六章 笑顔が隠す涙

 「たった一隻……」

 ノウラはゾマスの言葉を聞いて、その一言の意味を深く噛みしめるように呟いた。

 「ふたりだけで用意した、たった一隻の船。いまでは、数万隻の船に一億を超える人口を抱える地球回遊国家も、はじまりはたった一隻の船だったのね」

 「そうです。ふたりの主催者とほんの数人の仲間。そして、たった一隻の船。地球回遊国家のはじまりは、たったそれだけでした。ですが、永都ながと陛下も七海なみ殿下も、たしかに最初の一歩を踏み出したのです。

 おふたりはわずかな仲間たちと共に何人かの難民を受け入れ、海へと旅立ちました。地球回遊国家の産業とするべく海運業を請け負い、船に取り付けた太陽電池で水素を製造して……もちろん、そんなことで船一隻と『国民』の生活とを維持できるわけがありません。資金繰りには相当に苦労なされたそうです。それでも、七海なみ殿下は力強い笑みを絶やすことなくいつもおっしゃっていたそうです。

 『あたしたちは正義のために行動している。『人と人が殺しあうことなく、その潜在能力を存分に発揮できる世界を作る』っていう正義のためにね。

 その正義が多くの人に魅力的なものであれば、絶対に支持者は生まれる。協力してくれる人は表れる。あたしたちの活動が世の中に広く知られるようになるまでの辛抱。それまで、がんばろう!』

 腕を突きあげてそう叫ぶ七海なみ殿下に引っ張られ、皆で必死に活動をつづけたのです。

 ネットを通じて自分たちの活動とその意義とを配信し、各国や国際NGO団体と交渉し……そうして、少しずつ自分たちの存在と活動とを世界に広めていったのです。

 すると、七海なみ殿下のおっしゃられたとおり徐々にですが支持者が生まれ、協力してくれる人々が表れはじめました。仕事の依頼が増え、寄付金がよせられ、各国やNGO団体の態度も友好的なものへとかわっていきました。

 その資金で船を増やし、船員を雇い、少しずつすこしずつ規模を拡大していったのです。

 船団の規模が大きくなればその分、運べる荷も多くなります。生産できるエネルギーも増えていきます。地球回遊国家の経済は徐々に拡大し、利益はあがっていきました。その資金を使って難民を受け入れていきました。私の親もそうして地球回遊国家に迎えられた難民でした」

 「あなたの親も?」

 「はい。内戦によって住み処を追われたのです。両親はまだ幼かった私を連れて必死に逃げました。そして、地球回遊国家へと渡り、そこでようやく安住の地を得たのです。私も幼い頃から必死に学び、必死に働き、死に物狂いで這いあがろうとしました。もう二度と、戦争などで自分の人生を踏みにじられないために……」

 ゾマスはそこまで言ってからふいに頬を赤らめた。地球回遊国家について語っていたはずがついつい自分語りになってしまった。そのことに気がつき、恥ずかしそうな表情を浮かべた。

 ノウラはそんなゾマスに向かって言った。

 「恥ずかしがることはないわ。なんの背景もない難民の子どもが必死の努力を重ねて侍従長にまでなったんだもの。堂々と誇っていいことよ」

 「ありがとうございます」

 ゾマスはそう言いながらまたも頬を赤くした。しかし、今度は恥ずかしさのためではない。褒められたことに対する照れのためだった。

 「そう。私は必死に這いあがりました。その間、地球回遊国家は拡大をつづけました。私は地球回遊国家の拡大と共に立場をあげていったのです。まさに、地球回遊国家こそは私の人生そのものなのです。そして、一〇年ほど前から地球回遊国家は一気に膨張しはじめました」

 「なにがあったの?」

 「地球回遊国家の存在意義が各国に理解されるようになったのです。氷の船団で太陽光を反射することで温暖化を防ぎ、難民を受け入れ、再生可能エネルギーを生産する。地球回遊国家がそれまでにやってきた活動がついに世界規模で認められ、国際社会からの全面的な支援を受けられるようになったのです」

 「難民の存在はどの国にとっても頭の痛い問題だものね。お金を払うだけでよそに引き取ってもらえるならいくらでも出すということね」

 ノウラは少なからぬ皮肉を込めてそう言った。しかし、ゾマスは真剣そのものの態度で言いきった。

 「各国の思惑おもわくなど問題ではありません。重要なのは、それによって故郷を追われた人々が第二の故郷を得られるようになったということです」

 「たしかに、その通りね。国際社会からの支援が他人に難民を押しつけることを目的としたものだったからと言って、その支援によって多くの人々が救われたことにはかわりないものね」

 ノウラはそううなずいた。利口ぶって皮肉っぽい言い方をしたことを後悔し、恥ずかしさのために頬を赤く染めた。

 ゾマスはノウラに提案した。

 「いかがですか、ノウラさま。ここから先は実際に永都ながと陛下と七海なみ殿下の為されたことの結果を、すなわち、地球回遊国家の現在の姿を見ながらお知りになるというのは」

 言われてノウラはなうずいた。

 確かに、その方がわかりやすいというものだ。

 「そうね。では、案内をお願いするわ」

 「はい」


 巨大な氷の船の上に作られた氷の町。

 氷の建築物が建ち並び、まるで、中世のお祭り騒ぎを描いた絵画のなかから出てきたような突飛な格好をした人々でごった返すその町のなかを、侍従長ゾマスが操る馬車がゆっくりと走っている。

 ゾマスが手綱をとるその後ろでは、氷の国の未来の王妃ノウラが生まれてはじめて外に出た子どものように、好奇心丸出しの顔であたりの様子を熱心に見つめている。

 そのキラキラした目といい、熱っぽい頬といい、まさに『好奇心いっぱいの男の子』という印象。その生きいきとした表情が『世界で二番目に美しい』と言われるその美貌びぼうをより一層、引き立てている。

 実際、いまのこのノウラを見て『世界で二番目』などと思う人間はいないだろう。誰であれ『ノウラこそ世界一の美女だ!』と思うにちがいない。単なる造形に限れば腹違いの妹であるズフラの方が優れていることはまちがいないのだが。

 氷の建築物の建ち並ぶなかを、仮装行列のような人々が埋め尽くす。およそ、目につく場所という場所で大道芸人たちが自らの芸を披露し、路上アーティストが絵を飾り、歌を唄っている。

 そのなかの、ひときわ張りのある声がノウラの耳に届いた。


 どんなに理想を語ってみても

 金にならなけりゃ叶いはしない


 「金にならなけりゃ叶いはしない、か」

 ノウラは、耳に飛び込んできた歌詞の一部を口のなかで繰り返した。

 「正直でいいわね。まったく、その通りだもの」

 ノウラはいささかの遠慮もなしにそう言いきった。

 ノウラ自身、つい先日までの祖国であったナフード王国のために様々な改革案を考案し、国王アブドゥル・ラティフに提示してきた身。どんな理想も、改革案も、実現するためには金が必要だという現実は骨身に染みて知っている。

 「はい。まさに、それこそは永都ながと陛下、そして、いまは亡き七海なみ殿下の根本的な認識でした」

 ゾマスが懐かしさを込めて口にした。

 「金になる。おふたりとも、ご自分たちの理想を実現させるためには、なによりもそれが大事だということを知り尽くしておりました。そのために、どうやって必要な金を稼ぐか。そのことを常にお考えになっていたものです」

 「なるほどね。それで、できあがったのがこの町風景。常にカーニバルの異世界のようだと言われる光景なのね」

 「ああ、いえ。それは、ちがうのですが……」

 「ちがう? そういえば、さっきもそんなことを言っていたわね」

 「はい。カーニバルのようなこの光景は、あくまで結果なのですよ」

 「あくまで結果? どういう意味?」

 「もともとは、住人の劣等感を刺激しないために行われたことなのですよ。地球回遊国家は、世界にあふれる難民たちの安住の地となるべく作られました。その理念のもと、多くの難民を迎え入れてきました。そして、難民の多くは戦争の被害者。と言うことは、つまり……」

 「と言うことは、つまり?」

 「多くの人が体に欠損を抱えている、と言うことです」

 「あっ……」

 「腕を斬り落とされた人、地雷で足を吹き飛ばされた人、爆撃によって顔が焼けただれた人……。様々です。そんな人たちが自分の姿に劣等感をもたなくてすむよう住人たちが自ら仮装しはじめた。それが、この町風景のはじまりなのですよ」

 「……そんな理由だったの」

 「はい。それが、いつの間にやら世界的に評判になり『毎日がカーニバルの国』として有名になり、観光名所となったのです。永都ながと陛下にとっても、七海なみ殿下にとっても、この展開は意外なものだったようです」

 「……そう」

 「いまでは氷の国の基幹産業となっているジャパニメーションの制作。それも、もともとは難民自立のための事業でしたからね」

 「難民自立?」

 「はい。たとえ腕がなくても、足がなくても、顔が焼けただれていても、声さえ出れば声優にはなれる。声優になれば金を稼ぐことができる。誰の世話にもならず――つまり、誰にも支配されることなく――自分の力で人生を渡っていける。自分で稼ぎ、自分に誇りをもって生きていける。その信念のもと、アニメ制作に力を入れてきたのです。その甲斐あって、いまでは世界最大のアニメ生産国となっております」

 「……そうね。氷の国のアニメは世界でも大人気だものね。ナフードの王宮にもたくさんの氷の国制の円盤があって、アブドゥル・ラティフもズマラも夢中になって見ていたものだわ」

 もちろん、わたしもだけど。

 ノウラはそう付け加えた。

 「だけど、氷の国のアニメ制作が難民自立のためだなんて知らなかったわ。そんなこと、聞いた覚えないけど……」

 「その点は、あえて隠しておりましたゆえ」

 「隠していた? どうして?」

 ノウラは『世界で二番目の美貌びぼう』にキョトンとした表情を浮かべて尋ねた。

 これは奇妙なことだった。常識的に考えても『傷ついた難民たちが作っています』と宣伝した方が売りあげはよくなるはずだ。

 しかし、ゾマスはそんなノウラの疑問を見透かしたように手厳しい口調で言った。

 「傷ついた難民が必死に作ったアニメ。そんなことを売りにしていては甘えが生まれる。いつまでたっても、中身で世界と勝負できるアニメなど作れはしない。作り手たちに甘えさせることなく、あくまで中身で勝負させる。それでこそ、難民の真の自立につながる。そのために難民の手によって作られていることは隠しておかれたのです」

 そう言われて、ノウラは自分の考えの甘さに恥ずかしくなり、美しい頬を赤く染めた。

 「……たしかにそうね。かわいそうな難民たちががんばって作っている。だから買ってあげよう……それでは、ただの同情。本当の意味での商売とは言えないし、自分たちの仕事に対する誇りももてない。産業として確立し、人々に『働く喜び』をもってもらうためには、そんなことは表に出さない方がいい。そういうことなのね」

 「はい。その通りでございます」

 「でも、そんなふうに考えて行動するなんて、厳しいのはもちろんだけど、それだけではできないでしょうね。本当に、相手のことを思っていないと。きびしさと優しさ。その両方がないと。

 そして、永都ながと陛下はその両方をもっていた。だからこそ、そう考えることができたし、実現させることもできた。いまでは、氷の国は世界中の難民に安住の地を与え、自分の力で生活するすべを与えている。

 すごいことだわ。それだけのことを成し遂げたなんて心から尊敬するし、あこがれる」

 でも、と、ノウラはくやしさを込めて両の拳をギュッと握りしめた。

 「……そんな人が、いまではあんな無気力な年寄りになっているなんて」

 「……はい」

 と、ゾマスもいまの永都ながとの姿には思うところがあるのだろう。少々の後ろめたさを見せながらそれでも、ノウラに賛同してみせた。

 「すべては五年前、七海なみ殿下が亡くなられてからです。それ以来、永都ながと陛下はすっかりふさぎ込まれてしまい、気力もなくされてしまったのです」

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