一人だけの軽音部に現れた君からリクエストされた思い出の曲
陸沢宝史
本編
窓から見える薄い灰色の空。軽音部の部室として使用している空き教室の照明は灯ってはいない。
部室で一人俺、
アンプに繋いでいないエレキの音に存在感はなく虚しさを抱いてしまう。今からただ一人だけの弾き語りをしようとしているのにアンプに繋げないのも勿体ない。これならアコギを弾いていたほうが良いが、生憎俺が持つ楽器はこのエレキ一本のみだった。
エレキからは爽やかな音が流れ出す。今イントロ部分を弾いているがそこが終わればAメロに入る。
俺はイントロが終わるに連れ、曲の歌詞を思い出す。なにせ半年近くも弾いていなかった曲だ。コード進行は覚えていても歌詞は曖昧になりがちだった。
イントロが終わりAメロに入る。だがピックを持っている手はエレキを弾き続けているのに喉から歌声が出ない。
俺はエレキを弾き続けるのを止めた。歌えない理由は分かっていた。
俺は嘆息をつくと部室を見渡す。軽音部なのに今いるのは俺だけだ。今日は冬休み前最後の登校日で部活日だ。バンドは一人では組めない。個人的にはギター、ベース、ドラムの三人は欲しい。でもこれではどうしようもない。
俺はだらしなく大口を開けて天井を見上げた。
半年前までこの部には俺を含め六人の部員がいたはずだった。けれど当時の部長が急な都合で転校してしまった。当時の部長を中心に軽音部はまとまっていたため、当時の部長が転校して一週間で俺以外の部員は退部してしまった。部長は必然的に俺が引き継いだが今年三年の俺が卒業すれば部は自動的に廃部となる運命だ。
「この曲は皆で作ったものだから楽しかったときのことを思い返して逆に歌いづらいんだよな」
俺は苦笑いしながら独り言を吐いた。俺は視線を水平に戻すともう一度ギターを弾く構えを取る。だがピックを持つ手が動かない。さっきまでは演奏までは出来たがそれすら出来なくなった。
俺は弾くことを諦め項垂れた。半年間も一人でこの部室に通い続けた。他の部員が戻ることを願っていたがそれも叶わなかった。もう冬休みを入る前に廃部にしていいかもしれない。
俺は帰宅の準備をするべく椅子から立ち上がろうとした。すると閉めていた教室の扉が唐突に開いた。
俺は立ち上がるのを止め扉の方を見る。心当たりがあるとすれば滅多にこない顧問と部員ではない一年の後輩だけだった。
「桃香か。今日はどうかしたのか」
視界の先には頬を緩め幸福そうな顔つきの
桃香は空き椅子が置かれて箇所に向け歩きながら返事をした。
「今日部活日なんで、いるかなと思いまして」
「俺がいなかったらどうしたんだよ」
「先輩が部室に通わないなんてあり得ないんで」
桃香はそう断言すると空き椅子を両手で持ちこちらに歩いてくる。
桃香の声を聞いただけで虚しさで覆われていた部室に明るさが降ってきた気がした。
桃香は俺の隣に優しく椅子を床に置くとそのまま着席した。
「今日は何を弾いていたのですか?」
桃香は楽しげに質問してくる。いつもなら即答しているところだが精神的に歌えない曲は答えづらかった。
「まだ何も弾いていない」
俺は僅かながら間を置いてから嘘を吐いた。
桃香からすぐに言葉が返ってくるかと思ったが教室に流れる音は外から聞こえる運動部の声だった。
桃香は俺をじっと見詰めてくる。桃香の瞳は何かを悟ったようなものだった。それを見て俺は嘘を吐いたことに少し苦しみを覚えた。
「先輩が卒業したらこの部活どうなるんですか?」
桃香は数十秒振りに声を発したが強引に話題を切り替えてきた。あの話題を続けられても話を続けるのに困窮していたので助かる一面もある。だが部活の行く末について聞かれるのは先の話題と同じほど答えにくくもあった。
「当然のように廃部さ」
俺は平坦な声調で言った。回答を拒否しても良かったが俺を慕う後輩にこれ以上情けないところは見せたくなかった。
「まあ今年は新規部員いませんでしかたらね」
桃香が自虐するように事実を語った。前の部長が転校する前からこの部には一年がいなかった。体育館で行われた新入生歓迎会でライブも披露したが残念ながら部員の獲得は出来なかった。
ただ興味を持ってくれた一年はいた。けどその一年が入部を迷っている間に事件を起きてしまった。
「今からでも入るか? 今なら来年から自動的に部長になれるぞ」
俺はふざけるように桃香を部活に勧誘する。
「ひとりぼっちの部活は嫌ですね」
桃香は困惑した笑みを浮かべながら柔らかい言葉遣いで断ってきた。
「だよな。唯一の部員が後数カ月で卒業だもんな」
「本当にすみません。中学まで習っていたピアノを辞めたあとで音楽以外のことしたいと思って中々決断できなかったんで」
「そうやって桃香が悩んでいるうちに前の部長が転校して軽音部は寂れてしまったからな。仕方ないさ」
「けどあの新入生歓迎会ライブで歌う先輩はかっこよかったですよ。だからライブの後何度か見学させてもらって、今もこうやってたまに先輩に会いに来てますから」
言い切った桃香は恥ずかしかったのか目を瞑ってしまう。褒められた俺は急なことで首筋をなでながら視線を泳がせてしまう。
ライブのことを褒められたのは二度目だ。新入生歓迎会ライブがあった日の部活で部室を訪れた桃香から直接言われた。あのときは他の部員もいて純粋にライブが褒められて舞い上がって恥ずかしさなど覚えなかった。けど二人きりで尚かつしんみりとしたこの空間では目すら合わせづらい。
自ら恥ずかしい言葉を吐いてしまった桃香は少しすると目を見開いた。まだ恥ずかしさが残るのか視線が微妙に合わない。
「いきなり変なこと言ってすみません。けれどあのときの先輩の歌は魂が震えて瞬きするのが勿体なく思えるほどでした。できれば、またあの歌が聞きたいです」
無念そうに桃香は右手で制服のシャツを掴んだ。あの歌を聞きたい人がまだいる。俺の心は急激に燃え始め、気づけばピックを握る力が強まっていた。
「今から歌うから聴いてくれる
?」
俺がそう桃香に尋ねると桃香の目が大きく開き、顔中が綻んでいく。
「はい!」
桃香のその一言を聞くと俺は勢いよくエレキを弾き始めた。歌えなかったときの演奏よりも調子が良いが分かる。
もしかしたら新入生歓迎会ライブよりも調子は上かもしれない。もっともエレキの音は生音で他にメンバーがいない。それでもたった一人の観客のために俺は腕を動かし、喉を震えさせ続けた。
歌い終わる頃には一曲だけなのに息遣いは荒れていた。それでも隣から耳に入る大きな拍手の音に俺は満足して桃香に見ながら笑みを作った。
即興ライブが終わると俺達は帰宅のため部室を後に廊下を歩いていた。
またあの歌を観客の前で歌えたことに俺は充実感を覚えていた。これで軽音部に未練はない。今日を持って廃部にしようと思っていた。
「先輩わたし決めました。今日から軽音部に入って先輩の後を引き継ぎます」
隣から覇気のある声による宣言が聞こえて俺はびっくりして足を止める。声の方を向くと立ち止まった桃香が勇気ある表情で俺と視線を合わせてくる。
桃香の突然の宣言に戸惑いを抱きつつも本音では部を引き継いでくれる後輩が現れて嬉しかった。
「その気持ちはありがたいけど来年の四月から一人だけだぞ。それでもいいのか?」
俺は念の為懸念事項を確認すると桃香は聞き取りやすい声で「もちろんです」と答えてきた。
それを聞いて俺は安心して頬を緩めた。
「なら頼んだぞ来年の部長。なら冬休みにセッションでもするか。桃香のキーボード久々に聞いてみたいし」
俺は桃香当たり前のようにキーボードを担当すると思っていた。一度音楽室で桃香のピアノを聞いたことがあったがあれはバンドでも即戦力になれるほどの実力だった。
俺はすぐに桃香からセッションの承諾を貰えると思っていた。だが桃香は承諾する気がない眼差しで俺を見詰めていた。
「申し訳ないですがわたしキーボードする気はありません。ギターボーカルを志望します。先輩みたいになりたいので」
桃香の志望を聞かされた途端俺は肩に背負っているギターケースを肩から外した。
「桃香ギター持ってなかったよな?」
「はい。楽器はピアノだけなので」
「ならこいつをやるよ」
俺はギターケースを桃香に差し出す。桃香は恐縮したような言葉遣いで「こんな高そうなの貰えません」と断ってきた。
「いいんだよ。次の部長へのプレゼントだ。その代わり部のこと頼むな」
軽音部が存続するのは俺にとって有り難い。ここ半年間はまともに活動していなかったが俺にとって入学当初から活動していた思い出のある場所だからだ。だから次の部長の桃香にはその想いを託す意味でもエレキを受け取ってほしかった。
「先輩、分かりました。わたし先輩のギターと共に頑張ります」
桃香はギターを受け取るとそう力強く宣言してくれた。これなら来年の軽音部には人が溢れていることだろう。
「なら帰ろうか」
俺が桃香にそう促すと隣から爽やかな声が返ってきた。
「はい! それと冬休みからギターの特訓お願いしますね」
一人だけの軽音部に現れた君からリクエストされた思い出の曲 陸沢宝史 @rizokipeke
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