7 ―病院―
直通バスのお陰だろう。三〇分と経たないうちにクライドたちは病院にたどり着いた。
受付を済ませ、案内に従って担当診療科の待合室へと移動する。
因みに、ハイアーズたちの応冠の不調を担当するのは、拡張神経内科だ。従来は脳神経内科の担当だったが、応冠に関する特別な知識が必要なことや、年々増加するハイアーズに対応するために、新設された診療科である。
ルーツショックの影響なのか、平日の午後だというのに待合室は意外と混んでいた。
「待ち時間なら大丈夫だ。受付で俺が来たことは伝えたし、元々先生は外来担当じゃない」
クライドの宣言通り、ほどなくして順番が来た。
いくつかある診察室、その一番奥の部屋に入る。
「成る程。本命はミーゼ君の診察か。クライド君も考えたね。ま、僕は構わないんだけど」
入室早々、クライドたちの嘘はあっさりウォールに看破された。わざとらしく眼鏡をクイッと上げてみせる彼の頭には、昨日は見えなかった青銅色の応冠が浮かんでいる。
「早いって先生。ちゃんと自分から説明しようと思ってたのに。でもどうして……」
「ベイドマン先生、ごめんなさい。私が無茶したからなんです。クライドが気を遣ってくれて、結果的に先生を騙すみたいになってしまって」
頭を下げて謝罪するミーゼとは対照的に、ウォールはさして気にしていないようだった。
「問題ないさ。ま、いずれにしてもやることは同じだからね。見たところ、クライド君の応冠は大丈夫そうだね。ミーゼ君も応冠を被ってみて。診察を始めよう」
ミーゼが髪留めに触れる。花開いたのは紅蓮の大輪……もとい猫耳だ。
「まさか先生。ミーゼだけ応冠を外してたから、気付いたのか」
「その通り。ま、電話で薄々察してたんだけど。……ほう。これはなかなか興味深い」
ミーゼの応冠をまじまじと眺めて、ウォールは思わず感嘆の声を漏らす。
「紋様に揺らぎがみられるね。これは脳と応冠の連携が乱れていると起きるんだ。おそらく応冠が大きく変形したからだろう。当時は相当な負荷がかかったはずだが、よく無事だったね」
「先生。結局ミーゼは大丈夫なのか? 元に戻せるのか?」
急かすクライドに対して、ウォールは慣れた手つきで手元の端末を弄り始めた。
「応冠は拡張神経、すなわち仮想的な神経結合パターンだ。今回は応冠の変形でこれが乱れたわけだが、幸いにも大規模なものではなかった。つまり、新しいパターンに慣れてしまえば治る。現に彼女は適応し始めているようだし、じきに使えるようになるはずだ。一応こっちでも調整させてもらったから、少しはましになったんじゃないかな」
「確かに。揺れの感覚が無くなりました。先生、ありがとうございます」
そう言ったミーゼの応冠は、確かに揺らぎが治まっていた。
「さて二人とも。一体何が起きたか説明してもらえるかな?」
クライドとミーゼは互いに昨晩の顛末をウォールに話す。ルイーズとジェスターのことは、今回は省いた。少なくともこの問題とは関係がない。
「ほう。〈ルーツ〉に行ったら応冠が暴走した、か。ということは、
目の前の二人を放置して、ウォールが独り言を漏らしながら自分の思考に没頭してゆく。
「なあ先生、勝手に納得してないで説明してくれ」
「ああすまない。少々考え込んでしまった。順を追って説明しよう」
そう言って伊達眼鏡のブリッジに触れながら、ウォールが改めて二人に向き直る。
「君たちの話から判断すると、〈シード〉と比べて〈ルーツ〉では、応冠の力が外界に強く影響を及ぼすようだ。だからこれは僕の憶測だけど、この現象は、場の問題によるものだね」
「……? 先生、もう少し分かりやすく頼む」
クライドには理解できなかったウォールの説明。だが、ミーゼには何か伝わったようだ。
「ベイドマン先生。それってつまり、月では地球より高く跳べるのに近い感じってことですか?」
「おお! 良い例えだねミーゼ君。それで合ってるよ。入力される値が変わらなくても、得られる結果は〈ルーツ〉の方が大きいものになるってことだ。応冠に限って言えば、蝋細工でも説明できる。応冠は、〈シード〉では冷えて固まった状態だから、多少の力では変形しない。でも〈ルーツ〉では温められて柔らかくなった状態なんだ。だから少しの力でも容易に形が歪む」
ウォールの例え話のお陰で、ようやくクライドも理解が追いつく。
「成る程。応冠の力を引き出しやすくなる代わりに、応冠の形も変わりやすくなるってことか? なんだか変な世界だな、〈ルーツ〉って」
そんなクライドの素直な感想に、ウォールは教育欲が刺激されたようだった。
「二人に確認したいんだけど、そもそも
「えっと、なんだったかな。たしか……」
「ハイアーズの五感からの情報、つまりクオリアを統合して生まれた世界、ですよね?」
クライドが口ごもる中、ミーゼが平然と答えて見せる。それを聞いてウォールは頷いた。
「その通り。じゃあどうやってそれが生まれているか分かるかな? 知っての通り、意識も感覚も、その神髄を人類は解明できていないのに」
「確かに、言われてみれば……」
流石にミーゼもそこまでは考えていなかったようだ。改めて考えると奇妙な話ではある。
黙ってしまう二人を前にして、ウォールは得意顔で答えて見せる。
「答えはずばり、『分からない』だ」
「は?」
「嘘!」
予想外の回答だった。唖然とする二人の反応を見て、嬉しそうにウォールが説明を続ける。
「スカイセプターが応冠運用の要であることは知っているね。一般的な知識では、あの塔に僕らのクオリアが集積・統合されることで、
そのはずだ。そんな話をニュースやら本やらで聞いた気がする。
「論文等を読めば分かることだが、これは正確ではない。良いかな。スカイセプターとはすなわち、巨大な脳だ。人工的に再現された神経、その集合体だよ。そしてその神経結合パターンは公共のデータベースを元に再現されている。じゃあそのデータベースってなんだと思う?」
次第にウォールの教育熱に拍車がかかる。クライドたちは説明についていくのに必死だ。
「かつて、亡くなった人の意識をコンピューター上に再現しようという計画があった。そこで重要になったのが、その人の脳の全神経結合パターン、すなわちコネクトームだ。仮想上でコネクトームが再現できれば、そこに故人の意識が再び宿るのではないかと期待されていた。だけど、結果は失敗に終わった。きっとまだ何かが足りないんだろう。それでも研究が進んだ遠い未来には可能になるかもしれない。そんな期待を込めて、現在までに多くの人々のコネクトームが保存されてきた。その物理的な保管場所はかつて、『エンピレオタワー』と呼ばれた」
「エンピレオタワー? どこにあるんだ、それ?」
「ははっ。今は別の名前で呼ばれているよ。『スカイセプター』といえば分かるだろう?」
驚愕。それはつまり、スカイセプターは死者の脳の集合体、ということか……。
「おっと。あくまで参考になってるってだけだよ。全部繋ぎ合わせれば良いってもんじゃない」
クライドの思考を読んだのか、ウォールがすかさず訂正を入れる。
「そう言えば、聞いたことがあるの。スカイセプターが真上を通過する第一島区。あそこには大きな霊廟があって、故人を悼んで訪れる人々のための宿泊施設があるって。あれって、故人のコネクトームがあの塔に保存されていたからなのね」
ミーゼが得心して頷くのを、ウォールは満足そうに見届けて話を続ける。
「だからスカイセプターは、無数の故人のコネクトーム情報を元に形成された巨大な脳なんだ。その脳は多くのハイアーズを耳目として、絶えず様々なクオリアを収集している。だからそこには世界が再現されていて、僕らはスカイセプターと繋がることでその世界を体感できるんだ」
壁越しにスカイセプターを見詰めるように、ウォールの視線が彼方へと向けられる。
「かつて、師匠であるラングール博士は〈ルーツ〉を発見し、運良く
「なんだか抽象的な話になってきたな。まあ原理の詳細が不明なんだから、そう考えるしかないんだろうけど……。この応冠って技術が上手くいっているのが、何か不思議に思えてきた」
全て妄想と言ってしまえばそこまでだ。実際にどうなっているのかは誰にも分からない。
「じゃあ最後にもう一つ、不思議な話をしよう。少し考えてみたんだ。現実世界でスカイセプターはクラスタリアにあって、〈シード〉でもそれを反映している。なのに〈ルーツ〉ではブレイクスルー研究特区にあった。それは何故か。ここからは憶測に憶測を重ねるような話になる。〈シード〉はハイアーズ全員のクオリアが統合されて現実世界を再現する場所。かたや〈ルーツ〉は個人の意志が優先される場所。そう考えると、〈ルーツ〉でスカイセプターが研究特区にあったのは、特定の誰かのせいじゃない」
個人の意志が優先される世界で、ハイアーズ以外に意志を持ちうる存在。それは――。
「きっと『塔の意志』だよ。まあ、単なる僕の妄想だけどね」
「やめてくれよ先生。気味が悪い」
あり得ない話だ。もしあの塔に意志が宿るのなら、天空の巨大な箱にずっと押し込められているうちに、きっと狂ってしまうだろうから。
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