五章 永都と№1珍獣

 ――ああ、腹が立つ!

 ノウラは氷の船のなかをひとり、歩きまわっていた。怒りは一向におさまらない。それどころか一歩、歩くごとに激しくなり、深くなっていく。

 そのたびに足音は重く、大きくなり、氷の廊下を割ってまわり、船を揺るがすのではないかと思わせるほどだった。

 そのあまりにも剣呑けんのんな雰囲気に、すれちがう人々も恐れおののき、顔をそらしては関わり合いにならないようにと足早に通りすぎて行く。

 前からやって来たのがドラキュラ伯爵だったとしても、顔をそらして避けて通ったことだろう。

 そう思わせる姿だった。

 怒りの形相を浮かべてドスドスとがにまた気味に、足音高くうろつきまわる。一国の王女、そして、未来の王妃としてはあまりにもはしたない姿だがもちろん、ノウラにはそんなことを気にしている余裕はない。余裕があっても、気にするつもりはないが。

 ――わたしはあんな年寄りと結婚するために来たんじゃない! 氷の王と、世界の未来のために戦う闘士と結婚するために来たのよ!

 その思いに心が支配されている。

 とにかく、腹が立つ。腹が立つままにその辺を歩いていた若い女性を捕まえて――と言っても、二三歳のノウラよりは歳上のようだったが――資料室の場所を聞き出した。そのときの女性の表情ときたらもう、ヌートリアと同じ籠に入れられたハムスターのようだったが。

 ノウラはそのまま資料室にこもり、PCのキーボードを叩き出した。文字通り『叩く』という表現がふさわしい乱暴な態度で『バチバチ』というキーボードを叩く音が辺り中に鳴り響くほど。そのPCを作った人間が見れば『やめてくれ!』と、思わず身を挺してかばってしまうぐらいの乱暴さだった。

 「とにかく!」

 ノウラは無人の資料室で叫んだ。

 ……仕事中のスタッフは何人もいたのだがみんな、ノウラの剣幕に恐れをなして逃げ出した。それを『職務放棄』として責める人間はこの世にいないだろう。自分の命があやういときには『緊急避難』というものが許されるものである。

 「なんで、氷の王ともあろうものがあんなことになったのか、確かめてやらないと気がすまないわ!」

 その一心でキーボードを叩く、叩く、叩きつづける。そして、地球回遊国家と葦原あしわら永都ながとに関する情報をありったけ拾い出す。

 地球回遊国家と永都ながとの歴史を調べあげ、なぜ、どうして、活力に満ちた『永遠の青年』があんな弱った年寄りになってしまったのか調べあげてやる。

 そのつもりだった。

 もちろん、幼い頃から恋い焦がれてきた氷の王と地球回遊国家だ。その歴史は以前から何度も調べ、よく知っている。しかし、いま一度、改めて調べてやるつもりだった。それも、徹底的に。


 地球回遊国家。

 そのはじまりは、およそ五〇年前にさかのぼる。

 もちろん、最初から『国家』などと呼べる規模だったわけではない。最初はごくありふれた高校生、のちに国王となる葦原あしわら永都ながとと、その妻であり王妃となる八島やしま七海なみ。そのふたりの出会いからはじまったのだ。

 「……ふたりが出会ったのは高校のとき。そのときから、地球回遊国家の歴史ははじまった」

 「はい。その通りでございます」

 ノウラのひとりごとに答えが返ってきた。思わず振り向くと、そこにはいつ来たのか侍従長のゾマスが柔らかな物腰のまま立っていた。

 ノウラはそのことには別に驚きはしなかった。

 いつ振り返っても、ごくごく自然にそこにいる。そんな雰囲気こそが、この根っからの侍従長にはふさわしい。

 「よろしければ、私がおふたりの歴史について語らせていただきます」

 ゾマスは柔らかな物腰のままそう言った。

 「……ええ、そうね。その方が早そうだわ」

 「それでは……」

 そして、ゾマスは語りはじめた。

 地球回遊国家。そのはじまりとなったふたりの出会いを。


 「永都ながと陛下が高校にご入学なされたとき、七海なみ殿下は同じ高校の二年生であらせられました。その頃すでに『校内№1珍獣』として知らぬものとていない有名人だったそうです。

 はい、おっしゃるとおり。『校内№1珍獣』とは、またなんとも珍妙なあだ名です。私も、はじめて聞いたときにはついつい吹き出してしまったものです。あわてて口を押える私に向かい、永都ながと陛下は笑いながらおっしゃったものです。

 『隠すことはない。おれだって、はじめて聞いたときは思わず笑ってしまったからな』と。

 そして、その№1珍獣、もとい、高校二年生の七海なみ殿下はその頃すでに『救世主部』の部長として……はい、その通り。これまた、なんとも珍妙な名前のクラブですね。そのような名前のクラブを自ら立ちあげ、部長として活動していた。

 そのことを聞いたときには『校内№1珍獣』と称されたのも当然だなと心の底から納得したものです。

 同意していただけますか。それは、嬉しいことですな。

 もちろん、当の七海なみ殿下は真面目もまじめ。本気で『救世主部』を名乗っていたのです。世のため、人のためになにかしようと日々、全力全開で活動していたそうです。

 もちろん、そんな七海なみ殿下を揶揄やゆする人も大勢いたそうです。

 『高校生のくせに救世主なんて、本気で言ってるのかよ』

 そうわらいものにする人が何人もいたとか。

 そのたびに、七海なみ殿下は不思議そうに尋ね返したそうです。

 『高校生が救世主になっちゃいけないの?』

 『小首をかしげながら、本当に不思議そうにそう尋ね返すんだよ。怒るでもなく、ムキになって言い返すでもなく、心の底から不思議そうに。それだけ、七海なみにとっては当たり前のことだったんだな』

 永都ながと陛下は懐かしそうにそう言われていたものです。

 さて、その救世主部の部長であらせられた七海なみ殿下ですが、自らの信念にもとづき日々、ひとりで――はい。当然と言うべきでしょうが、救世主部の部員は七海なみ殿下おひとりでしたから――世界を救うための活動に尽力しておられたそうです。環境美化のためのゴミ拾いから寄付金集めのためのイベントとか……。

 えっ? 世界のためと言うにはちょっとみみっちい?

 はい。まったく、その通りですね。ですが、一介の高校生ではそれぐらいしかできることがなかったのも事実。ですが、七海なみ殿下は、

 『どんなことでも、なにもやらずに『できるはずない』なんておとなぶってるよりマシ。できることからコツコツと、よ!』

 と、めげることなく日々の活動に励んでいたそうです。

 とはいえ、やはり、そんなことしかできない自分に苛立ってもおられたようです。

 とくに、その頃は温暖化の脅威がいよいよ現実のものとして迫ってきた上、『史上最大のテロと難民の世紀』と呼ばれ、世界中に難民があふれ、紛争の話を聞かない日はない、といったありさまでしたから。

 七海なみ殿下は、そんな日々に真剣に悩んでおられたそうです。

 『それこそ、学校のなかのあちこちでひとりジッと考え込んでいる姿を何度も見た。あまりにも思い詰めすぎていて、見ているのがつらい上に悲しくなる姿だった』

 永都ながと陛下はよくそうおっしゃっておられました。

 えっ? 永都ながと陛下と七海なみ殿下の接点ですか?

 そうそう。それは、永都ながと陛下が二年になったときのことです。始業式が終わり、新入部員の勧誘が解禁されると、七海なみ殿下は大張りきりで救世主部の勧誘をはじめられたのです。それはもう、見上げるばかりに大きな看板を用意したど派手なものだったとか。

 七海なみ殿下のことを知るほどに、さぞかし目立つ、目立ちすぎて学校側から取り壊されるほどに大きな看板だったことが想像できました。実際、学校側からこってりしぼられて取り壊されたそうですが。

 それはともかく、ある日、永都ながと陛下がご登校なされると、その日も七海なみ殿下は巨大看板を前に勧誘のために声を枯らして救世主部の紹介をしていたそうです。

 『……また、やっているのか』

 永都ながと陛下はそう思い、なにげなくその姿を眺めていました。すると――。

 『バチッ! と、音を立てて目と目が合ったのよ!』

 七海なみ殿下は腕を振りあげてそうおっしゃっていたものです。

 そう。なんとなしに眺めていた永都ながと陛下の視線に偶然、七海なみ殿下の視線が合わさったのです。

 それ、ヤバいでしょうですって?

 はい。まったく、その通り。視線が合ったと気づいたときにはもう七海なみ殿下に捕まり、連行され、部室へと引っ張り込まれたそうです。

 『あのときは、頭から丸かじりされるかと思った』

 と、それから何十年もたったあとでも永都ながと陛下が身を震わせながらおっしゃるほどの、それはそれはすさまじい勢いであったとか。

 そして、気がついたときには部室に連れ込まれ、入部届にサインさせられていたそうです。

 ええ、そうです。私もそう思います。永都ながと陛下ご自身がそうおっしゃったことはありませんがきっと一年間、七海なみ殿下の全力でがんばるお姿を見ていたことで知らずしらず惹かれておいでだったのでしょう。

 だからこそ、新入部員を勧誘している際にお姿を眺めもしたし、入部届にサインもした。

 私はそう信じております。

 事情はともかく、これで救世主部の部員はふたりとなりました。

 『やった! 一気に部員が二倍になった。すごい成長率!』

 と、七海なみ殿下のお喜び方はそれはそれはすごいものであられたとか。実際、七海なみ殿下も、

 『だって、あのときは本当に嬉しかったんだもの。二年間、ひとりでやってきてさ。はじめて、仲間ができたんだから』

 と、照れもせずにそうおっしゃっていたものです。

 『……それってつまり、おれでなくてもよかったんだよな?』

 『なに言ってんの。仲間を求めていたあたしの前に、最初の仲間としてあんたが表れた。それはもう運命の出会いってもんでしょうが』

 『おれにも運命を選ぶ権利ぐらいはほしかったな』

 『本当は嬉しいくせになに言ってんの。ツンデレも度か過ぎると嫌われるぞ』

 そんなやりとりを間近で見せられていると羨ましいを通りこして、妬ましくなったものです。

 ともあれ、救世主部に入部した永都ながと陛下は、七海なみ殿下に引っ張られる形で共に活動するようになりました。

 そんなある日、七海なみ殿下が二冊の本をもって部室に飛び込んで来たそうです。『大人のための乗り物図鑑 陸・海・空ビックリ大計画99』という本と『おれたちに不可能はない!』という本です。

 『陸・海・空ビックリ大計画99』は、構想はされたもののいまだ実現してはいない様々な夢のような乗り物を解説した本。

 『おれたちに不可能はない!』は、日本の建築会社がマジンガーZの地下格納庫や、銀河超特急999号の発着用架け橋などSF的な建築物をどうしたら作れるかを本気で考察した本です。

 えっ?

 そんな本があるなんて信じられない?

 いえいえ、事実は小説よりも奇なり。それは、いつの時代にも通用する真理です。本当にあるんですよ。そういう本が。私も見せていただきましたが、企業に勤めるれっきとしたおとなたちが、本気になって子どもの夢のような建築物を作ることに挑戦しているとても興味深い本でした。

 ともあれ、七海なみ殿下は『おれたちに不可能はない!』を開いて、永都ながと陛下につめよったのです。

 『ほら、見て、永都ながと! この本に海上都市が描かれているの。これを実現させればいいのよ! 陸の上に住む場所がないなら海の上に作ってしまえばいい! まさに、コロンブスの卵! 海上都市を作って、そこに世界中の難民を集める! そうすれば、難民問題なんて一気に解決よ!』

 『ちょ、ちょっとまってくださいよ、先輩。海の上に都市を作るなんて、そんなSFみたいなこと……』

 『できるんだってば! ほら、この本にちゃんと載っているじゃない』

 「いや、でも、海上都市を作るなんて、いったい幾らかかるんですか。どう考えたって高校生が手を出せる額じゃないでしょう』

 『だいじょうぶ! 費用を安く抑える押さえる方法があるから』

 七海なみ殿下はそうおっしゃって、今度は『陸・海・空ビックリ大計画99』を開いて見せました。

 『ほら、ここに氷の空母があるでしょう』

 『氷の空母?』

 『そう。正真正銘、氷で作られた空母。氷って言ってもただの氷じゃなくて、パルプを混ぜた『パイクリート』っていう氷だけどね。でも、とにかく、氷の空母を作ろうっていう計画が第二次世界大戦当時のイギリスにあったのよ。

 当時の船は潜水艦による魚雷攻撃一発であっけなく沈んでしまったから、鉄より丈夫で、魚雷に強く、しかも、安くて大量に手に入る素材として氷が注目されたの。それも、全長六〇〇メートル以上、排水量二〇〇万トン以上っていう、現代の空母と比べても桁違いに大きな船! 結局、一〇〇〇トンの実証模型まで作られながらも潜水艦対策の向上で廃棄されちゃったけどね。

 それでも、鉄より頑丈で、安くて、大量に手に入るっていう氷の特性はかわっていない。大きな氷の船をいっぱい作って、それを並べて巨大船団にして、海上都市にすればいいのよ。そうすれば費用もずっと安くすむ。海の上を回遊するから世界を繋ぐための輸送路としても使える。そして、なにより!』

 『そして、なにより?』

 『氷は太陽の光を反射する! 太陽の光を反射すれば地球は冷える! 地球温暖化を防げる! 世界中の難民に安住を地を与えると同時に地球温暖化も防いでしまう。まさに、一石二鳥の超絶アイディア!

 あたしはもう決めたわ。何がなんでもこの氷の船団を実現する。そして、地球温暖化を防ぎ、住み処を追われた人たちが安心して住める国にする!』

 そう宣言なされたあとの七海なみ殿下は、まさに猪突猛進の見本。氷の船の建設費用を得るために身を粉にして働きはじめたそうです。はじめは傍観ぼうかんなされていた永都ながと陛下も、

 『……七海なみ先輩があそこまで体を張っているんだ。男のおれがなにもしないわけにはいかないよな』

 と、一緒に働かれるようになりました。

 おふたりは時間と体力の許されるかぎり、必死に働きました。同時にクラウド・ファンディングを利用して世界中に寄付を呼びかけ、さらに、あらゆる国の政府と国際団体、大企業に連絡し、協力を求めました。

 ええ。そうです。名もない学生の呼びかけなど誰も本気にしてくれるはずがありません。誰からも無視され、迷惑がられ、ときには嗤いものにされ、資金はなかなか集まりません。

 それでも、おふたりはあきらめることなく身を粉にして働きつづけ、ついに、地球回遊国家の最初の一隻となる氷の船を作りあげたのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る