一〇章 ラブコメのお約束
「ほらほら、どうなさいました、
王宮の中庭。一面に広がる氷の甲板の上におかれた大小様々なコンテナのなかに
花と氷。一見、相容れないように思えるそのふたつの要素が組み合わされて生まれる幻想的な雰囲気の庭園。
そのなかに、ノウラのイタズラっぽい声が響く。実際、ノウラの表情はイタズラを楽しむ子どもそのもの。無邪気で、小生意気で、そして――。
魅力的だった。
「くっ……」
そんな声に誘われて、
ノウラはそんな
距離が近づく。
「鬼さん、こ~ちら。手の鳴るほ~へ」
「なんで、そんな歌を知ってるんだ⁉」
その思いで必死に追いかける。
頬を赤くして、息を切らしながら、それでもできる限りの早足で歩く。距離をつめ、腕を伸ばす。今度は、ノウラは逃げなかった。
「ど、どうだ。捕まえてやったぞ」
息を切らし、汗を流しながら、それでも
「お見事です、
優しく微笑まれ、
「ヤバい!」
と、思いつつまっすぐに倒れていく。その眼前にはノウラの胸。若く、瑞々しいふくらみがまっている。豊かな胸の谷間が魅惑的なクッションとなって倒れ込んだ
むにゅっと音を立てて、
冷や汗が流れた。あわてふためいてノウラの体に手をかけ、顔を引きはがす。
「す、すまん……!」
顔を真っ赤にして視線をそらし、そう言った。その姿、まるで思春期の少年のよう。そんな
「ご遠慮なく。わたしたちは夫婦なのですから。いつでもどうぞ」
「馬鹿を言え!」
「そうですね。そういうことは夜の寝室ですべきことですね」
ノウラはぬけぬけとそう言うと、
南洋の日差しのもと、潮風と海鳥の声に包まれて、花の咲き乱れる氷の船の上をふたりはゆっくりと歩いていく。
散策していく。
永遠につづくかと思われるゆったりとした時間。それも、ふいに終わる。ノウラが突然、腕を放し、駆け出してはイタズラっぽく笑って
「このっ……!」
と、
まるで、高校生のカップルが浜辺で追いかけっこをしているかのような微笑ましいその光景。
やがて、ノウラは立ちどまって
その繰り返し。
端から見れば、ノウラが畏れ多くも国王陛下をからかって遊んでいるように見えるだろう。実際、からかって楽しんでもいるのだが、それだけではない。
いくら、運動が必要だからと言っても、七〇代の人物を考えなしに引っぱりまわすほどノウラは単純ではない。高齢者に適切な運動はなにか。そのことはきちんと調べてある。
手軽な運動として進められていたのはやはり、ウォーキング。ただし、ただ単に歩くのではない。『一〇歳、若返る歩き方』というものがある。
それが、本人にできる限りの早足で歩き、それからゆっくりと歩き、また早足になるという繰り返し。その歩き方でグンと若返るという。
だから、ノウラはいちいちからかっては
それをしばらく繰り返すとさすがに
ふたりは庭園のなかのベンチに並んで腰掛けた。潮風が頬をくすぐるなか花の香りに包まれて、ふたりは静かな時を過ごした。やがて、ノウラが言った。
「立派なお花ですね。氷の船の上にこんな庭園を作られるなんて。
「いや……」
と、
「
「遺伝子を守る?」
「ああ。おれたちが氷の船を作って活動をはじめた頃、世界はかつてなく核戦争の危機にさらされていたからな。いつ、核ミサイルが飛び交っても不思議ではなかった。
核戦争となれば、世界中の遺伝子が放射線汚染されて傷ついてしまう。変異してしまう。だから、
「現代のノアの箱船というわけですね」
「いや、
ノウラの言葉に――。
「しかし、その
ほう、と、
「お疲れですか、
「ああ、そうだな。こんなに歩いたのは久しぶりだからな。さすがに、疲れた」
「それなら……」
と、ノウラは得意気に自分の膝を叩いてみせた。
「ここに世界一の枕があります。ごゆっくりおやすみください。昼食の時間になったら起こしてさしあげますから」
世界中の男が全財産をはたいてでも権利を買いたいと思うその提案に対し、
「ば、馬鹿を言うな! この歳になって膝枕などできるか!」
「いいでありませんか。夫婦の間柄でそんな遠慮はいりませんよ」
「お前は妻ではない!」
「いいから、おやすみください」
ノウラは
ノウラは
「おれは子どもじゃないぞ! 子守歌なぞいらん」
「わたしが唄いたくてうたっているだけです。お気になさらず」
ノウラはそう言って、かまわずに唄いつづけた。
森のなか湯気をたてるシチュー鍋をみんなで囲めば
ほおら 幸せのときがはじまる
物語語り 歌を唄い 笑いかわして
相手の存在喜び 自分の存在喜ばれて
ゆったりと過ごそう
すべてはそのひとときを得るために
狩りをしたいから狩りをするわけじゃない
そお この場に戦う勇気なんていらない
幸せ感じる心だけがあればいい
森のなか湯気を起てるシチューをみんなで食べて
日差しを浴びながら横になろう
物語語り 歌を唄い 笑いかわして
相手の存在喜び 自分の存在喜ばれて
ゆったりと過ごそう
すべてはこのひとときを得るために
狩りをしたいから狩りをするわけじゃない
その歌を聞いているうちに、
いま、ここにある世界。なんの不安も、心配もなく、人と交わり、ゆったりと時を過ごすことのできる世界。それこそがまさに、いまは亡き
その世界がここにある。
――
その思いに絡めとられるように――。
どれだけの時が立ったろう。
「なんで、もっと早く起こさなかったんだ」
ノウラは妙に引きつった、青ざめた顔で答えた。
「す、すみません。気持ちよさそうにお眠りだったものですから、つい……」
「ええい! とにかく、すぐに戻るぞ」
「は、はい……」
ノウラはそう答えたものの、まるで動こうとしなかった。引きつっている表情がますます引きつる。
その態度に
「どうした? 早く立て」
「は、はい……。でも、その、あの」
「なんだ? どうかしたのか?」
「い、いえ、その……」
「なんだ⁉」
「足が……痺れて」
一瞬の自失のあと――。
「お前はアホかあっ!」
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