はじめてのおでかけ

 初めての外出に備えて、二度寝から目覚めたわたしは地理の復習をすることにした。


 燈京は、細かい区画はあれど、基本的には四つの地域に分けられている。

 まず北西、燈京の実質的な支配者である妖狐の一族・神代家と、その分家や部下、従者といった関係者が住んでいる「乾」。希介の屋敷もここにある。

 燈京の中では最も妖の比率が高くて、人間はほとんど住んでいない。また、純血を重んじ、基本的に種族が大きく異なる妖同士で交わることがないため、半妖のような存在への風当たりが一番強い。六花ルートや颯太ルートでは妖主義の風潮で苦労することになる。


 そんな乾から東、北東にあるのが「艮」。南、南西にあるのが「赤午」。

 艮を治めているのは、まひろの幼馴染にして攻略キャラの一人、そして推し声優がCVを担当する夜光時雨しぐれが率いる夜光一族。

 今から五〇〇年くらい前に西洋から渡ってきた鬼と土着の民が交わってできた一族で、作中では「鬼」としか言われてないけど、吸血鬼がモチーフなのは間違いない。なので人間とは共存関係になっていて、血を提供する代わりに極道もので言うケツモチみたいなことをしている。だからか、艮に住んでいるのは商売人が多いとか。


 元々は艮も神代が治めていた――より正確に言うなら、鬼門から出てくる悪いものを退治していたんだけど、おっつかなくなってきたので夜光一族と契約を結び、彼らに任せることにしたという経緯がある。そのため表向きは神代が主、夜光が従という形だけど、実態としては対等関係に近く、そのせいで乾とはひりつくこともある。まあ時雨ルートだと、伝奇因習一族がメインだからあまり多勢力と絡まないんだけど。


 一方の赤午は、そんな伝奇雰囲気とは無縁の場所だ。燈京で最も広く、人間も一番多いこの地域は妖たちには中立地帯として扱われていて、妖はここで騒ぎを起こさないのが暗黙の了解となっている。広い分目も届きづらいから赤いチンピラや緑のチンピラみたいなのはごろごろいるけど、それでもしがらみだの因業だのが渦巻く乾や艮に比べれば自由な場所には違いない。主人公であるまひろはここの住民で、各ルートのデートイベントは大体ここで発生する。


 そんな赤午の東、海に面した南東に広がる「巽」。

 燈京で最も自由な場所にして、最も治安が悪い場所。元は赤午にあった異人街だったものが、一人の龍妖を旗頭にした組織回礼の台頭によって百年前から急激に統率され、今では巽という名前で呼ばれるようになってしまった。

 回礼おれいまいりの名に相応しく礼にも非礼にも全力で応える方針のため、神代でもおいそれと手が出せない。そんな神代への挑発か、巽を築いた回礼の頭目は白い狐の面をつけている。つまりは我らが推しの本拠地なのだが、今回は関係ないので割愛。


 とまあこんな感じにゲームのメインスポットはばらけているわけで、一介の女子高生にはとても手に負えない。広大な街からろくな手がかりもない状態で元の世界に戻る方法を見つけるなんて無理ゲーすぎる。

 誰か協力してくれそうな人がいれば話は違ってくるんだけどなあ。

 どっかにいないかなあ、身軽な道楽好き。いないよなあ……。


 とはいえ、嘆いていてもないものねだりをしていても何も始まらない。諦めたらそこで試合終了だとバスケ部顧問も言っている。

 まずは地道にできそうなところから。

 目指すは「ゆら恋」の主人公にして物語の台風の目、一宮まひろとのエンカウント!

 …………なんて思っていた時期がわたしにもありました。

 わたしは甘く見ていた。

 燈京で一番広いと言われる場所から、たった一人を見つけることの難しさを。



     ◇◇◇



「赤午、広すぎ!!」


 休憩のため立ち寄ったお茶屋さんで、わたしは今日の感想を叫んだ。

 何事かと言わんばかりに周囲の視線が突き刺さる。慌てて手のひらで口を覆うと、隣からくすくすと上品な笑い声が聞こえてきた。


「お、お恥ずかしいところを……」

「赤午は東国でも大きな街ですからね。初めてでは面食らうのも仕方ないでしょう」


 そんなフォローを入れてくれる紳士、辰。優しい。

 連帯責任で辰に恥をかかせるのは申し訳ない。思ったことを脊髄反射で口にするのはやめようと、この世界に来てから何度目になるかわからないことを考えていると、お姉さんがお茶とお団子を運んできてくれた。


「ありがとうございます~」

「ありがとうございます」

「ご、ごゆっくり!」


 辰がにこりと微笑めば、お姉さんは頬を赤らめて慌てて引っ込んでいく。

 うーん、イケメンは罪。何ならお団子も注文した数よりちょっと多い。


「次席自ら買い出しって変な話だなあって思ったんですけど、あんなにおまけしてもらえるならそりゃあ辰さんが買い物行きますよね」

「ははは。自分で見定めたいというのが第一ですが、とはいえそれも否定はできませんね。頭目が浪費家な分、次席は倹約に務めねばいけませんから。巽だと貢がせてしまいますし」


 買い出し中のことを思い出しながらそう言えば、今度は苦笑が聞こえた。自分が優遇されている自覚はあるらしい。

 うーん、イケメン罪……。その罪が重すぎて、女の店員さん相手だと聞き込みがはかどらなかった。とはいえ、男の店員さんからまひろの目撃情報を聞いても芳しくなかったから、多分この辺りのお店は普段使いしてないんだろう。


 表向きはどこにでもいる普通の女の子だからなあ……。

 ゲームでも家の詳しい場所は描写されない。昔住んでいた艮にある家からだいぶ離れた場所にあることしかまひろは独白してくれなかった。回礼のアジトみたいに観光スポットばりに有名なら最悪凸もできるけど、兄妹二人暮らしの家なんて、ご近所さんか知り合いくらいしか知らないだろう。


「ですが、今日はナギがいたおかげでさらに安上がりで済みましたね」


 人探しの難しさを痛感していると、そんな言葉をかけられた。


「あ、そうなんですか?」

「笑わせてもらった礼にと、肉屋の店主が多めに包んでくれました」

「あはは……。あっ、お団子っ、おいしいっ!」


 ごまかすような笑い声を零しながら、わたしはわざとらしくお団子に手を付けた。

 気さくな肉屋のおじさんに「お兄ちゃんと一緒に買い物かい?」と聞かれたのが少し前のこと。それに対してつい「こんなイケメンとわたしが???失礼ですがおめめは正常ですか???」とマジレスしてしまい、おじさんを爆笑させたのがその直後のできごとである。

 冷静になると乾いた笑いしか出てこない。

 あれで爆笑してくれた肉屋のおじさん、懐が広すぎる。


「……そういえば、なんで今日は連れ出してくれたんです?」


 お団子を頬張りながら、話をそらすついでに、今朝からずっと気になっていた質問を投げかけた。


 頭目である小龍が日中はほとんどいないから、その間は辰が回礼の実質的なトップだ。小龍が雑事を押しつけているのもあって、ゲーム中は多忙なことが多い。そしてそれは、この世界でも変わらなかった。

 ゲームだと息抜きと称してまひろとデートするイベントがあるから、全く暇がないというわけじゃないんだろう。でも、貴重な時間を頭目のペットの散歩に費やすのかと言われると首を傾げる。買い出しの手伝いという体ではあるものの、食料が入った買い物籠は辰が持っているから荷物持ちにもなっていない。おまけの件がなかったら完全にただの賑やかしだ。

 そんなわたしの質問に、辰は微笑みながら口を開いた。


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