8 ―強襲―

 変な気分のまま診察室を出る。廊下では診察室へ向かう人たちとすれ違った。彼らの中には随分太くて武骨な旧式の応珠をつけている人もいて、色んなハイアーズがこの国に集まっているのだと実感させられる。ただ、誰もが速足なのが気になった。まるで逃げるみたいだ。


「ん、何かあったのか?」


 見ると受付が騒がしくなっていた。成る程。厄介事に関わりたくないのは皆同じわけだ。


「おい、ここにいるんだろ! ベイドマン先生に会わせてくれ。話がしたい」

「部外者の方に当病院関係者の情報を教えるわけにはいきません。お帰り下さい」

「いやだね。これだからマリオネットは。俺たちを見下してるんだろ。妙な首輪付けやがって。冠を被ってるのがそんなに偉いのかよ!」


 受付の女性と揉めていたのは、二人組の男たちだった。突っかかっているのは小柄の男で、その後ろでは大きな図体に筋肉質の男が腕を組んで静かに威圧していた。


「落ち着いてください。貴方、応冠否定派の人ですか? 目に余るようなら警察を呼びますよ」


 険悪な雰囲気の中、クライドたちは男たちを刺激しないように、ゆっくりと彼らの後を通り抜ける。周囲には騒ぎを聞きつけた野次馬が集まっていて、そんな彼らを押しのけて保安員が駆けてくるところだった。


「あーあーあー。そうか。そうだよな。あんたらも知らないんだもんな。だからそんな危険な代物を平気で使えるんだろ。だけど俺たちは掴んでるぞ、応冠の重大な秘密、その一端を!」


 背後で大きくなっていく威圧的な口調。嫌な予感がしてクライドは振り返った。


「今からそれを確かめてやる。どんな手を使ってでもな。やれ兄弟! 強硬手段だ!!」

「はっ、やっと俺の出番だ! あーあ、腕が鳴るぜ!」


 そう叫んで、筋肉質の男が群衆と向かい合うように身を翻す。やばい。目が合った。


「はっはぁー、見ーつけた!」


 男の右手でキラリと閃いたのは硬質な銀の光沢……サバイバルナイフだ! 硬直する体。刃物に対する本能的な恐怖がクライドの手足を縛ろうとする。それでも、強引に振り解いた。

 輝く応冠が本能をねじ伏せ、その意志を優先させる。守りたいという、強い意志を。


「危ないミーゼ!」

「きゃっ! ……ちょっと、クライド!」


 伸ばされた男の手から庇うように、咄嗟にミーゼを突き飛ばす。代わりにクライドはあっという間に拘束された。駆け寄ろうとしたミーゼを、慌ててやってきた保安員が連れていく。


「はっ、ヒーロー気取りか。感心だな。まあ良い。命が惜しけりゃ騒ぐなよ」

「離せ! 一体何なんだお前ら!」


 太い腕で首根っこを押さえられたクライドは、抵抗もままならない。


「でかした兄弟。おいあんた、大人しく要求に従え。変な気は起こすな。前途ある学生の未来が断たれるぞ。あんたの端末は院内ネットワークに接続されてるな。じゃあこれを繋げ」


 小柄の男から手渡されたフラッシュメモリを、受付の女性が震える手でパソコンに挿入する。


「おい。何だよ、あれ?」


 思うように身動きの取れないクライドは、せめて口だけでも抵抗を試みる。


「はっ。あれにはウイルスが仕込まれてんだ。データを勝手に吸い出してくれる便利な代物さ」

「おい兄弟! あんまりべらべらしゃべるな! 大人しくそのガキを押さえとけ。周りも見張ってろ。俺は念のため診察室に行く。もしベイドマン先生が居れば大当たりだが、他の先生でも何か知ってる奴がいるかもしれねぇ」


 そう言うと、小柄の男は診察室が並ぶ廊下の奥へと向かった。まずい。このままではベイドマン先生が危ない。かと言ってこの状況では為す術がない。まずはこの男の拘束をどうにかしなければ……。目の前でぎらつくナイフは確かに怖い。だが、そんな情動は全部応冠が抑え込んでくれている。だからクライドは、自分でも驚くほど冷静に打開の糸口を探る。


「なあ、あんたら。さっきから一体何の話をしてるんだ? 応冠の重大な秘密って? それにベイドマン先生が関係してるのか?」

「はっ。なんだお前も知らねぇのか。良いぜ。教えてやるよ」


 かかった。やはりこの男、口は軽いようだ。やがて男の大声が院内に響き渡る。


「七年前。当時の研究者たちは実用化前の応冠を使って子供たちに人体実験を行った。その結果は悲惨なものだった。事故が起きたんだ。一二人いた被験者は、そのほとんどが精神をやられておかしくなった。無事だったのはたった一人の少女だけだ。分かるか、なあ? お前らマリオネットどもが頭の中に突っ込んでるのは、そういう危険な技術なんだ。現に昨日、大きなトラブルが起きただろう? つまり、応冠は制御不可能で危険な」

「ちょっと待って!」


 割って入ってきた声にクライドは肝を冷やす。群衆の最前列で、ミーゼが男を睨んでいた。


「都合の良い事ばっかり言って。〈ガーディアン〉があるじゃないの。お陰で〈ルーツ〉の危険性は最小限に抑えられてるわ。あなたたちは、私たちハイアーズを僻んでいるだけじゃない。さっきの話だって、あなたたちがでっち上げた嘘っぱちなんでしょ?」

「違う。真実だ。そうやって疑う奴を黙らせるために、俺たちは事故の確固たる証拠を掴みに来た。手掛かりは二つある。一つ目はベイドマン先生だ。奴は事故の原因調査を担当していたらしいからな。きっと何か知っているに決まってる。そして二つ目は」


 男が並べる情報はどれも衝撃的で、だからこそ続く言葉に耳を疑った。


「ルイーズ。事故で無事だった唯一の被験者の名前だ。苗字は分からんが、これでだいぶ絞り込める。もし一度でも来院しているなら、今吸い取ってるデータに含まれているはずだ」


 ルイーズ。その名の人物を、クライドは一人しか知らない。まさか、彼女が……。駄目だ。落ち着け。今は目の前の男に集中しろ。あとで確認すれば済むことだ。


「そうさ。つまり今日、応冠の闇を俺たちが暴いてやる! いいかお前ら。こんなの全部、応冠を普及させたい奴らの陰謀だ。奴らはいずれ全人類の思考を操作する気なんだ!」


 演説のように熱く語る男。だからこそ隙ができる。今だ!


「ハイアーズどもよ。いい加減気付け。目を覚ま、っ痛ぇ!」


 自分を抑え込む太い左腕。その握り拳が会話に夢中で一瞬緩んだ、その瞬間。

 男の小指を、クライドは掴んで力の限り捻った。関節の動きを無視する方向へ。


「くっそ! お前何しや、っぐぶ!」


 痛みに怯んだ男が拘束を解く。と同時、クライドは男の顔面に目掛けて、思いっきり後頭部で頭突きを喰らわせる。身長差のせいで鼻っ柱には届かなかったものの、強かに顎をぶつけた男の体勢が崩れる。その右腕に握られたナイフが虚空へ向くのを、クライドは見逃さない。


「おおおおおお!」


 咆哮。自分自身に発破をかけて、刃物に対する恐怖を麻痺させる。クライドは振り返りざまに両腕で男の右手首に組みついた。全身全霊でその腕を捩じる。


「っがあぁ!」


 痛みで男がナイフを取り落とすと同時、直前まで野次馬と一緒に呆気に取られていた保安員が応援に駆け付ける。二人がかりで男を取り押さえた。まずは一人。


「おっさん、後は頼んだ」

「あっ! こら君、待ちなさい!」


 残るは小柄の男。急がなければベイドマン先生の身が危ない。組み伏せた男の身柄を保安員に任せ、クライドは診察室が並ぶ廊下を駆ける。

 と、物陰から銀の閃きが伸び出て、咄嗟にブレーキ。振り上げられたナイフの切っ先が頬を掠めた。直後、立ち塞がるように躍り出た小柄の男と視線が交わる。


「くっそ。これだからハイアーズは嫌なんだ。何なんだよ。なんで、ただの学生風情が冷静に動けるんだ! 自分の命が懸かってるんだぞ。どう考えてもおかしいだろ!」


 ナイフを握る小柄の男の手は震えていて、その目は血走っていた。


「もう諦めろ。こんな暴力的な方法以外にも、他にやりようはあっただろ」


 頬を伝う汗を拭う。滑った質感が手の甲に伝わって、気付く。……血だ。


「うるせぇ、黙ってろ! それだよ。俺はお前らの、見下すようなその目が、心底嫌いなんだ!」


 男の悪態が遠く意識の彼方へと消えていく。手の甲を濡らす血が、思考にまで赤く広がる。

 刃物で切られると怪我をする。怪我が酷いと人は死ぬ。その当然の事実を急速に実感する。

 やばい。今更のように全身が震えて止まらない。応冠による感情制御。それが今、解ける。


「おい、聞いてんのかお前! こっち向けよ。俺を、この俺を無視するんじゃんねぇ!」


 怒りのままに飛びかかってきた男への反応が、明確に遅れる。これは、まずい!

 再び応冠に意志を込める。立ち向かう意志を流し込んで……、駄目だ。間に合わない――。


「そこまでだ。武器を捨てろ!」


 直後、駆けつけた警官の気迫に男が怯む。同時、応冠の効果が発動。立ち向かう意志が再び全身を巡ったクライドは、小柄の男の腕と胸倉を掴んで、持てる力の全てを懸けて投げ倒した。

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