2 ―回帰―
「――ということだ。つまり俺は、なりたい自分になったつもりだったんだ。ずっと、自分は特別なんだって勘違いして、その結果が今なんだ。はっ。これじゃ、……ただの道化だ」
絶望感でぽっかり空いた心の穴。そこからぼろぼろと零れ落ちる言葉を、ミーゼは黙って聞いてくれた。やっぱり彼女は良い奴だ。愚かな自分とはあまりにも違う。
「今すぐ全部投げ出して、逃げ出したい。でも、現実に戻ることすら怖いんだ」
こんな姿になったのに何故か意識は安定していた。だからこそ、現実に戻ったら今度こそ自分は狂ってしまうかもしれない。それがこの上なく恐ろしくて。どうしようもなかった。
「もうこのまま、ここで消えてしまいたいんだ。だからミーゼは早く帰ってくれ。全部俺の見当違いだった。ジェスターは多分大丈夫だ。あいつは悪い奴じゃない。だからもう、俺たちがここにいる理由なんて」
「あるに決まってるでしょ! 少なくとも、私にはある!」
ぴしゃりと、否定された。何故かその顔は、今にも泣きそうで。
「あなたを放って帰れるわけないじゃない! 私を見捨てなかったあなたを、私が見捨てるわけないじゃない! それに、病院襲撃の黒幕は今もどこかに潜んでる。そいつがルイーズを狙ってるかもしれないのよ」
こんな自分のために泣いてくれる彼女の眼は真剣で、今の自分には眩しく見えた。
「しっかりしてクライド。あなたの応冠が偽物でも、今までの自分が足下から崩れてしまっても、本当に全部が全部台無しになったわけじゃない!」
綺麗事だ。単なる慰めだ。こんなことを彼女に聞くのは筋違いだ。でも、ぶつけてしまう。
「なら、何が残ってるって言うんだよ! お前に俺の何が」
「私がいる‼」
即答だった。
「あなたに救われた私がいる。何もかも失ったわけじゃない。今までの全部が他人のお陰なんかじゃない。少なくとも私を助けることは、他の誰かの意志なんかじゃない。それは正真正銘、あなたの意志でしょう? あなたが助けたいと思ってくれたから、今の私がいるの」
子供の頃、アニメや漫画に出てくるヒーローに憧れた。
こんな自分でも、誰かを助けられるヒーローになりたいと思った。人類全員なんて大それたことじゃなくて、ただ目の前で困っている誰かに迷わず手を差し伸べられる、そんな人間になりたかった。
「だから、クライド。前を向いて。今は、失ったものを数える時じゃない。力が無いからって、それがなんだっていうの? 残っているんでしょう? あなたの意志は。ハイアーズになる前からずっと、その心の真ん中に。だから、立って!」
強い意志だけがあって。実力なんて本当は無くて。ずっと身の丈に合わない無茶をしていただけだったとして。それでも、もしその間違った道の先で、なりたい自分に少しだけ近づけていたのだとしたら――。
「………………あっ」
自分が歩んだ道は間違っていなかったと、信じられる気がした。
こんな変わり果ててしまった自分ですら、今なら認められる気がした。
そして、醜い現状を認めた上で、それでも願うのだ。望むのだ。そう。自分の意志として。
誰かに差し伸ばす『手』が欲しい。誰かの下へと駆ける『足』が欲しい。
すなわち、自らの意志を為すための『器』が欲しい。その想いが全身を駆け巡って――。
「きゃっ!」
手の平の青い蛇が突然輝いたのに驚いて、しゃがんでいたミーゼは手を放して立ち上がった。
地に落ちた蛇はぐるぐると回り、その輪の中心から膨らんだ青い光が、複雑な骨格を形作る。
やがてその光は、大地を踏みしめて、祈るように組まれたミーゼの手を握った。
「クライド!」
「悪い。寝惚けてた」
軽口を叩きながら、ミーゼに笑いかけるクライドの頭上。もたげた小さな鎌首が覗いていた。先程の青い蛇が、いつの間にか登っていたのだ。
その蛇が自身の尾を咥えて円環となる。死と再生の具現として。永劫不変の象徴として。
「ありがとうミーゼ。もう大丈夫だ。やっと気付けた。俺の胸には、揺るがない意志がある!」
両手を握って、開いて、感覚を確かめる。問題はなさそうだ。
「行こう、ルイーズたちの下へ。今日、病院で襲撃犯が暴れたんだ。黒幕もすぐに動くはずだ。それに、そうじゃなくたって、俺は二人に謝らないといけない」
「ええ。そうね」
偽りの自分は崩れ去った。だからまた、ここから積み上げる。誰でもない、自分の意志で。
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