姿で、肩で息をしている。

 「ハ、ハアハア……。まったく。頑固な娘が」

 「どっちが……ですか」

 声は出なくなっても闘志は健在。お互いに汗の噴き出した顔でにらみつけ、枯れた声でそう言ってのける。はああ、と、永都ながとはため息をついた。どなり声から一転、静かに諭すような声を出した。

 「……いったい、お前はなんのつもりなんだ。どうして、ここまでおれにかまう?」

 「陛下に本来のご自分を取り戻していただきたいからです」

 ノウラは迷いなくそう言いきった。

 「陛下はご存じないでしょうが、わたしは幼い頃から国を訪れた永都ながと陛下と七海なみ殿下を見ていました。あなた方はいつでも未来を見て、人々の幸福を望んで、そのために行動しておられました。その真剣さ、気高さ、行動力。わたしは、おふたりのお姿にあこがれて、自分でも改革を志したんです。それなのに、いまの陛下はなんですか。まるで、無気力な年寄りそのものではないですか」

 「……おれはもう七〇過ぎだ。昔のようにはいかん」

 永都ながとは小声で言った。顔をそらし、後ろめたそうな声になったのは永都ながと自身、かつての自分に対して恥じるところがあるからなのだろう。

 そんな永都ながとの言葉をノウラは認めたりはしなかった。

 「なにを老け込んだことをおっしゃっているのですか。『もう』七〇代ではなく、『まだ』七〇代でしょう。人生一〇〇年時代。七〇代なんてまだまだ若造。まして、陛下は病気ひとつない健康体だと聞いております。それが、年寄りぶって無気力隠居生活など。七海なみ殿下がご覧になったらさぞかし嘆かれることでしょう」

 ノウラのその言葉に――。

 ギン、と、永都ながとの目に力がこもった。ノウラをにらみつけた。その視線にはまちがいなく激しい怒りと、そして、一瞬だが憎しみさえ込められていた。

 「なにも知らない他人が七海なみのことを語るな!」

 そうどなる声も先ほどまでのような『夫婦ゲンカ』とはちがう。正真正銘の怒りを込めた弾劾だんがいの叫びだった。

 普通の女性であればその声に込められた怒りの深さ、激しさに顔色がんしょくを失い、恐怖のあまりなにも言えなくなっていただろう。

 だが、ノウラは怯えたりしなかった。それどころか、ますます胸を反らして言ってのけた。

 「いいえ、言います。同じ女として言わないわけにはまいりません。自分が死んだらすっかり腑抜けになって、なにひとつしなくなる。そんな情けない男を夫にしたなんて、女として恥ですからね」

 「ぐっ……」

 容赦なく言われて、永都ながとの方こそ言葉を失った。唇を噛みしめた。ノウラはさらに畳みかけた。

 「七海なみ殿下はたしかに亡くなられた。ですが、そのお心までが失われたわけではないのですよ。あなたが受け継がれているはずでしょう、永都ながと陛下。ならば、あなたには、そのお心を次の世代へと引き渡す責任がおありのはず。その責任を放り出してベッドのなかに閉じこもったりしていったい、なにをしているのですか」

 「………」

 厳しい弾劾だんがいの言葉に永都ながとは一言もなかった。唇を噛みしめたまま顔をそらした。そんな永都ながとに対し、ノウラは意外な追い打ちをかけた。

 「後日、わたしの名において議会を招集します」

 「なに?」

 「中断したままの計画、石油生成菌の培養を再開します」

 「なんだと?」

 「言ったでしょう。わたしはあなたと七海なみ殿下のお姿にあこがれて改革を志したのです。あなたとの結婚を受け入れ、この地にやってきたのもそのため。あなたと共に世界を改革するためです。わたしはその目的を貫きます。あなたにまだ、七海なみ殿下のお心を実現させようという気概があおりなら出席してください」

 「……言いたいことを言ってくれる」

 永都ながとはそう言って鉄格子に近づいた。警官に手渡された鍵でロックを解除した。そのまま、黙って外に出て行った。ガックリと肩を落としたまま。

 永都ながとは建物の外に出た。時刻はすでに深夜。空は夜の闇に染まり、南洋の月が氷の船団を優しく照らし出している。

 永都ながとは空を見上げた。無数の星々を従えて皓々こうこうと照る月に向かって、尋ねた。

 「……七海なみ。あの言葉は、お前があの娘の体を借りて言ったものなのか?」

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