10 ―再会―

「…………ん、僕は、一体……?」


 苦しいほどの生の実感があって、耀心は目を覚ます。

 いつの間にか、自分の座るベッドとは異なる柔らかさが、全身を包み込んでいて――。


「!」


 そこでようやく、自分が強く抱き締められていることに気が付いた。


「……ヨシ君!」


 抱擁が解かれる。まだ靄がかかる意識で、降ってきた声の方を向く。

 その先で、ルイーズと目が合った。息が、止まる。現実の彼女は一層綺麗に見えた。


「大丈夫? 体は何ともない? 私が分かる?」


 近い。ベッドの上に膝立ちの彼女が、息の届きそうな距離でこちらの顔を覗く。

 その繊手が無遠慮に、肩や顔に触れてきて――。


「……!」


 突然の柔らかな感触に驚いた耀心は、反射的に後ずさった。寝起きの少年にとって、美少女の柔肌は刺激が強過ぎる。それでも、ルイーズは更に距離を詰めてきて。


「やっぱり……調子、悪いの?」


 声を微かに震わせた彼女が、両手をついてこちらを覗き込む。図らずも無防備な彼女の胸元がちらりと見えて、耀心は慌てて目を逸らす。

 いや、待て。ついさっきまで自分はその胸に抱かれていたのではなかったか。


「あぁ……」


 再会の喜びとか、助けてくれた感謝とか、全部吹っ飛んでしまった。羞恥で顔を真っ赤にした耀心は、今すぐこの場から逃げ出したくなる。

 駄目だ。現実を処理しきれない。次々と押し寄せる感情に思考が埋め尽くされる。

 それでも、そんな混乱は数秒も続かなかった。

 こちらを見詰める彼女の、その綺麗な灰色の瞳に、一瞬で釘付けになる。


「……ルイ姉。泣いてるの?」

「えっ?」


 そっと手を伸ばす。

 その頬を伝う涙を拭いたくて。けれど、その目からは次々と雫が流れ落ちて。

 止めたいけれど、どうすればいいのか分からない。それでも不思議と凪いだ思考で、戸惑いながらも声をかけた。


「大丈夫だよルイ姉。ルイ姉が僕を助けてくれたんでしょ。心配させてごめん。助けてくれてありがとう。僕はもう大丈夫。だからもう安心し……わぷっ!」


「良かった。本当に……良かった。ヨシ君――」


 目の前の少女の、感情が決壊した。

 笑い声にも似た泣き声を上げる彼女は、まるで幼い子供のようで。感情任せに彼女が抱き着いてくるものだから、受け止めきれずに二人一緒に倒れてしまう。  

 そして丁度、耀心の胸にルイーズが顔をうずめる格好になった。


「わたしをたすけてくれてありがとう。もう一人のわたしをたすけてくれてありがとう。まもってくれてありがとう。まっててくれてありがとう。おもいつづけてくれてありがとう。そして、もどってきてくれてありがとう」


 溢れる思いを涙声にのせて、全て吐き出すルイーズに、かける言葉はもう無くて。でも、できることは一つだけ知っていて。だから耀心はただ黙って、彼女の頭を撫でていた。

 久々の再会は、幼い記憶の続きのようで。けれどあの時とは、決定的に違っていて。


「はははっ。これじゃあ昔と逆じゃないか」


 大丈夫。僕はもう何処へも行かない。だからもう大丈夫。

 安堵と歓喜が二人の間を満たす。そんな愛おしい静寂の中。


「そうだよな。これじゃ逆だよな」

「ふぁあ!」


 無粋な声が割り込んで、雰囲気はぶち壊しとなった。

 まだ泣いているルイーズを宥めながら、耀心が驚いて見やる先、部屋の扉にもたれたクライドが不満げにこちらを睨んでいた。扉の開錠に使ったのだろう。その手には、千切れた荊の残骸のような、応冠の成れの果てが握られている。


「あの後連絡が無かったから、必死に駆けつけてみたらこれだもんな。ったく見せつけてくれるねぇ。心配したこっちの身にもなれって話だ」

「うぅ、それは……」

「だっておかしいだろ。どうして助けられた側が一足先にいちゃついてて、助けた側が汗水垂らして駆けずり回らなきゃならな」

「はいストップ。クライド言いすぎよ。嫌味を言いに来たんじゃないでしょ。みんな無事だったんだから良かったじゃない。ついさっき、レンタカーの逃走犯も目が覚めて捕まったし」


 遅れてやってきたミーゼにそう言われ、未だに不満げなクライドも一旦大人しくなる。


「わー、ルイーズってば大胆! でもその体勢やめた方が良いよ。下着見えそうだもん」

「きゃっ!」

「あー惜しかっ……何でもありません」


 ぼやくクライドはしかし、ミーゼに睨まれて咄嗟に口を閉じる。

 ルイーズと一緒に耀心がベッドに座り直すと、クライドは頭を掻いて気を取り直す。


「さてと耀心。真面目な話だ」


 弛緩していた空気が緊張を帯びる。耀心は覚悟を決めた。ルイーズを助けるためとはいえ、いろんな人に迷惑をかけた。どんな罰でも受け入れる。


「駄目。ヨシ君は悪くないもん」

「わっ!」


 隣に座っていたルイーズに抱き寄せられ、思わず変な声が出た。顔は見れないが、声色から相当な剣幕だと分かる。


「違うって。そう睨むな。捕って食うって訳じゃないんだから」


 それでもルイーズは警戒を緩めない。こちらを抱き締める腕にさらに力を込められる。


「んー、それじゃお姫様が怒りそうなので手短に」


 静かに息を呑む。審判を待つ罪人の気分とは、まさにこのことなのだろう。


「耀心。ルイーズ。二人ともごめん」

「えっ!」


 目の前で頭を下げてこちらを見るクライドに、耀心は困惑の声を漏らす。


「いや、クライド。謝るのは僕の方だよ。僕の身勝手で皆を傷付けちゃったし……」

「ヨシ君、それは違う。そんなこと言ったら、そもそも私が全部――」


 パンッ、と手を打つ音が聞こえたのはその時だった。三人の注目がミーゼに集まる。


「もう。全員ストップ。さっきも言ったけど、全員無事だったんだからそれでいいじゃない。だから、これで全部おしまい。はい。じゃあ皆、帰ろう!」


 そう。終わったのだ、自分の目的は。背中には確かに温もりを感じていて、これが現実なのだと声高に主張している。視線を上げると、こちらを見つめていた彼女が微笑む。

 これがずっと見たかったのだ。だからこそ、皆には言うことがある。


「皆、助けてくれてありがとう」

「おう」

「うん」

「こちらこそありがとう、ヨシ君」


 これが、この騒動の終息を意味していた。

 



 車へと戻る、その道中。クライドはそれとなく、先を行く耀心と、その隣で彼にべったりなルイーズを眺めていた。

 やはり、二人の応冠は元のままだ。あれは見間違いだったのだろうか……。


「なに? あの二人がどうかしたの? まさか耀心が羨ましいとか?」

「なっ! んなわけないだろ!」

「はいはい。あなたも十分頑張ってたって」


 はっきり否定したつもりだったが、彼女には強がっているように見えたらしい。優しく頭を撫でられて、クライドは少し、くすぐったかった。

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