第9話 俺の中には怒りの精霊が宿っている

 囁くように俺の中の「それ」が煽ってくる。


 怒れ。


 怒れ。


 怒れ。


 ともすれば飲み込まれてしまいそうな激情に俺はありったけの自制心で抵抗する。


 俺が無詠唱で魔法を操れる最大の理由はこいつだ。


 俺が「それ」と呼ぶこの怒りの精霊を自身に宿しているからこそ常人では得られぬ能力を得ているのだ。


 もちろんこれには代償がある。


 怒りの精霊である「それ」は魔力と怒りを糧としていた。特に怒りの感情を好んでおり「それ」は僅かな怒りを敏感に察知し己の糧とするために執拗な煽りを囁いてくる。


 抵抗できぬ者は湧き上がる怒りに丸呑みにされて理性を失うだろう。


 結果、精霊の宿主は狂戦士(バーサーカー)と化す。


 理性を持たぬただ荒れ狂う感情のままに戦う狂戦士の末路は破滅だ。ありとあらゆる物を蹂躙した後に狂戦士はその魂をも怒りの精霊に喰われて死ぬ。魂を失った者は二度とこの世に戻れない。どんな奇跡でも失われた魂の復活はできないのだ。


 俺はそんな目に遭いたくない。


 だから囁き続ける「それ」の声を俺は無視した。拳がグローブ化した黒い光に包まれても気にしない。何だかグローブが脈打っているみたいだけど気にしない。


 身体強化の効果が黒い光のグローブの具現化とともに強化される。


 俺はシュナに一歩踏み込み、拳を放った。


 シュナが聖剣ハースニールで受け止めようとする。刀身からの放電が瞬時に雷の盾のように形成しバチバチと音を立てる。


 拳が雷の盾に命中した。


 激しくあたりが明滅し、轟音がギルドのロビーを震えさせる。


 中心にいた俺とシュナは動かなかった。


 拳は雷の盾を貫いたがシュナには届かず、シュナもまた俺に放電のダメージを与えられなかった。スパークが俺の拳を嘗めているが黒い光のグローブは完全に放電から俺を守っていた。


 にやり、とシュナが笑う。


 俺もそれに返した。


 ほぼ同じタイミングで俺たちは互いに飛び退く。


 雷の盾を解除したシュナの聖剣ハースニールはその刀身に大きく穿ったような傷をつけていたが驚く程の早さで修復していった。どうやら自己修復機能が付与されているようだ。それにしても早い。


 さすが聖剣。


 シュナが聖剣ハースニールを鞘に収める。


 戦いをやめるためではない。それくらい俺にもわかる。シュナはまだまだやる気だ。


 俺はファイティングポーズをとって奴の次の一手に備えた。


 聖剣ハースニールのさらなる波動を感じたのだろう、俺の中の「それ」が囁きを強める。


 怒れ。


 怒れ。


 怒れ。


 俺の意思とは無関係に拳に魔力が流れていく。どくんどくんと脈打つ黒い光のグローブは「それ」の声に応じるように輝きを増していった。


 対抗するように聖剣ハースニールが鞘ごとスパークし始める。これ明らかに「それ」に反応しているっぽいのだがこのまま戦って大丈夫なのか?


 双方手加減できなくなったらやばくないか?


 ま、まああっちの聖剣はご都合主義ウェポンだからなんとかなるのかもしれないが。


 俺の方はリミット越えたら終わりだからなぁ。


「君、やるね」


 シュナが嬉しそうに言った。


「僕の聖剣ハースニールにこれだけ抗える奴はそうそういないよ」

「そりゃどうも」


 俺の返事はあくまでも淡泊。


 望んだ戦いではないし、正直こんなまともじゃない奴と戦いたくもない。


 でも、向こうは続行する気満々なんだろうなぁ。


 あぁ、面倒くせぇ。


 シュナが俺を見据えた。


「いくぞっ、ライトニングボルトッ!」


 剣を抜く動作から流れるように刀身の放電が俺へと襲いかかってくる。


 咄嗟、いや反射的に俺は防御結界の魔法を解いて黒い光のグローブで防御した。常人なら追いつけない速さだが俺には身体強化の補助があり、さらには怒りの精霊の後押しもある。人間が用いる限界の魔法領域を一つ黒く光るグローブに回すことでその効果をさらに引き出せることも俺は経験で知っていた。


 身体の前で両腕を交差させ聖剣ハースニールからの放電を受け止めた。


 黒い光のグローブは放電から俺を完全に守りその威力を無効化した。ほんの一筋すら雷は俺に届かない。


 だが、普通に防御結界を張っていたら恐らく防ぎきれなかっただろう。奴の技はドラゴンの一撃より強烈だ……食らったことないけど。でもきっと危険であるには違いないはず。危ない危ない。


 その膨大とも思える力はシュナの聖剣ハースニールからずっと放たれているというのにまるで見えない空間に吸い込まれていくかのように黒い光のグローブの傍で消えていた。


 俺は放電の光を見てはいたがその熱も痛みも感じなかった。


 やがてライトニングボルトという技名らしきシュナの攻撃が止んだ。


「……」


 信じられない、といった様子でシュナが呆然としている。


「凄い」


 イアナ嬢の漏らした声が静まり返ったギルドのロビーに響き渡る。そのくらい冒険者も職員も沈黙して俺とシュナの戦いに見入っているようだった。


 抜き放っていた聖剣ハースニールをシュナが鞘へと戻す。彼の表情には狼狽があったが戦意を失った訳ではないようだ。


 また一撃来るかもしれないと俺は気持ちを引き締めた。いつ攻撃されてもいいように防御の構えを取り直す。足の向きや重心の位置の微調整、呼吸のリズム、そして今度は意識して魔力を黒い光のグローブに流す。


 俺の中で「それ」が煽りを激しくする。


 怒れ。


 怒れ。


 怒れ。


 自分の奥深くから獣が目覚めるような錯覚にとらわれる。俺は気力でそれを振り払った。錯覚が本物になったら俺は俺でなくなるだろう。そうなってたまるか。


 精霊の力は利用させてもらう。


 だが、俺の魂を喰わせるつもりはない。


「今のところは防げているようだけど」


 シュナが低く呟く。


「そう何度も耐えられるかな?」


 あ、やばい。


 こいつ意地でも俺を倒すつもりだ。


 となるともうこれ以上長引かせる訳にはいかないな。


 黒い光のグローブならまだまだあの放電にも耐えられるだろう。だが、俺の中の「それ」に頼り過ぎるのは駄目だ。いつかは限界が来る。それは俺の狂戦士化を意味していた。


「それ」の力を使うことは「それ」に怒りを喰わせているようなものだ。自制心で「それ」に抵抗していても限界はある。


 ……一気に攻めるしかないか。


 決意し、一歩踏み込む。


 シュナの間合いに肉迫した俺はビリビリと痺れるような感覚に襲われた。これはきっと聖剣ハースニールの影響だ。しかし、この程度で怯んでいたら逆に奴に好機を明け渡すことになる。ここはシュナの攻撃範囲。


 俺のじゃない。


 身を低めてさらに懐に潜り込む。


 ぐっと拳を握り直した。


 シュナと目が合う。


 なぜか「ふっ」と奴は笑った。何だ? 高ランク剣士の余裕って奴か?


 俺は構わず顎目がけて拳を打ち放った。


 シュナが大きく仰け反り拳を躱す。強烈な一撃は虚しく空を切った。拳撃で大きく隙のできた俺にシュナが聖剣ハースニールではなく膝蹴りで襲う。


 俺は回避せずに奴の攻撃をそのまま受ける。身体強化により俺の腹筋は常人のそれより遥かに堅いのだが、黒い光のグローブを具現化させている今はさらに強固なものとなっていた。


 逆にシュナが膝を痛めたようだ。


 短く呻いて顔を歪めたのを俺は認めると拳を握り直して腹にぶち込んだ。


 シュナが身体をくの字にする。


 吐瀉してしまいそうなくらい口を開いてシュナがまた呻いた。おいおい俺にぶっかけるのは勘弁してくれよ。


 汚されるのも嫌なので俺はシュナから離れた。支えを失ったシュナが崩れるように倒れる。


「そこまで」


 受付のカウンターの奥から声がかかる。ギルドマスターの声だった。


 禿げ頭を光らせながらギルドマスターのウィッグ・ハーゲンが受付のカウンター横のドアを通って近づいて来る。とても悪い笑みを浮かべているように見えるのは俺に負い目があるからじゃないよな?


 確かにギルドのロビーでシュナとやりあったのはまずいかもしれないが、これは好き好んでやったことじゃないぞ。


 にこにこ顔のギルドマスターがシュナの傍で立ち止まると告げた。


「とりあえずあれだ、ちょいと面貸せや」

 

 

 

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