推しはお怒り

 ひょっとして……怒っている?

 目は赤くなってないし、肌を刺すような殺気も感じないから自信はない。でも、さっきまで別の何かに向けられていた矛先が、こっちに照準を合わせたのは間違いなさそうだった。


「あのぉ……怒ってます……?」

「自分の所有物に他の雄の臭いがついていて不愉快にならないとでも?」


 そう言いながら、推しはわたしの髪に触ってくる。遠慮なく引っ張られるから普通に痛い。ちょうど焦げを隠蔽した場所なのもあり、思わず身をよじらせると、咎めるような鋭い眼差しを向けられた。


 推しと対峙しているのがまひろだったら、推しの無自覚嫉妬萌え~! とテンションが爆上がりしているところだ。しかし、今推しの目の前にいるのはわたしである。いくら自分のものに手を出されるのが地雷とはいえ、これはちょっと過剰反応しすぎなのでは?


「飼い犬にまでそんなこと言ってたら、好きな子ができた時に苦労しますよ?」

「胸糞悪い烏の臭いに犬も女も関係あるか」

「からす……?」


 思わず心配したらやけに具体的な単語を出されて、首を傾げながら紫色の目を見上げる。

 …………あっ。


「そっか、小龍さまにも効かないんだった」

「……〝も〟?」

「あっ」


 まずい、口を滑らせたかも。

 そんなことを思うも、時すでに遅し。紫の目に赤色がじわりと滲んだかと思うと、推しはさらに顔を近づけてきた。


 近い近い近い近い近い近い。そして怖い!


「……まさかお前、わかっているのか?」

「黙秘権!」

「ここでの黙秘は肯定と同義だが?」

「…………それもそうですね!」


 嘘をつけないなら黙っていればいいのではという作戦は秒で破綻した。


「ちっ。魂の理が違う者には幻術の効きが悪いということか」


 得心がいったように呟きながら、推しは不機嫌オーラをどんどん強めていく。怒っているだけで殺気とかは感じないんだけど、それでも生きた心地がしない。イケメンに押し倒されるのは本日二回目なのに、どうしてどっちも命の危機的な意味でのドキドキなのか。


「……あ、わざと手引きしたとかじゃないですよ!? わたしが推し……小龍さまを裏切るわけないじゃないですか!」

「安心しろ。お前にそんな腹芸ができるとは思っていない」

「安心と一緒に心外な気持ちを感じるのですがそれは」


 遠回しに単純ってディスられてない?

 でもよかった。推しを裏切るなんてありえないという気持ちが強すぎて推しから裏切り者認定される可能性を完全に失念していたから、今めちゃくちゃ冷や汗をかいてしまった。今度から気をつけよう……。


 そんな決意をしていると、大きな手にほっぺたを掴まれた。推しに見られたくない顔になっている確信とともに、心がスンッとなる。人間、キャパシティを超えると逆に冷静になる。


「ふぁんですか」

「お前は、俺の所有物だという自覚がなさすぎる」

「…………禁止! わたしへの攻略キャラムーブは禁止です!」


 ゲームで百回くらい聞いたような台詞に、思わず腕でバツ印を作りながら叫んだ。


「理解できる言語で喋れと言っているだろうが」

「雰囲気で理解してください! とにかくっ、そういうのは気になる女の子にしかやっちゃいけません!」

「知るか。今俺のものなのはお前だろうが」

「それはそうなんですけどー!」


 友好度が上がるのは大歓迎だけど、そういう方向性の好感度が上がるのはNGである。繰り返すが、わたしは主人公まひろのポジションをとりたいわけじゃないのだ。

 なんとか話題を逸らさねばと思っていると、こんこんと、救いのノックが響いた。

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