5 ―異変―

 昨夜のことが気になって、授業なんて集中できないと思っていた。だが、それは杞憂だった。


「あー疲れた。授業は早いし、課題は多いし。どうなってんだこの学園」


 考え事をする余裕など全くなかった。どの授業もついていくので精一杯だったのだ。

 てっきり、このまま多忙な一日が過ぎると思っていた。が、そうはならなかった。

 異変があったのは三限目の後の休み時間。数学の教室へと移動中のことだった。突如、少し前を歩くミーゼがふらついた。転倒まではいかなかったが危うい場面だ。


「ミーゼ、大丈夫か? やっぱり昨日の」

「違うって。心配しすぎよ。本当に大丈夫だから」


 その時は彼女の言葉と笑顔を信じて引き下がった。が、クライドは今、それを後悔している。

 午後の授業中、彼女の体調が万全ではないのは、はたから見ても明らかだった。いや、むしろ悪化している。注意深く観察していると、彼女の応冠が微かに揺れているように見えて、最後の授業の前にクライドは堪らず声をかけた。


「ミーゼ! お前、やっぱり無理してるだろ。本当は体調が優れないんじゃないのか?」

「クライド……。もしかしてずっと見てたの? ……ごめん。朝は気にならなかったんだけど、だんだん酷くなってるみたい。頭もくらくらするし……」


 そう答える彼女の顔色はあまり良いとは言えなかった。もう隠す余裕もないようだ。


「保健室で先生に見てもらうべきだ」

「ええ。でも最後の授業までは受けさせて」

「熱心なのは構わないが……せめて応冠は外せ。多分、それが原因だ」


 こうして何とか最後の授業を終えて、ミーゼを保健室へと連れていった、のだが――。


「参ったな。まさか先生が全員出払ってるなんて。各寮に診察に行ってるってことは……」

「今朝、スティーヴが言ってた件よね。まさかこんなに深刻だったなんて……」

「ったく、どいつもこいつも無茶しやがって」

「それについては反省してるわ。でもあなただって、色々無茶してたじゃない」


 精一杯反論するミーゼの口調はいつもより大人しい。それが余計にクライドを心配させる。

 状況がどんどん悪くなっている今、いつ戻るか分からない保健医を待つのが賢明とは思えない。だったら――。


「しゃーない。ちょっと強引だが確実な手で行こう。早く診てもらう方が重要だ」

「何か良い案でもあるの?」


 縋るようなミーゼの視線を受けて、クライドは秘策を明かす。


「昨日言っただろ。ベイドマン先生は俺の担当医で、時々経過観察をしてもらってるって」

「もしかしてあなた、先生に頼る気?」


 驚愕するミーゼを尻目に、クライドはスマートフォンを操作し始める。


「当然だ。担当患者が不調を訴えたら対応せざる負えないだろう。俺が昨日〈ルーツ〉に行ってから体調が優れないことにして、一緒にいたお前も同じ症状だから、ついでに診て欲しいって伝えとこう。嘘つくことになるが仕方ない。会ったらちゃんと白状すればいい」

「ちょっと強引な気がするけど……。でも、それでお願い。ごめんなさい。私のせいで……」

「反省してるならそれでいい。気にすんな。過ぎたことだ」


 ほどなくしてウォールと連絡を取ると、二人の診察を快諾してくれた。ただ彼は学園に来れないらしく、こちらから向かうことになった。目指す病院の場所は学園の隣、大学と研究施設が立ち並ぶ第五島区だ。



 ***



「行くぞ兄弟。作戦を決行する。『あの人』も現場に向かっているようだ」


 第五島区の駅近くのカフェ。手にしたスマートフォンの通知を確認して、小柄な男が席を立つ。その隣、大きな図体に筋肉質の男が応じた。


「いよいよだぜ。昨日の騒動でマリオネットどもも酷く動揺している。変革の時は近い」

「ベイドマン先生はこの島区の病院にいるらしい。真実を掴むぞ。俺たちの手で」


 人は常に『正しさ』を求める生き物だ。時に、膨れ上がったその渇望は日常に牙を剥く。

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