推しwith朝ごはん

 厨房のすぐ近くにある食堂は、主に小龍が食事をするために用意された部屋だ。部下の皆さんが自由に使える食堂に比べるとやや狭いけど、その分内装が豪華である。ちなみに、異世界転移初日に点心を食べさせてもらったのもここだったりする。


 推し以外にここを使うのは、次席の辰や側近の娟珊姉妹くらい。だからか、推しはさっきまでつけていた狐面を外し、退屈そうな顔を露わにした状態で座っていた。

 毎晩拝ませていただいているご尊顔は、朝見ても変わらず世界一かっこいい。

 鑑賞したい気持ちをぐっと堪えながら、わたしは推しが座るテーブルへと近寄った。


「お待たせしました、辰さん特製のおいしいお粥ですよ」

「ん」


 湯気が立つどんぶりを前に置けば、短い相槌とともに推しはレンゲを手に取る。

 今度はそれをきちんと見届けてから、向かいの席に腰かけた。推しと向かい合いながらご飯を食べるなんてたく正直したくないんだけど、この前距離をとって座ろうとしたらそれがお気に召さなかったようで、正面に座るよう言いつけられてしまった。

 推し、あまりにも気難しい。ここらへんはゲームと同じだ。

 せめてお行儀よく食べようと今日も思いつつ、わたしもレンゲを手に取った。


「いただきます」


 一礼しつつ、レンゲで掬ったお粥を口に運ぶ。

 お粥と言っても、水で柔らかく煮たやつじゃない。鶏ガラや貝柱の出汁でお米を煮込んだいわゆる中華粥だ。口に入れれば鶏のうまみをたっぷり吸ったお米とスープの味が広がり、空腹を和らげてくれる。お粥は食べた気がしないからあまり好きじゃなかったんだけど、この中華粥はいくらでも食べられた。

 鼻を抜けるごま油の風味や、舌の上で柔らかくほぐれる鶏肉も食欲を刺激する。夢中になってレンゲを動かしていると、視線を感じた。


 慌てて顔を上げると、愉快そうに紫の双眸を細めた推しと目が合った。

 カアッと、二重の意味で頬が熱くなる。


「なんだ? 俺に構わず好きにがっついていいんだぞ?」

「無理ですが……?」


 そう言いながら、打って変わってちびちびとお粥を啜る。


 うう、またやってしまった。辰や娟が作るご飯がおいしすぎるから、気づくと食べるのに集中してしまうのだ。さすがに下品な食べ方にはなってないけど、ご飯を食べるのに夢中になっている姿を推しにみられるのはかなり恥ずかしかった。

 でもおいしいんだよね、二人のご飯。

 世界観のベースが大正時代ということもあって、味付けも現代とそこまで極端に違うわけじゃないし。もちろん歴然とした差異はあるけど、異世界のご飯と思えば気にはならない。


「またナギをからかっているんですか、小龍」


 縮こまりながらもどんぶりの中身を減らしていると、良い匂いとともに助け舟がきた。


「子供とは言え、淑女が食事している姿を揶揄するのはいただけませんよ」

「揶揄する? 心外だな。飼い犬の食事を観察するのは飼い主として当然のことだろう?」


 お粥のおかわりと揚げたてのヨーティヤオを運んできた辰がそう言えば、給仕される前にヨーティヤオをつまんだ推しは、パンをお粥に浸して食べながらしれっとそんな言葉を返した。

 うーん、ぶれない。さすがの傍若無人。


「ナギも、小龍のことなんて気にせず好きに食べなさい」

「ぜ、善処します」


 一方の辰は、そんな推しとは真逆の、紳士な態度で揚げパンをサーブしてくれた。

 プレーンなやつが一つと、さっき推しがおねだりしていた砂糖をまぶしたやつが一つ。砂糖をまぶしたやつの見た目が完全にツイストドーナツで、テンションが上がってしまう。デザートとして食べようと思いながら、推しに倣ってプレーンな方をお粥に浸した。

 パンとお粥ってどうなの? って最初は半信半疑だったけど、これがなかなかおいしい。鶏のスープが染みたヨーティヤオをできるだけ小さく開けた口を食べていると、推しにおかわりを給仕し終えた辰が、そうそう、と推しに話を振った。


「今日赤午の方へ買い出しに行くつもりなのですが、ナギを連れて行っても構いませんか?」

「え?」

「荷物持ちにならんだろう、こんな薄っぺらい仔犬」

「薄っぺらい!?」


 失礼な形容詞に思わず声を上げる。

 そんなわたしの頭をぽんぽんと撫でてから、辰は話を続けた。


「小龍がこの子を連れてきてからそろそろ月が二回りします。その間、ろくに外に出してやってないでしょう? 犬というなら、たまには散歩をさせないと」

「ふむ」


 そう言われ、推しは甘くなったヨーティヤオを片手に少し考え込む。

 その間に大きく開けた口で揚げパンをぺろりと平らげると、指の腹についた砂糖を、R18指定したくなるようなエッチな仕草で舐める。思わずドキドキしながら見入っていると、伸びてきた手がわたしのツイストドーナツ(もどき)を奪った。

 そのまま、推しの口の中にドーナツが半分消える。


「あーっ!」

「まあ、どうせ逃げられんしな」

「そういうことです」


 わたしの悲鳴をよそに、二人は会話を進めていく。

 人の心がない。まあ、推しは人じゃないし辰も半分しか人じゃないんだけど。

 デザートを失った悲しみに暮れつつ、気分を切り替えるため首に触る。


 わたしの首には龍の鱗みたいな模様が刻まれていて、触るとざらざらとした、ちょっと硬い感触が返ってくる。推しはどういうものなのか説明してくれなかったけど、小龍ルートだとまひろの首にも同じものが刻まれているから大体は知っている。要するにGPS付きの首輪だ。

 ゲームに出ていたあれが自分の首にあるのに気づいた時は、そりゃあまあショックだった。わたしが推したいのは推し×まひろなのだ。よくある転生ものみたいにまひろのポジションを奪いたいわけじゃない。

 娟曰く、歴代のペットにつけている首輪らしいから、ひとまずそれで心を落ち着けている。まひろが特別だったわけじゃないというのは、それはそれでショックだけど、唯一無二をわたしが奪ってしまうのに比べたら億倍マシである。


 そんな首輪がついているにも関わらず、辰が言ったように、わたしはこのアジト――より正確に言うならこの世界に来てから、一度も外出を許されたことはなかった。なぜなら推しが許可しなかったからだ。

 まあ、推しの秘密を知っているし、無面事件の裏事情も色々知っているから、この扱いも当然と言えば当然である。万が一にでも拷問されたらさすがに全部吐く。一般オタク系女子高生に拷問耐性なんて期待してはいけない。


 なので、不満はあったけど仕方ないとは思っていた。思っていたけど、引きこもっていては元の世界に帰る方法は見つからない。一応約束通り推しが探してくれてはいるみたいだけど、優先はしてくれないだろうし……。

 つまりこれは、今まで滞っていたことを色々とできるチャンスでもあるわけで。


「とりあえず小龍さま、辰さんと買い物行ってきてもいいってことでいいですか!」

「仕方がないな。ただしその恰好で出るなよ、いらん騒ぎの元になる」

「やったー! 辰さん、ありがとうございます!」

「男たるもの、女性に気を遣うのは当然ですから」

「おおう、かっこいい……」


 感謝を伝えれば、イケメンな台詞が返ってくる。

 ツラが良い男は性格も良いって思いかけたけど、ツラは最高に良いけど性格はよろしくない男がすぐ近くにいたので思い直した。代わりに顔が最高に良いんだけど。


「ふが」


 そんなことを考えていると、いきなり推しに鼻をつままれた。


「飼い主以外に尻尾を振るのは感心せん」


 内心びくびくしていると、推しは不服そうな顔でそんな言葉を口にした。


「ごはんをくれる人に懐くのは、犬として当然のことでは……?」

「衣食住を保証してやっているのは俺だし、散歩の許可を出したのも俺だが?」

「それだけでペットが懐いたら、世の飼い主さんは苦労してないと思うんですよ」

「尻尾を振らせたかったら優しくしろと? まあ、たまには可愛がってやってもいいが」

「えっ、小龍さま、人に優しくできるんですか!?」


 思わずそう叫んだ。

 ゲームでもここでもなんだかんだ子供(というか珊)には甘いし、攻略ルートだとまひろには優しさを見せる時もあるけど、それ以外で優しさを発揮する推しの姿はちょっと想像できない。

 直後、小龍が変な顔をして、辰に至っては急に噴き出した。え、何事?


「ふ、ふふふ……。少しは飼い犬への態度を改めた方がいいのではないですか、小龍」

「……」

「えっ、わたし、そんなに変なこと言いました……?」

「いえ。大物だなと思っただけですよ」

「ホワイ……?」


 首を傾げながら推しの方を窺うも、推しは苦虫を噛み潰したような顔をするばかりで何か言う気配はない。うーん、わからない。気に入らないことを言ったら口に出すか目が据わるかのどちらかだから、ご機嫌を損ねたわけじゃないと思うけど。


「……そろそろ行く。仔犬、見送りをしろ」

「あっ、はいっ、わかりました!」


 クソデカため息をついた後、推しが席を立つ。そのまますたすたと歩き出したので、わたしも慌てて立ち上がった。


 歩幅への配慮は当然のようにされないし、わたしが着くのをわざわざ待ってくれたりはしないだろうから、置いていかれないよう必死についていく。これしきの運動で疲れるほどやわな身体能力はしていないけど、さすがに推しの部屋についた時は少し息が乱れていた。

 そんなわたしを紫の目で一瞥してから、推しはさっきまで羽織っていたナイトガウンを放り投げてくる。それをキャッチしてから、わたしはいつものように手を振った。


「いってらっしゃい、小龍さま」

「……」


 中国には挨拶を返す風習がないようで、ふわりと浮いた推しは何か言うでもなく、そのまま空に飛び立っていく。その姿が雲の中に消えていくまで見送った後、わたしは踵を返した。

 まだ朝は早い。片付けは辰がしてくれるし、自室で二度寝にしゃれこむとしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る