8 ―突入―

 第一島区、大霊廟〈メモリアルコーデックス〉。

 そこへドリフトしながら止まった車から、ルイーズは転げるように飛び降りた。


「あっ! ルイーズ様、待って下さいって!」


 アシュリーの声が背後で聞こえるが構ってはいられない。


「貴方はそこにいて! 何か気付いたことがあったらまた連絡お願い!」


 そう言い残して一目散に駆ける。向かう先は、霊廟に併設された宿泊施設だ。訪れた遺族が故人を悼みながら夜を明かすためのものなのだろうが、お陰で手間が省けた。

 クオリバースにエントリーしている間、ハイアーズは体が動かせない。今日、ヨシ君が霊廟を訪れているのなら、〈ルーツ〉に行くためにこの宿を使うはずだ。


「あった!」


 飛び込んだエントランスには、複数の大型端末が設置されていた。チェックインなどの全ての手続きはこの端末から可能なようだ。部屋の鍵は無い。その代わり応冠による利用者の個人認証が採用されているらしい。利用状況を確認すると、一部屋だけ使用中になっていた。


「これなら、やれる」


 幼い自分の代応者エンジェントと共有した記憶を呼び覚ます。七年前、ヨシ君と私の感覚は一度完全に繋がった。それなら、彼の応冠、その形だけでも再現できるはずだ。

 応冠に意志を流す。黄金の煌めきと共に生み出された彼の応冠を、まるでミサンガのように腕へ巻き付け、一息に彼の下へと急ぐ。

 走って走って走って――。辿り着いた扉に腕をかざして解錠。思いっきり開ける。

 やっと、会えた。

 驚くほど整った、いっそ生活感を感じない部屋の奥。俯いてベッドに座る少年がいた。


「ヨシ君!」


 待ち焦がれた再会に思わず駆け寄る。肩を揺らすが彼からは反応がない。

 近くで見る彼の背丈はルイーズより幾分か低くて、彼女は少し悩んでから跪いて、自分よりも小さなその手を握った。


「ヨシ君、待ってて。今助けるから」


 その姿はさながら、主君に誓いを立てる騎士のようで。

 静かに目を閉じて、意識を集中。再び〈ルーツ〉へと舞い戻る。



 ***



「あーあ。行っちゃった」


 建物へと入っていくルイーズの背中を見届けながら、アシュリーは立ち尽くす。彼女の足をぴったりと包むのは、上質な光沢を纏った本革製のパンプスだ。激務でくたびれた仕事着と不釣り合いなそれは、元々彼女のものではない。


「全く、運転中に靴の交換だなんて、サイズが一緒だったから良かったものの……。はあ、安物のスニーカーが恋しい。こんな高そうな靴、気安く歩けたもんじゃない。それに、あんな美少女の脱ぎたての靴なんて……、やばい! なんか興奮する!」


 夜の駐車場で一人、何かに目覚めそうなアシュリーの耳にサイレンの音が聞こえてくる。避けられない現実が迫っていた。なにせ速度制限をぶっちぎってここまで走り抜けてきたのだ。

 このままで済むわけがないことは覚悟していた。が、割り切れるかどうかは別の話である。


「ああ。さようなら、安定した収入。こんにちは、無職生活……ん? なんだろう、あれ?」

 遠い目で現実逃避をしていたアシュリーだったが、ふと何かに気付く。それは――。



  ***



 クライドたちが遠巻きに異形の樹を見上げていると、ルイーズが駆け足でやってきた。


「ルイーズ! 耀心の様子は?」

「声を掛けたけど全然駄目。やっぱり私がヨシ君を迎えに行く」


 それを聞いて、黙っていなかったのはクライドだ。


「おいおい。こっちは絶賛そっちに向かってる最中なんだ。今、お前の身に何か起きても現実世界で対処できない。ミーゼ、後どれくらいかかる?」

「さっき確認した。ニコールさんが言うには、どれだけ飛ばしても後二〇分くらいって……」


 ミーゼの言葉は沈んでいる。耀心を救うまでの時間にしては長過ぎる。


「やだ。そんなの待ってられない。ヨシ君は今も苦しんでるの。クライド、何とかして!」

「あーもう、分かった。あいつに頼まれてんだ。ここからサポートしてやる」


 クライドが啖呵を切ると同時、ルイーズのスマートフォン画面がポップアップした。


「ちょっと待って。アシュリーからだ。もしもし?」

「今度は何だ?」


 少しのやり取りをした後、電話を切ったルイーズには焦りが滲んでいた。


「私の運転手を外で待たせてるんだけど、彼女が怪しいレンタカーを見つけたみたい。車内が暗いせいで断言できないようだけど、ニュースに映ってた逃走犯みたいだって」

「まさかあの野郎、こんな所まで逃げてきたのか! いや待てよ。これってチャンスなのか? あいつを叩き起こせば、あの妙な樹も消えて、耀心が解放されるってことはないか?」


 クライドが疑問を口にすると、ミーゼが眉間に皺を寄せて考え始めた。


「んー、流石にそれは都合良過ぎじゃないかしら? あれって黒幕の応冠が暴走してるんでしょ? それに耀心って子が巻き込まれて、樹の中で二人の意識が混じり合ってるとしたら、無理に引き剥がすのは危険だと思う。やっぱり彼を先に救出する方が安全かも」

「確かにそうか……あっ! ってことは、そいつを強引に起こしたら駄目なんだよな? 逃走犯の事情を警察が気にするとは思えないんだが、取り押さえた拍子に、ってことは……」


 その言葉に反応したのはルイーズだ。


「そんなの駄目! 絶対させない! でも、私はここで耀心を助けたい。なのに……」


 逡巡で固まってしまったルイーズを見かねて、ミーゼが息を吐きながら答える。


「分かったわ。私が行く。私の応冠は本調子じゃないし、あっちに事情を話せる人がいた方が良いもの。スティーヴたちにも協力してもらうわ。ルイーズは、運転手の人にそう伝えて」

「うん。ありがとう、ミーゼ」

 

 頷くルイーズに笑みを返すと、彼女はその琥珀色の瞳をこちらへと向ける。


「クライド! 後は頼んだからね!」

「おう。こっちは任せろ!」


 彼女が〈ルーツ〉を去るのを見送ってから、クライドはルイーズに向き直る。


「ルイーズ。今の内におさらいしよう。『任せろ!』なんて格好つけといて何だが、今回の俺はサポート役だ。この作戦は、ほとんどお前任せになる」

「問題ない。そもそも、他の誰にも譲るつもりなんてないから」


 足下の揺れは一向に収まる気配がない。それに急かされるように、二人は自然と走り出す。


「良いか? これからするのは応冠を使った感覚共有の応用だ」

「分かってる。貴方がミーゼを助ける時にやった方法でしょう」


 これが、クライドの考えた耀心救出の秘策だった。


「ああ。だがあの時と違って、今回は耀心の〈遊応体ホロボディ〉に接触できない。ついさっき、あの樹に呑み込まれたからな」

「だから代わりに、現実世界のヨシ君に直接触れる必要があったんでしょう。それなら大丈夫。さっきからずっと、私はヨシ君の手を握ってる」


 その感触を確かめるように、隣を走るルイーズが自分の両手を見詰める。

 対するクライドは大きく頷いた。


「上出来だ。その感触をあの樹と共有すれば、あの中にいる耀心が身体感覚を取り戻せる。そうすれば、あいつを樹から引き剥がせる……はずだ。上手くいけばな」

「上手くいくに決まってる。私の力で、絶対ヨシ君を救って見せる」


 決意を胸に、二人は改めて前を向く。

 その眼前に聳えるのは、太く捻じくれた異形の樹。その幹から根元にかけて極彩色の魔応円サークルが無数に展開されている。つまり、そこはもう樹の領域だ。


「お前は耀心の救出に集中しろ。足下の魔応円サークルは俺が何とかする」

「ええ。クライド、お願い」


 極彩色の領域へ踏み込む瞬間、クライドの応冠が青く輝く。渦巻く水面のような魔応円サークルが二人と異形の樹を囲んで、極彩色を抑え込む。その安全圏を駆け抜けて樹の根本まで近づいた。


「どうだ? いけそうか?」


 その人肌を纏う幹にルイーズが触れる。

 その瞬間、ジュッっと嫌な音がして、その指先が何の抵抗もなく幹の内側へと沈んでいく。


「っ!」

「どうした?」

「クライドは絶対に触れないで! 私でさえ、触れた瞬間に意識が溶けそうになったもの」


 思わず手を引っ込めたルイーズが、樹に触れた指先を庇うように、もう片方の手で押さえる。


「なっ……。 それじゃあ感覚共有どころじゃ……」

「嫌、諦めない! こうなったら、私が直接ヨシ君を探し出す!」


 今度はルイーズの応冠が煌めく。その光は彼女の全身を包み、はためく金色の羽衣となった。


「おい。何だよ、それ?」

「これは、ヨシ君が纏っていた黒い衣と同じ技。見よう見まねだけど、これで樹からの浸食を抑えられるはず」


 そう言うや否や、ルイーズが異形の樹に躊躇なく触れる。


「ルイーズ!」

「大丈夫。これなら行けそう」


 片腕を樹に沈めながら、彼女が何でもないように言うものだから、クライドは従った。


「分かった。信じるぞ」

「ええ。任せて」


 そう言って、ルイーズは樹の内側へと足を踏み入れる。

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