第四章 その意志を冠に Fill the Qrown with your Will

1 ―偽物―

 子供の頃、アニメや漫画に出てくるヒーローに憧れた。

 窮地に陥った人々の下に颯爽と現れて、必ず全員助け出す。

 その生き方はシンプルで、美しくて、何よりとても格好良かった。

 自分は何者なのか。

 そんな漠然とした問いに対する明快な解答を、彼らは自らの行動で示していた。

 自分も、こうなりたいと思った。

 憧れの彼らは皆、特別だった。迫る脅威をあっという間に打ち倒す、そんな力を持っていた。

 ヒーローになるためには、それに相応しい力が必要なのだと理解した。

 その上で、幼い自分は何の疑いもなく、彼らのようになれると思っていた。きっと自分には他の誰も持っていないすごい能力があるんだと、本気で信じていた。

 何も知らないからこそ生まれる、根拠のない万能感。誰もが一度は抱く、愚かな幻想。

 当然、そんなことはなかった。成長するにつれ、常識と他人を知るにつれ、自分が何の変哲もない平凡な人間なのだと痛感してしまった。皆が遅かれ早かれ味わう、小さな挫折。

 それでも、受け入れたくなかった。そんな事実に抗いたかった。

 こんな自分でも、誰かを助けられるヒーローになりたいと思った。人類全員なんて大それたことじゃなくて、ただ目の前で困っている誰かに迷わず手を差し伸べられる、そんな人間になりたかった。

 そのために、力を望んだ。平凡な自分を変えてしまうくらいの劇的な力が欲しかった。

 ハイアーズになったのは、そんなちっぽけな動機だったのだ。

 だから半年前。あの時、変われたんだと思った。〈ルーツ〉に迷い込んで、応冠が暴走して、でもそのお陰で特別な力を手に入れたんだと、ずっとそう思っていた。

 昨日の夜。ミーゼの応冠が暴走して、それを何とか食い止めて、彼女を助けることができた。つい、勘違いしてしまった。なりたい自分になれたのだと錯覚してしまった。

 幻想の自分に酔ったまま、疑うことをしないまま、見落としていた。

 半年前、自分の応冠が暴走した時、どうして自分は助かったのか。当時はまだハイアーズになって、たった一週間の自分に、どうしてそんなことができたのか。

 昨日の夜、ミーゼの応冠が暴走した時、どうして彼女を助けることができたのか。魔応円サークルによる感覚共有の応用なんて、どうしてあの土壇場で思いついたのか。

 答えは簡単だ。半年前、自分がそれで助けられたからこそ、昨晩それをミーゼに実行できた。ただそれだけのことだったのだ。では、自分を助けたのは誰だったのか?

 数瞬前、吹き飛ぶ意識でジェスターの素顔を見た時に、全部思い出した。散り散りのままだった記憶が、意味を持って繋がった。半年前に、自分は彼と出会っていたのだ。

 応冠が暴走してどうしようもなくなった自分が、喚いて、足掻いて、振り回した手を、取ってくれたのが彼だった。その時、何故か彼の応冠と自分の応冠が一瞬だけ重なり合った。応冠の共有。感覚共有のさらに上の超絶技巧。きっと、彼の力だろう。だって、彼は強いのだから。

 平凡な自分と違って。

 そうやって生まれたのが、荊で覆われた歪な応冠だった。自分の力だと思っていたのは、本当は彼の力だった。そう、つまり、変われたと思っていた自分は、ヒーローになれる力を手に入れたはずの自分は、ただの幻想だった。ずっと自分は無力で、空っぽな存在だったのだ。

 絶望という言葉の、本当の意味を知ってしまった。自らを形作ってきたものが音を立てて崩れてしまった。自分には何もない。そう認めざるを得ない。

 あの時、応冠の暴走のせいで自分の身体感覚は歪んでしまった。それを自分は、借り物の器で誤魔化した。大丈夫なふりをした。だからその器が砕け散った今、変わり果てた自分の形をこの上なく実感してしまって。ただただ醜く地べたを這いずっている。


「……ライド。クライド! ねえ聞こえてる? 大丈夫なの? だって……こんなのって……」


 現実に焦点が合って、ミーゼの両の手の平に包まれていることを理解する。

 そう、腕ではない。手の平だ。だって、今の自分の形は――。


「クライドで良いのよね? なんで、無くなってるの……。手も、足も、それに応冠だって」


 人ですらなかった。とぐろを巻いた小さな青い蛇。それがクライドの、本当の姿だった。



 ***



「あの子の行きそうな所なら、心当たりがある。僕についてきて!」


 めくれたフードを被り直すのも忘れて、ジェスターが道を先導してくれる。その後ろを、ルイーズは滲む視界で駆けていた。すっかり打ちのめされてしまった彼女にとって、今は自分の代応者エンジェントを救うことが唯一の希望だった。


「ルイーズ。泣かないで。大丈夫だから」

「大丈夫なわけない。私のせいでクライドまであんなことに。やっぱり、私は……」


 涙を拭いながらルイーズは必死に走る。対するジェスターは、前を向いたまま断言した。


「そんなことないよ。それに、彼なら大丈夫だ」

「なんで? なんでそんなこと言い切れるの?」

「彼は僕らよりも強いんだ。往生際の悪さならね。安心して。僕が保証する」


 ジェスターはクライドとの出会いを思い出す。崩壊しそうだったクライドが何とか助かった、あの瞬間を。ジェスター自身は特別なことはしていない。どうすればいいのか分からなかったからだ。

 何かしたのはクライドの方だった。彼の歪んだ応冠が突如としてジェスターの応冠に絡み付いた。瞬間的に融合した応冠は直後にまた分かれて、その時にはもう、彼の応冠はその表面に荊を纏っていた。まるでこちらの応冠を模倣したみたいに。


「あの土壇場で、彼は他人の応冠をコピーすることで対応した。不格好だったけれど、そのお陰で歪んでいく応冠の形はなんとか定まった。それが偶然だったとしても、彼が最後まで諦めなかったからこそ掴めた幸運なんだ。だから、彼なら大丈夫だよ」

「…………うん。そうかも知れない。貴方が信じるなら、私も信じる」


 夜が更ける。波乱の収束はもう近い。

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