選択肢の見えない問答
「……つまり、お前は違う世界から来た人間で、そこでは俺たちのことが物語になっている。お前はその物語を通して俺たちのことを知ったと。そういった認識で相違ないか?」
「はい。仰るとおりでございます」
「なるほどな」
的確な要約をした推しに、わたしはこくこくと頷いた。
話し終えた瞬間に一笑に付されてもおかしくないと思っていたんだけど、予想に反して推しは真面目に考え込むような素振りをしている。思考の邪魔をされたくないというオーラは感じなかったので、沈黙に耐え切れなくなったわたしは声をかけてみることにした。
「寝言は寝て言えって一刀両断されると思ってました」
「与太話じみているなとは思っている。だが、それを言うなら俺がそういう存在だからな。異界の話も天眼通の話も、珍しいがないこともない。頭ごなしに否定するつもりはない」
「なるほど……」
「それより、今の話が嘘だと思われていないかと不安にはならんのか」
「えっ? だって小龍……さま、嘘ついたらわかるじゃないですか」
そのおかげで、どれだけ内容がトンチキでも、推しには本当のことを言っていると伝わる。初見攻略の時にはさんざん悩まされたたうそ発見器能力が、まさかこんな形でプラスになるとは思わなかった。
そんなことをしみじみ思っていると、推しが面白くなさそうな顔をしていた。
えっ、なになに。地雷踏んじゃった?
「あのぉ……。わたくし、何かまずいこと言っちゃいました?」
「何も言っていない。気にするな」
本当かなあ……。
まあ、嘘を嫌う推しは自分でも積極的に嘘はつかない。ひとまずなんとかやりすごせたと思うことにしよう。精神衛生上のためにも。
「言っておくが、嘘をついていないからといってお前を信用するかどうかは別の話だ。そこはちゃんと弁えておけ」
「うす! もちろんです!」
「わかっているならいい」
そう言い終えると、区切りとばかりに推しはベッドの上で片膝を立て、そこに肘をつく。
わたしも姿勢を変えたい。そろそろ正座がしんどくなってきたし、何より首が痛い。そう思うものの、口には出せずにいる。推しセンサーが今はダメだと言っているような気がしたからだ。
「……おい、ガキ」
「うす!」
ほら、なんかきた!
痺れ始めている足の裏を無視して、わたしは元気よく返事をした。
「質問がある。正直に答えろ」
「はい、何なりと!」
「この燈京で起きている事件については知っているな?」
「っ」
質問を装った確認の言葉に、さっきまでとは別の理由で緊張が走った。
その話、出るかあ……。珊が生きているから起きていないんじゃないかって期待したけど、そういうわけにはいかないらしい。
――春のある日。燈京の赤午で、妖が殺されているのが見つかった。
今まではこういう事件が起きても、人間より優れた五感を持つ妖の手によって犯人はすぐに捕まっていた。だから今回も、下手人はすぐに捕まるだろうと。そんな人々の予想に反し、犯人はいつまでたっても見つからなかった。なぜなら、鼻がきく妖の嗅覚をもってしても、犯人のにおいを特定することができなかったからだ。
捜査が思わぬ難航をする中、被害者は増えていくばかり。
そのうち犯人は〝無面〟と呼ばれるようになり、事件は誰もが知るところになる。
「ゆら恋」の物語は、主人公である一宮まひろの兄・
「率直に聞く。無面は誰だ」
「……えっと、それは」
なので、そんな質問にも答えようと思えば答えられる。
でも、これはどうなの? ここが本当にゲームの中の世界なのか、それとも「ゆら恋」そっくりの異世界なのかはわからないけど、「ゆら恋」の登場人物たちがいる以上、無面事件が彼らにとって重要な分岐点になるのは間違いない……と思う。それをこんなずかずかと介入して、はたしていいのだろうか。
だけど、このまま何もしなかったら被害は増えるし、何より珊が死んでしまう。こちとら、平和な現代日本出身のしがない女子高生である。回避できる惨劇を見過ごせるような倫理観は持ち合わせていない。
喉をこくりと鳴らしてから、わたしは恐る恐る口を開いた。
「……む、無面のことも、なんなら黒幕のことも教えますっ。その代わり、お願いがあるんですけどっ」
「ほう、言ってみろ。聞いてやらんでもないぞ?」
「じゃあえっと、その……。珊を、殺さないでほしいなって……」
「――――」
言った。言ってしまった。
口にした直後から後悔が押し寄せる。
推しだって、生半可な覚悟で珊を犠牲にすると決めたわけじゃない。三〇〇年生きてきた中でようやく見つけた同類を逃さない代わりに、自分のものを一つ捨てることにした。わたしが口にしたのが、その気持ちを踏みにじるものだと言われたら否定はできない。
でも、だって、でもでも。
「ガキ」
「はい!」
頭の中で言い訳をしていると、推しに声をかけられる。パブロフの犬よろしく元気に返事をした直後、男性にしてはしなやかな手に喉を掴まれた。
「ぐ、ぇ」
ギリギリ息ができる強さで喉を圧迫され、潰れたカエルみたいな声が出る。
うなじが痛い。多分爪が刺さっているんだよ。頭の片隅で他人事みたいな自問自答をしていると、ゾッとするほど綺麗な顔が鼻先ギリギリまで迫ってきた。
愉悦の色が消えた紫の目が、赤みがかった色でわたしを見ている。
推しが一番感情的になっている時の目だった。
チンピラに絡まれた時や、推しに後ろから首を掴まれた時の比じゃないほどの身の危険――――ううん、命の危険を感じた。蛇に睨まれたカエルって、多分、こういう気持ち。冷や汗を流すわたしをよそに、小龍は口を開く。
「……なぜ知っているなどといった、つまらん質問はやめておこうか。おいガキ。一体どういう了見でそれを口にした」
「……っ」
「ああ……、それともガキらしく、考えなしの発言だったか? それなら、人間のガキの言うことだ。今の言葉を取り消すというなら、なかったことにしてやらんでもないぞ?」
どうする、と。甘い毒みたいな声が囁いてくる。
ごめんなさい。考えなしでした。何も言ってないです。
真後ろまで迫った死の気配に怯えて、そう言いかけた口を、寸でのところで押さえ込んだ。
「もごもご」
「――」
その反応は予想外だったのか、紫色の目がぱちくりと瞬きをする。ゲームでも滅多に使われない差分表情が、背中に張り付く気配を忘れさせた。ありがとう、推し。殺そうとしているのも推しだけど。
「は、配慮はなかったかもだけど、考えなしのつもりは、ないです」
「……なら言ってみろ、お前の考えとやらを」
紫の目から赤味が消え、整った口元に笑みが浮かぶ。でも、目はまだ笑っていない。言葉を間違えれば、推しは何の迷いもなくわたしを殺すだろう。かといって、ここでご機嫌をとろうとしても嘘認定されて殺される。
なら、わたしにできることは自分の素性を話した時と変わらない。
気合いを入れろ、戌井凪。ちょっと殺気をぶつけられたくらいがなんだ。
生半可な気持ちで最推し認定してないってことを教えてやれ!
「しゃ、小龍さまが珊を殺すのは、小龍として無面を確保したいからですよね? わたしが情報提供するなら、わざわざ手間のかかる工作をしなくてもいいと思うわけでして」
「そんな当たり前の帰結は聞いていない。元より、お前から有益な情報を引き出せたなら別の策を講じるつもりでいた」
「あ、そうなの!? じゃあ今、わたしは何を聞かれているので……?」
「どういう了見でそれを口にしたかと聞いている。三度目はないぞ」
「それは……」
動機という意味でなら、そんなのは一つしかない。
わたしは素直に答えた。
「珊が死なない方が、小龍さまが幸せになれると思ったからだけど……」
「――――は?」
めちゃくちゃぽかんとした顔をされた。
スチルでも見たことがないようなレア表情の後、推しはこめかみに手を当てる。そうしてしばらく何かを考えていたかと思うと、怪訝そうな目で見られた。
笑ってないけど冷えてもない。こんな目もできるんだなあ、推し。
「……おい、ガキ」
「は、はい」
「お前の発言は、俺という男に土足で踏み込んでくるような、配慮の欠片もないものだ」
「はい……。仰る通りでございます……」
「殺されてもおかしくないほどの不興を買ってでもやった行為の動機が、俺の幸せだと?」
「だって、珊を殺した時の小龍さま、悲しそうだったから……。わたし、推しにはとにかく幸せになってほしいし、作品は大団円で終わってほしいハピエン厨のオタクなので……」
ハッピーエンドに必要な曇らせはいいし、それはそれとしておいしく食べるけど、曇らせるだけ曇らせておいて救済がないのは耐えられない。「ゆら恋」のバッドエンドも胸が痛かった。
小龍ルートではまひろの存在が救いになるけど、この世界が小龍ルートに進んでくれる保証もない。なら、推しの曇らせ要素は少しでも減らしておきたかった。
そう思っての返答に対し、推しから返ってきたのはわけがわからんと言いたげな顔だった。
「わけがわからん」
口でも言われた……。
「それでお前に何の利がある」
「推しの幸せ以上の報酬なんてないですが!? ……あっ、あと、元の世界に帰る方法を探すのを手伝ってくれたら嬉しいなあなんてことも思っていたり」
感情論ばかりだと胡散臭く思われる気がしたから、即物的な動機も付け加えてみる。これもわりと切実なので嘘にはならないはず。
「――――――――名は?」
首を解放してくれないまま考え込んでいた推しは、ようやくそんな言葉を口にした。
「へ?」
「お前の名はなんだと聞いている」
「あ、凪です。戌井凪。干支の戌に井戸の井で、凪は……海の風が止むあれ」
「戌に凪か。名前の通りなのかそうでないのかわからんな」
「遠回しにディスられたぁい゛っ!?」
言葉の途中でがっつりした痛みがうなじを襲った。
えっ、殺される!? 名前を聞かれるのは友好フラグでは!?
めちゃくちゃビビるわたしをよそに、推しはゆっくりと手を離したかと思うと、尖った指先でわたしの首周りを撫でてくる。その動きに合わせて熱いものが這うような感覚があり、推しの手が完全に離れたころには、まるで首に何かを嵌められたような感覚が残った。
……ん?
似た感じの描写を最近どこかで見たような……?
「お前の有用性がはっきりした暁には、その願いを聞いてやらんでもない。それまでは、俺の犬として、せいぜい主の機嫌を損ねないよう尻尾を振るんだな」
首を傾げているわたしをよそに、やることはやったとばかりに推しが離れる。
えーっと、とりあえずこれは……。
「許された……?」
「なんだ、不満か?」
「いいえ滅相もございません! っていうか、犬ってことは面倒見てくれるんですか?」
「まあ、衣食住くらいは保証してやるが」
「ありがとうございますっ!!」
「お前、人の話を聞いていたのか? それとも頭に花でも詰まっているのか?」
「こちとら家なし金なし力なしのどこにでもいるJKですよ!? 人外がうろちょろしてる異世界で放り出されるくらいなら推しの犬になった方が百億倍マシですが!?」
どういう待遇になるのかはさておき、住むところの心配をしなくていいのは普通にありがたい話だった。というか、推しに衣食住を保証される以上の好待遇がこの世に存在する? 異世界転移ガチャSSRじゃん。
わたしの気持ちさは推しにはあまり伝わらなかったらしい。わけがわからん顔でため息をつかれてしまった。
……とまあ、そんなこんなで。
異世界にやってきたわたしはこうして、推しに面倒を見てもらうことになったのだった。
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