9 ―因果―
「先生! 大丈夫か!!」
「お、その声はクライド君だね」
診察室に飛び込むと、ウォールがのそのそと診察ベッドの下から這い出てくるところだった。
「いやあ驚いた。急に騒がしくなるもんだから慌てて隠れたけど、鍵を閉めるのを忘れて焦ったよ。っと、クライド君! 君、血が出てるじゃないか。だいぶ無茶をしたな。処置するから座りなさい。ここにだって救急箱くらいある」
促されるままに椅子に座って、クライドは違和感に気付く。これは……どういうことだ?
「浮かない顔をしているね。傷が痛むのかい? それとも、襲撃犯に何か言われたかな?」
傷口にしみる消毒液の痛みで思考を中断。駄目だ。まだうまく纏まらない。疲労のせいで頭の回転が緩慢になっている。だから先に、クライドは確認することにした。
「なあ先生。さっき応冠否定派の奴らが言ってたんだ。昔、応冠の研究中に事故があったって。その……本当なのか? 無事だった被験者がたった一人なんて。嘘だよな?」
「いや、事実さ。あれは痛ましい事故だった。一方であの事故があったからこそ、応冠の安全性が向上したのも事実だ。〈ガーディアン〉だって、その研究の延長で生まれたものだしね。だから、ちゃんと無駄にはなっていない。……まあ、こんなのはただの慰めにしかならないけど」
手当を済ませて椅子に深く座るウォールに、更に質問を重ねる。こっちの方が重要だ。
「じゃあ、唯一無事だったその子が……その、ルイーズだったっていうのも」
「君が言っているのはウルブライト嬢のことかな。んー。すまないが教えることはできない。なにせ、被害者はみんな子供だったからね。その個人情報は厳重に秘匿しなきゃいけない」
「……ああ、分かったよ」
十分だ。さっきの返答でよく分かった。問いに対して否定せずに言葉を濁した。多分、そう言うことなのだろう。あの事故で助かった少女は、きっとクライドが知っているルイーズだ。
「しかし、これは重大な問題だね。まったく、どこから漏れたんだか。あの事故に関して詳細を知る者は限られているはずなんだが……」
クライドは一人、思索にふける。
七年前、応冠の事故があって、ルイーズ以外の被験者が意識障害を起こした。そして今年、〈ルーツ〉にハイアーズが迷い込んで意識障害に陥る事例が何件も発生した。何か、似ている気がする。今回の場合、安全装置である〈ガーディアン〉のお陰で、ルーツショックの被害は最小限だった。もし〈ガーディアン〉が無かったら今頃……多くのハイアーズが意識障害になっていただろう。そうまるで、七年前の事故のように。
ルーツショックの時、座り込んだ彼女は怯えているように見えた。もしそれが〈ルーツ〉に対する恐怖なのだとしたら、その反応は納得できる。でもおかしい。それじゃあ何故、彼女ははジェスターと〈ルーツ〉で会っていた。あんな危険人物と、彼女は一体何を話していたのだろうか。いや、そもそもとして、ジェスターが彼女に関わる目的は一体なんだ?
その時、複数の足音が近づいてきた。
「医師のベイドマン先生と学生のウォーパレス君ですね? 事件に遭ってお疲れのところ申し訳ない。先ほどの襲撃事件について、皆さんからお話を聞いているんですがご協力願えますか?」
見ると、扉の先に警官が二人立っていた。
「実は襲撃犯には指示役がいたようなのです。既に連絡は途絶えているのですが、我々は」
勝手に話を始めた警官たちに、ウォールが両手で待ったをかける。
「おおっと、一旦落ち着いて。僕は別に構わないけど、この子は明日でもいいかな? この通り怪我もしていることだし、医師としては休ませるべきだと思うんだが」
「先生。俺は別に」
クライドは反駁するがウォールも譲らない。その目は真剣そのものだ。
「良いから大人しく今日は休みなさい。君、昨日も無茶してただろう? いい加減休むべきだよ。今だってそうさ。そんな思い詰めた顔して……。こっちが見ていられない」
その最中、廊下からこの部屋へと駆けて来る足音がもう一つ。
「クライド! 戻ってこないから心配し……って、どうしたのその怪我? もう、何度言ったら分かるの! あなた、もっと自分を大事にするべきよ。後悔してからじゃ遅いんだから!」
開口一番説教を始めたミーゼに、クライドは返す言葉もない。今回は二人の意見が正しい。
「ああ分かった。休むよ先生。ミーゼも、心配かけて悪かった」
警察に連絡先を伝え、クライドたちは病院を出た。極限状態を脱してアドレナリンが切れたからだろうか。今更のように、頬の傷がじくじくと痛み始めた。
学園へと戻るバスの中、クライドは怪我の言い訳やウォールと話した内容をミーゼに伝えた。
「嘘、ルイーズが! それ本当なの? 確かに彼女なら無事だったのも納得できるけど……。そんなの絶対トラウマになる。彼女は今までそんな風に見えなかったわ」
「そうなんだよな。たとえ子供の頃の出来事だったとしても、覚えていないなんてありえるか?」
いや、もしかして彼女の応冠の力であれば、あるいは……。なら、あの幼女は?
「そう言えば事故のことだけど、調べてみたら一応見つけたわ。ただ、ネットの記事はとても小さな扱いね。別の記事に紛れ込むように少し載っているだけだった」
そう言って、ルイーズがスマートフォンの画面を見せてきた。
空中に浮かぶその記事には、意識不明だった少年が、応冠によって歩けるまでに回復したことが書かれており、希望の溢れる内容だった。その記事の最後、事故について書かれたと思しき箇所に襲撃犯から聞いた情報は一切無く、ただ『技術的トラブル』とだけ言及されていた。
「ね? これじゃ何が起きたかなんて、分からないはずなんだけど」
「さっきの警察の話だと、黒幕がいたってことだが……一体誰なんだ?」
事故当時、ルイーズ以外の被害者は意識不明だった。被害者の親が話すとは思えない。きっと事故への後ろめたさがある。その研究を主導した者は言わずもがなだ。
「……もしかして、回復してたんじゃないの?」
クライドが頭を悩ませている隣で、ミーゼが何かに思い至る。
「被験者の誰かよ。事故後に意識が戻ってるんじゃないの? 彼らなら当事者として色々知っていてもおかしくないわ。それに、事故のせいで応冠に対する不信感もあるでしょうし」
盲点だった。何せ七年前のことだ。被害者の誰かが回復していてもおかしくはない
「それだ! 流石ミーゼ。いや待て。となると……、やばい。早くルイーズに会わないと」
「ちょっと、どういうこと?」
「後で話す!」
ちょうど学園に到着したバスから転げるように降りて、クライドたちは急いで寮へと向う。
相変わらずピースは足りない。けれど過去と現在は繋がった。その先に暗い未来を覗かせて。
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