第32話
朝日くんが待っているのが初代一乗寺下り松の精霊なのだとしたら、どうして急に見えなくなったのだろう?
朝日くんの能力が衰えたのだろうか?
それとも松の精霊が、自らの意志で彼の前から姿を消したのだろうか?
穂香の耳に、昨夜見たトーキー映画の優雅な音楽が流れ始める。
それに混ざるように、遠く夕暮れの蝉の声が聴こえた。
注連縄を巻かれた一乗寺下り松の表皮に、格子戸から淡い光が降り注いでいる。
石段に腰掛けスマートフォンをしきりに眺めている朝日くんの姿が、ぼやけた映像となって目の前に浮かぶ。
ぐるぐると、記憶の中のモノクロの映画のシーンが回転していく。
まるでネジの弾け飛んだオルゴールのように、繰り返し、繰り返し。
山高帽の男の滑稽なボクシングシーン。盲目の少女の、可憐な花のような笑顔。
優美な音楽が、耳鳴りのように次第にボリュームを増す――。
穂香は思い出す。
山高帽の男は少女の手術が成功したと知りながらも、積極的に関わろうとはしなかった。
もとより、ずっと少女に寄り添うつもりはなかったのだろう。
美しい彼女には、浮浪者の自分なんかよりもふさわしい人がいると思っていたから。
“自分の役目”は、終わったと思っていたから――。
女子高生は朝日くんのことを思いながら、毎日のようにこの古木を参拝しに来ていた。
古木はもの言わず、けれどもずっと、そんな彼女を見ていたのだ。
閃いた穂香は、突如女子高生の腕をぎゅっと握った。
驚いた顔で穂香を見る女子高生の瞳は、泣いていたせいで紅く充血している。
「一つだけ、お願いがあるんです」
真っ直ぐに自分の顔を見つめる穂香の剣幕に、女子高生は驚きつつも気圧されたように、はい、と返事をした。
「この後、朝日くんを誘ってここに来てくれませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます