第三章 過去との対峙 Hurt Hearts
1 ―接触―
新年度初日、夜八時になる少し前。ルイーズは〈ルーツ〉にエントリーした。訪れたのは学園の体育館。そこは、嵐が過ぎたようだった。ガラスが砕け散った窓も、がらんとした静寂も。
「これを、私が……」
胸を押さえて堪える。それでも湧き上がる恐怖に呑まれそうになって――、その時だった。
トンッと足音が一つ。
「ごめん。もっと早く来るべきだった」
黒衣を纏う少年ジェスターが、彼女の目の前に現れた。
「どうして貴方が謝るの? 貴方は悪くない。私が早く来ただけだから」
「いや、違うんだ。……やっぱり僕は駄目だね。もうずっと、遅れてばかりだ」
そこまで深刻なことではないのに、本気で落胆した様子のジェスター。彼については分からないことだらけだ。だからこそ、ルイーズは一番気になることを最初にぶつける。
「ねぇ、どうしてあんなことしたの?」
ルイーズの責めるような口調で察したのか、ジェスターはばつが悪そうに答える。
「昼間のことだね。だって、あの時は一刻も早く、君から彼らを遠ざけないといけなかったし、何より皆〈ルーツ〉から出ていって欲しかった。だから、ああするしかなかったんだ」
「違う。そんなことは分かってる。私が知りたいのは、どうして貴方が私を庇ったのかってこと。だってあの時、危険だったのは貴方じゃない。この私なんだから」
胸に手を当てて少し声を荒らげるルイーズに対して、ジェスターは静かに首を振った。
「事実なんて関係ないよ。僕は君に悲しんで欲しくなかっただけ。だって、君は皆を巻き込みたくなかったんでしょう? それなら、僕が悪人になるのが一番手っ取り早い」
その答えにルイーズは戸惑ってしまう。疑問は増えるばかりだ。
「そんなこと言われても困っちゃう。貴方は私を知っているようだけど、私は貴方の事なんて知らない。本名だって知らないのに……。そうだ、名前を教えて。今度は本当の」
「……ばれちゃってたか。ごめん。本当の名前は秘密なんだ」
はぐらかされる。が、ルイーズは追求をやめない。腕を組んで彼を見据える。
「そう。じゃあ、フードをとって顔をよく見せて」
「え、えーと。それは……」
「駄目なの? 私の力になりたいって言いながら、名前も言わず素顔も見せない。そんな貴方を私が信用できると思う?」
ルイーズの勢いに押されてジェスターが後ずさる。やがて諦めたように項垂れた。
「分かった。見せるよ。でも、少しだけだよ。それと、もし不調を感じたら言ってね」
「?」
おそるおそるといった様子で、ジェスターはゆっくりと自分のフードに手をかける。
やがて現れたのは、少し垂れた目にブラウンの瞳の少年だった。巻き毛の黒髪と、その上に浮かぶ水晶のように透き通った応冠。うねる蔦のようなサークレットからは鋭い棘が何本も伸びていて、痛々しくも繊細な美を宿した荊の冠だ。
「どう? これで良い?」
その姿に思い当たることは何一つ無い。それでも彼の瞳は揺れていた。まるで怯えているみたいに。それが何に対するものなのか、ルイーズには分からない。
「やっぱり貴方のことは知らない。体調にも変化は……って、貴方こそ大丈夫?」
思わず声をかける。見開いた目と強張った体。まるで雷に打たれたような、明らかな動揺。
それに耐えるためなのか、彼の手はフードを強く握り締めていた。
「……大丈夫だよ。気にしないで。問題がないなら良かった。うん、本当に」
外套を被り直す刹那、彼は口元に笑みを浮かべていた。なのに、その目は今にも泣きそうに見えて。次の瞬間、その顔はフードに隠れてしまう。分からない、彼のことが、何一つ。
だから、問う。
「ねぇ、貴方は何がしたいの? 私を庇ったり、私の質問に答えたり。貴方の目的
は一体何?」
そう言われたジェスターは黙り込んで、やがて少し後ろめたそうに俯いた。
「……本当はね。君に文句を言うつもりだったんだ」
「え?」
「でも、違った。君も苦しんでいた」
「君『も』?」
「あ、ごめん。忘れて」
慌ててジェスターがかぶりを振る。息を大きく吸う気配。彼の纏う空気が変わる。
「とにかく、僕はこの世界にうんざりしてた。この世界は欠けているんだ。他の誰でもない、君が満たされていないんだ。僕にはそれが、どうしようもなく許せない」
訴えかけるジェスターの口調は、先程よりも幾分か饒舌で。彼の強い意志が見て取れた
ぴくりと、心が揺れる。それは嫌悪か苛立ちか。分からないまま口をつく。
「私が現状に満足していないなんて、どうして貴方に分かるの? 何も知らないくせに」
「うん。知らないよ、君の心の内は。でも事実は知ってる。君が暫く笑っていないって」
やめて欲しかった。これ以上踏み込んで欲しくなかった。
「それは……違う。馴れ合っていないから、そんな機会がないだけ。楽しくないわけじゃない。私は自分に満足してる。誰よりも強い特別な力があって、その力で皆を助けられるなんて、嬉しいに決まってる。自分の力が無駄じゃないんだって実感できるから」
「皆を助ける、か。でも、それじゃ駄目なんだ。全部一人で抱え込む必要なんて無いんだよ」
やめて。
「違う。私は強い。だからこそ、私はこの力を皆のために使うって決めたの」
「うん。良い心掛けだ。君らしいよ。でもね」
やめろ! それ以上は――。
「本当の君は、君自身が思ってるほど強くないよ」
「いい加減にして!」
力が、溢れた。拒絶の力が。前回より規模は小さい。けれど、ジェスターには直撃だった。
バチンッという音と共に、目の前の少年が仰け反る。
「あっ、……ごめんなさい」
「うん。全然平気だよ。このローブのお陰でね。これは
何事もなかったかのように頭を下げるジェスターを見て、ルイーズも気を取り直す。
「とにかく分かったようなこと言わないで。貴方とは今日、会ったばかりなのに」
早く話を切り上げたかった。でも、ジェスターは止まらない。
「そう言う君こそ、自分のことをちゃんと分かっているの?」
一歩、ジェスターが距離を詰める。そんな彼に咄嗟に反論できない自分を自覚する。
「……貴方、何を」
「だって、君は震えていたじゃないか。〈ルーツ〉で今日、僕と初めて出会った時」
「あっ……」
そうだ。彼の言う通りだ。あの時、私は確かに恐怖を感じていた。自分ではどうしようもなくて。思いっきり拒絶するしかなくて。
「いいかいルイーズ」
ジェスターが言葉を重ねる。
「強くあろうとするのは良いことだ。そうやって成長していけるのは素晴らしいことだ」
まるで子供を諭すように、優しくて真っ直ぐな口調。
「だけどね、それは自分に嘘を吐いてまで貫くことじゃない。もっと自分の感情に素直になるべきなんだ。そう。さっきみたいに」
もう否定しようという気は起きなかった。ただ黙って、彼の言葉に耳を傾ける。
「だからね、ルイーズ」
静かに名前を呼ばれる。その声は慈愛に満ちていて。
「君はもっと、弱くても良いんだよ」
それは、今までかけられたことのない言葉だった。今の自分には不要なはずの言葉だった。
なのに何故か、心の最奥までじんわりと広がっていく。だからつい、救われた気持ちになってしまった。聖者に赦された罪人のように。親に慰められた子供のように。
「ジェスター。私――」
ずっと自分は強いと思っていた。実際、誰も自分には敵わなかった。皆を助けられるこの力は素晴らしいものだと信じたかった。だからこそ、自分の弱さから目を逸らした。
「本当は……ずっと怖かった」
ぽつりと、零れてしまった。
「皆と比べて強過ぎる、この力が怖いんだと思ってた。でも」
言葉にして整理する。去年の冬も、今日の試練も、自分の力が怖かっただけじゃない。打ち砕かれた応冠。一瞬歪んだクライドの腕。あの時もこの時も、本当に怖かったのは――。
「今日やっと分かった。私は、知ることが怖かったんだ。この恐怖の意味を知ってしまうのが、ただ怖かった。力を使う度に脳裏をよぎっていたのに、私は気付かないふりをし続けた」
そう。これはきっと傷痕だ。はっきりと思い出せない、けれど昔に負ってしまった深い傷。力の行使とはすなわち、傷痕をなぞる行為だ。乱暴に爪を立ててしまう時もあった。そして今日、再び傷口が開いた。その痛みを、ようやく自覚した。
「ねぇジェスター。。貴方は何か知ってるんでしょう? だって貴方が私を知ってるのは、過去に私と何かあったからなんじゃないの?」
「それは……僕が話すべきじゃない。もっと適役がいる。でも、彼女と会うなら、君は覚悟しないといけない。心の準備ができたら場所を変えよう。会わせてあげる」
「準備ならもう大丈夫。だからジェスター、私を連れて行って」
そう言った事に後悔はない。けれど、私の覚悟は真実を受け止めるには小さ過ぎた――。
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