9 ―炎上―

「っかは!」


 衝撃と爆音。それらをまともに受けて、クライドは後ろに倒れこんだ。

 明滅する視界。酷い耳鳴り。それでも何とか起き上がる。そして愕然とした。

 大地が赤く赫く燃えていた。いや違う、これは――。


魔応円サークル……なのか、これが?」


 展開された魔応円サークルはあまりにも異質で、ヌラリと湧き上がる無数の赤光は劫火に見えた。

 次の刹那、クライドは息が止まってしまう。ずっと止まない耳鳴り。その正体は――。


「…………ミー……ゼ」


 少女の、叫喚だった。炎陣の中心に立つ彼女の、虚ろな瞳と燃え盛る応冠。その応冠と同じ赤の紋様が彼女の全身に浮かび上がっていた。左右に広げた両腕にも。大きく反らした体にも。 

 まるで、磔にされた無実の少女が、異端者として火刑に処される惨劇、その再現。

 もう、見ていられなかった。思考よりも体が先に、体よりも心が先に、走り出して。

 クライドは躊躇うことなく轟炎へ身を投じた。


「ぐっ……」


 歯を、食いしばる。熱いわけではない。ただ搔き乱される意識が沸騰しそうになる。暴走したミーゼの応冠。それによって生まれた歪な魔応円サークル。そこに踏み込んだのだから当然だ。すなわち、クオリアへの干渉。こちらへの配慮も手加減もない、純粋な暴力に近いそれ。

 ルーツショックの時とは違う。もう〈ガーディアン〉は護ってくれない。でも、それで良かった。この状況、あの安全装置ならこの一歩目で作動していただろうから。

 進む。踏みしめるようにゆっくりと。その足取りは重くて、体の芯はぐらついて、視界は上手く像を結ばない。

 やがて、手放しそうになった意識。そんなクライドを引き戻したのは、彼女の声だった。

 いつの間にか、叫び声は止んでいて。だからこそ聞こえた、意志の残り火。


 変わ……りたい……怖い………違……違う。


 ミーゼの口から途切れ途切れに漏れ出る言葉。それはまるで、悪夢でうなされているかのような苦痛を孕んでいた。焦点の合わない彼女の瞳からは、ぽろぽろと涙が零れていて。


「っ……大丈夫だミーゼ。今、俺が行くから」


 歩みは止めない。行ってどうするのか、何をすれば彼女を助けることができるのか。本当はクライドにも分からない。それでも何故か身体は動くのだ。目の前で苦しむ誰かに手を伸ばす、そのためにハイアーズになったのだから。


「俺が、俺が必ず助けるから」


 声を、かける。足を、踏み出す。手を、伸ばす。遂に届く、彼女の下へ。そして――。



 このままではいけない。そう、思っていた。

 焦燥感。それがずっと、胸の奥で燻っていた。それこそ身を焦がすほどに。

 優秀だと思っていた。他人より、私は才能溢れる人間だと思っていた。

 応冠を手に入れて、ハイアーズになって、これでずっと一番になれると、そう思っていた。

 けれど違った。この学園に入って、自分が如何にちっぽけな人間なのかを思い知らされた。

 ルイーズ・ウルブライト。彼女は完璧だった。運動も勉強も、何もかも全て、彼女は私より優れていた。彼女だけではない。ゴーウェンもアスレイスもエステラもスティーヴも。皆、私よりも光る何かを持っていて。その光の前では私なんて霞んで見えて。

 その時だ。うんざりしたのだ。学校の評価ばかり気にして、成績の優秀さだけで自尊心を満たして、テストの点数しか負けていないのに絶望してしまえる、そんな自分自身に。

 ただ変わりたいと思った。成績が全てではない。そんなこと、本当は分かっていて。だから、学校の試験では測れない、もっと別のことで自分らしさを見つけたかった。

 でも、変わるのは怖かった。挑戦した結果、失敗するのが怖かった。今の私を否定したいわけでは無いのだ。一番ではないだけで、学校生活には何の支障もないのだから。ただそうやって怖気づいている間はずっと、私のアイデンティティーが満たされなくて。

 それを埋める何かが欲しくて。〈ルーツ〉には、それがあるかも知れないと思った。現実でも〈シード〉でもないあの世界なら、今の自分と全く違う自分に成れるんじゃないかと、そう、思ってしまったのだ。でも――。

 違う。

 こんなことは望んでいない。

 違う違う。

 全部失うような、どうしようもない変化は。


「違う違う違う、絶対違うから。……こんなの、こんなの私じゃない。誰か、助け」


「そうだ! 違うんだ!!」


 ぐっと、肩を掴まれた。強く強く、痛いくらいに。


「だけどお前は今、ここにいる。変わりたくて、変わりたくない。それでも良いじゃないか。自分は誰かよりも劣ってる? それがどうした。皆そうだ。完璧な奴なんていないんだから。でも、それを含めて今のお前なんだろう? なあミーゼ、自分を嫌いになる理由を探すくらいなら、自分を好きになる理由を見つけようぜ」


 決して慰めではない彼の言葉は、それでも何故か安心できた。


「だって、お前は賢いだけじゃないだろ。お前は優しい奴だ。気配りができる奴だ。出会ったばかりの俺でも分かるんだ。必ずもっと沢山良いところがあるはずなんだ。だったら、自分を嫌いにならなくていい。こんな今すぐ変わろうとなんてしなくていい。もっと、もっとゆっくりでいいからさ」


 それは、認めてくれる言葉だった。矛盾を抱える今の私を、受け入れてくれる言葉だった。


「だから、戻ってこい! ミーゼ!」


 嬉しかった。以前より自分を好きになれた。

 でも、遅かった。変わり果てた応冠はもう制御できそうにない。

 どうにもならなかった。

 薄れる意識が、真っ赤に塗り潰されて――。


 爆ぜた。

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