10 ―拒絶―

 言ってしまった。そんなつもりじゃなかったのに……。

 頭の中で渦巻く後悔に苛まれながら、ルイーズはベッドに突っ伏していた。

 あの時、本当に言葉をぶつけたかったのは、パパでもママでもない。何も知らずに今まで過ごしていた自分自身が心底嫌になって、許せなくて、それが受け止めきれなくて、つい吐き出してしまった。そして今、そんな自分を余計に嫌いになってしまう。完全に悪循環だ。

 ぽっかりと空いた記憶。その行方は薄々分かっていて、だから、やることは決まっている。

 ベッドの上で座り直して応冠を起動。今度こそ覚悟はできた。さあ、償いを始めよう――。


「お待たせ、ジェスター」


 クラスタリアとの時差の関係で、すっかり日が暮れたブレイクスルー研究特区。その広場には、昨日と同じ二人がいた。〈戴冠地球クラウングローブ〉にもたれるように座るのは、ジェスターと幼い『わたし』の代応者エンジェント。眠そうに寄り掛かるその子を、ジェスターが揺らして起こしてあげる。


「ちゃんと両親と話してきた。結局何も覚えていなかったけれど、とても悲しいことがあったことは想像できる。そして、その子が生まれた意味も何となく分かった気がする」


 代応者エンジェントと一緒に立ち上がったジェスターは、黙ったまま続きを促す。


「私は記憶を失ったんじゃない。託したんだ、この子に。あの時、きっと私は現実から逃げたくなって、その意志に従ってあの記憶を代応者エンジェントに押し付けた。だから私は償わないといけない」


 痛みに耐えるように固く拳を握りしめるルイーズに、ジェスターは優しく声を掛ける。


「ルイーズ。思い出した過去がたとえどれだけ劇的でも、それに捕らわれる必要はないからね。今の君を形作るのは、たった一つの過去の出来事じゃない。今に至る全ての事象が重なって、今の君になっているんだ」


 その声はルイーズの心の奥へと真っ直ぐ届いて、落ち込む背中を押してくれる。


「過去の全てを受け入れる必要もないし、嫌な出来事を否定して逃げる必要もない。ただ楽しかった経験を、自分を良い方向に変えてくれた思い出を、愛することができればそれで良いんだよ。大丈夫。君ならできるよ。今度は僕が……見守っておくから」


 その言葉が灯となって、ルイーズの心に巣食う暗闇を払ってくれた。勇気が、湧いてくる。


「ありがとう」


 ルイーズはそう言って、幼い自分の姿をした代応者エンジェントに駆け寄った。随分低い彼女の背に合わせてるようにしゃがんで、その目を見詰める。


「さあ、帰りましょう。貴方は私なんでしょう。もう一人ぼっちにはしないから。私が貴方のことを受け入れるから。だからお願い。貴方が抱える記憶を、私に教えて」


 ルイーズの応冠が輝く。展開される魔応円サークルが彼女と代応者エンジェントを温かく包む。互いの額を合わせて、記憶の共有を開始する。ルイーズの意識がゆっくりと沈んでいって――。




 今日はとくべつな日だ。

 いつもよりおひるねの時間が少なかったから、まだちょっと眠い。


「ルーちゃん。さっきまでどこ行ってたの?」

「そうだぞ。気付いたらいなくなってたんだぜ」

「どうせ迷子になって帰れなかったんだろ。このたてものって広いから」


 閉じそうになる瞼を擦りながら、ルイーズはからかってきた友達に反論する。


「ちがうもん。中庭に行ってたの。それでね、そこであたらしい友だちが」

「よーし。じゃあ皆集合ー! 今日最後の実験を始めよう!」


「「「「はーい」」」」


 皆が声の方へと集まり始める。ルイーズはまだ話し足りなかったが、諦めてついていく。


「さあ皆、応冠を被って。それができたら、次は皆で手を繋いで大きな輪っかになろう」


 今度は何がはじまるんだろう? 他の子と一緒にワクワクしながら、ルイーズは指示に従う。


「それじゃあ皆、この間練習した魔応円サークルを展開して、お互いに重ねてみよう」


 少し集中すると『さーくる』が足下に現れた。念じるとその円は広がって、友だちの円と重なり合って、やがてみんなを囲む一つの大きな大きな円になった。


「わー! きれい」


 キラキラした『さーくる』はまるで万華鏡のように輝いて、ころころと模様が変わっていく。

 円は徐々に大きくなって、どんどん広がって――。


 直後、全てが砕けた。


 耳をつんざく轟音とサイケデリックな閃光に、思考も感覚もまとめて上塗りされる。

 叫ぶ暇さえないほど一瞬の出来事だった。そして、感覚が戻って目にした光景は――。


「……なんだこれ。どうなってんだ?」

「あれ? 先生たちは? パパ? ママ? どうして皆いないの。嫌だ。怖いよ」


 灰色の空に赤茶けた芝生。世界は、酷く色褪せていた。

 不安と戸惑いを零す友達につられて、ルイーズもつい弱気になる。

 その時だ。ボコッボコボコと音がした。それは、沸騰する鍋を連想させた。


「なに? ……………………………あ」


 思わず目をやって、すぐに後悔する。

 異形が転がっていた。それが、隣にいたはずの友達だと理解するには、時間が必要だった。

 だって、その体は右半身が膨れ上がり、四肢は関節を無視して歪んでしまっていたから。


「うあああぁぁぁああああああ!」


 そう叫んだのは、その友達だったのか、それともルイーズ自身だったのか。

 何も理解が追い付かない。でも状況は待ってくれない。

 ボコッ、ボコボコッ、ボコボコッボコ、ボコッボコボコボコッ。

 思わず目を閉じて耳を塞ぐ。その場に蹲って、目の前の事態から必死に意識を逸らした。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ!」


 異音は次第に激しくなって、至る所から聞こえ始める。それを打ち消したくて、喉が張り裂けそうなくらい叫んで、喚いて。


「はー。はー。はー。……あれ?」


 音が、止んだ。ぱっと顔を上げる。さっきのは悪い夢で、本当は何も怖いことなど起きていないのだと、そう信じたかった。そして何より、皆の無事を確認したかった。

 けれど現実は残酷だ。

 人肌を纏う巨大な異形が、目の前に立っていた。その上に浮かぶ大きな冠は、絡まった毛糸のようで。それでもよく見たら、それを構成するのはいくつもの見知った応冠だった。


「あぁ……あぁああ…………」


 異形の正体に気付いてしまう。歪んで崩れて混ざり合ってしまった友達なんだと、分かってしまう。だからもう、その場から動けない。恐怖が、心を蹂躙する。

 うぞうぞと蠢く異形の一部が伸びて、ルイーズにまとわりつく。それは、助けを求めて縋りつく無数の手に見えた。その手に触れた瞬間、ルイーズの応冠が、意識が、崩壊を始める。


 怖い。怖いよ。このままじゃ、わたしがわたしでなくなってしまう。嫌だ。そんなの、嫌だ。

 これは夢だ。きっとわるい夢なんだ。だからぜんぶ目がさめたら忘れてるんだ。忘れたい。逃げ出したい。苦しいのは嫌。悲しいのは嫌。こんな、こわい思いをするなんて、ぜったい、嫌!


 その破滅的な願いに、その強い意志に、応冠は呼応する。

 太陽の如き黄金の輝きが、まとわりつく異形を討ち祓い、意識を白く塗り潰す。そして――。

 


 思い出した。そうだ。私は全部拒絶したんだ。変わり果ててしまった友達も、壊れそうな自分自身も、何もかも受け入れたくなくて、世界の全てを拒絶した。

 今なら分かる。あの世界は〈ルーツ〉だった。あの時、何故か開いた〈ルーツ〉への扉を、私が閉じたんだ。その向こうに、『わたし』を一人ぼっちで置き去りにして。

 そして昨日、クライドの腕が歪んだ時、記憶の封印が解けた。無意識の内に〈ルーツ〉の存在を思い出してしまった。だから再び、扉が開いた。


「全部……私のせいだ」


 目を開けると、幼い『わたし』とジェスターが心配そうに見守っていた。いつの間にか泣いてしまっていたようで、頬を濡らす涙はまだ止まらない。感情も思考もぐちゃぐちゃだ。


「あの時の友達も、その親も、私のパパもママも、そして貴方も。皆、私が不幸にした。私の今までの平穏も、幸福も、皆の犠牲で成り立ってた。昨日だって、私のせいで〈ルーツ〉が開いた。そして、ルーツショックが起きた。だから全部、私一人のせいだ」


 込み上げる絶望に歯止めがきかない。吐き出し続けなければ、心が崩れてしまいそうだ。


「皆を助けられるなんて、幻想だった。私が信じたかっただけだった。こんな力、持たなければ良かった。皆を苦しめるだけの力なんて無ければ良かった。……こんな力、大っ嫌いだ!」


 心の許容量を超えて放たれた言葉。その言葉の意味に、ルイーズは気付かない。


「ルイーズ! 駄目だ。そんなこと言っちゃ」


 ジェスターの声で顔を上げる。怯えた瞳と、目が合った。もう一人の『わたし』が、目の前にいた。七年前、私自身の力で生み出されたあまりにも強力な代応者エンジェント。つまり、私の力の化身。


「あ……。待って。違うの。私は、貴方を否定したんじゃなくて」


 何もかも手遅れだった。ルイーズから逃げるように、少女はどこかへ走り去ってしまった。


「あぁ……。駄目だ。あの子に嫌われちゃった……」


 また、傷つけてしまった。また、自分のせいで。

 心配そうに駆け寄るジェスターに、ルイーズは思わず弱音を零す。


「ねぇ、ジェスター。貴方はああ言ってくれたけど、やっぱり私には無理だ。私に愛せるような思い出なんてなかった。私が皆不幸にしたのに、一体何を愛せば良いって言うの……」


 自己嫌悪でどうにかなりそうだった。ずっとずっと虚像の平和の中にいた心は、あまりに愚かで、身勝手で、他者を傷つけてばかりだ。このまま消えてしまいたかった。なのに――。


「やっぱりここだったか。まだ帰ってないって聞いて、もしかしたらと思ったら」


 運命が、交差する。その行く先も分からぬままに。

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