推しはご機嫌ななめ

「……この馬鹿犬」


 夜。いつものようにやってきたわたしを見るやいなや、推しは開口一番そう言い放った。


 怒られるのはわかっていたけど、想像以上に火の玉ストレートだ。見た感じは怒っているというより呆れている感じだけど、それは謝らない理由にはならない。内心びくびくしつつ、わたしは深く頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。外出早々トラブル起こしちゃって……」

「そんなことはどうでもいい」

「へ?」

「は~……。いい。忘れろ」


 少しもいいと思っていなさそうな不機嫌顔をする推しの後ろで、長い三つ編みが生き物みたいにひとりでに動き出す。つられてそっちに視線を向けた直後、三つ編みの先端が勢いよくべしんっと壁を叩いた。

 たったそれだけなのに、建物全体がびりびりと震える。思わず「ぴゃっ」と声が出た。

 こ、これは、推しが辰を呼ぶ時にするやつ……!  生で見られた……!


「なんだ。今さら怖気づいたか?」


 感動していると、怪訝そうな顔をした推しがそんな言葉を投げかけてきた。


「えっ、なんで?」

「改めておれたちの生態を見たヒトは、大抵が畏れの眼差しを向けてくる」

「えー? かっこいいと思うけどなあ、人外しぐさ」


 中二病というか小学生みたいな感想を口にすると、推しは一瞬だけぽかんとした後、呆れたようにため息をついた。


「来い」

「はい?」

「来いと言っている。主人の命令は一度で聞き分けろ、駄犬」

「ちょっと聞き返しただけなのに……」


 不平を口にしながら、言われた通りベッドに座る推しに近づく。

 ぐるん、ばたん。

 気づいた時には、巻き付いてきた三つ編みに引っ張られ、ベッドの上に転がされていた。


「……………………こういうのは好きな人にしかやっちゃいけないと思います!」

「気色が悪い言い回しをするな」

「だってぇ! だってーっ!」


 三つ編み拘束はまひろにだけやってほしいのに!

 なんとか逃れようとじたばたするも、三つ編みはしっかりとわたしの体に巻き付いて離れる気配がない。そうこうしているうちに扉がノックされ、辰が顔を覗かせた。


「何のご用でしょうか、頭目」

「西からやってきたとかいう半妖を連れてこい」


 辰は縛られたわたしを見て青い目を丸くしたものの、すぐに元の細目に戻して声をかける。推しはといえばすぐにやってきた腹心を労うでもなく、不機嫌そうな声で用件を口にした。


「お会いになるので?」

「気が変わった」

「……承知しました。すぐに連れて参ります」


 辰も慣れたもので、それ以上理由を聞くこともなく素早く踵を返す。そして当たり前のように助けてもらえなかった。


 とはいえ、わたしも逃げ出すより先に聞きたいことができてしまった。

 半妖ってヤタのことだよね?


「会うつもりがなかったのに会うんですか?」

「まあな」

「気になることでも?」

「お前には関係がない」

「一応連れてきたのはわたしなので……」


 正確に言うとダシにされたんだけど。


「恩人のことがそんなに気にかかるか?」


 食い下がっていると、バカにするような笑い顔でそう言われた。

 恩人……? あっ、ヤタのことか。


「そこで怪訝そうな顔をするな」

「いやあ、命の恩人だって頭ではわかっているんですが……。小龍さまと接触するために体よく利用されたなあという感想の方が強くて……」

「利用されたとわかっていて、その上で気にかけるのか? 相変わらず砂糖のように甘ったるい頭だな。それとも、飼い犬らしく俺の心配か?」

「えっ、小龍さま強いじゃないですか。わたしが心配する必要あります?」

「……」

「それに、ヤタもなんだかんだうまいこと逃げそうだし……。ただ、なんで会ってみようと思ったかわかると後々妄想する時にはかどると言いますか……」

「……ヤタ、か。随分と親しげに呼ぶものだな」


 小バカにするような声から一転。ワンオクターブ低くなった声がしたかと思うと、推しはわたしの上に覆いかぶさってきた。

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