3 ―復習―

「やあクライド君、久しぶり」

「先生! こっちに来てたんだな」


 ミーゼに案内されてやってきたカウンセリング室。開けた扉の奥でクライドたちを迎えたのは、グレーの短髪に眼鏡を掛けた男性だった。白衣を纏っていかにも医者のようだが、その眼鏡に度が入っていないことをクライドは知っている。本人曰く、ただのお洒落らしい。


「本当は先に研究所へ寄るはずだったんだが、騒動を聞いて慌ててこっちに来たんだ。まあ、一応僕もこの学園の非常勤講師だから」

「すげー、流石先生!」


 ウォール・ベイドマン。クライドが〈ルーツ〉から無事に生還したことを〈エクス=リリウム〉に報告した人物である。


「いやいや人手が足りてないだけだって。まあ、ちゃんと応冠を扱えるハイアーズの大人は少ないからね。ここの教師ですら必要時以外は応冠を被ってない人が多いようだし。今回だって、僕は駆り出されたみたいなもんだよ」 

「なんだ、そーなのか。感激して損した」

「ちょっとクライド! あなた、ベイドマン先生と知り合いなの?」


 外で待っていたはずのミーゼが、驚愕と興奮を滲ませながら部屋に入ってきた。


「ああ。俺が応冠を導入してから経過観察をしてもらってる。ミーゼも知ってるのか?」

「知ってるも何も、ハイアーズの間では有名人じゃない。応冠研究の第一人者で、応冠普及の功労者よ。応冠による知能向上を証明したのもこの人なんだから」

「なんだ。先生って結構すごい人だったのか」


 何度目か分からないミーゼの呆れたような視線。すっかり慣れたクライドは軽く受け流す。


「ははっ、嬉しいね。こんな歳でも褒められるってのはいいものだ。君、名前を伺っても?」

「初めまして。ミーゼ・シルフェンストです。こんなところでお会いできるなんて光栄です。まさか先生が診察に来るなんて思ってなかったので。もしかしてこれも研究なんですか?」


 よほど嬉しかったのか、ミーゼはすっかり上機嫌でウォールに話しかける。


「ミーゼ君鋭いね。そうだよ。あまり詳しいことは秘密だけど、まあ、慈善活動と研究の中間みたいなもんだよ。一部の被験者には無料で応冠を導入する代わりに研究に協力してもらってる。クライド君の担当医になった理由もそう。他にも何人か診ているよ。近いうち、きっと良い報告ができるはずだ」

「そうなんですね。是非、楽しみにしています」


 挨拶にしては長い二人のやり取りが一段落ついたのを見計らって、クライドは本題に入った。


「で、先生。雑談も良いけど、今日は事情聴取と健康チェックをしに来たんじゃ?」

「おおっと、そうだった。まあ、事情聴取といってもそんなに堅苦しいものじゃないし、二人が気にしないなら一緒にするけど、どうかな?」

「俺は構わないけど。ミーゼは?」

「私も気にしないわ。というより、私もクライドの話をもっと詳しく聞きたいな。だって、私はすぐに〈ルーツ〉を出ちゃったから」

「なら決まりだね。リラックスして好きなように話してごらん」


 終始和やかな雰囲気の中、事情聴取が進む。ミーゼが先で、クライドが後。こちらが話す間、ウォールもミーゼも真剣な眼差しを向けていた。続く問診による健康チェックも無事終える。


「うん。その様子だと二人とも心身に問題ないようだね。例の少年も非常に興味深い」

「あの、ベイドマン先生。これからどうなるんでしょう? 〈ルーツ〉が危険な以上、応冠も危険なんでしょうか?」


 ミーゼが率直な疑問をぶつける。それは、おそらくハイアーズ全員が現在進行形で抱いているであろう大きな不安だった。


「んー、そうとも言えないね。ここまで大規模なトラブルは初めてだけど、以前から〈ルーツ〉にエントリーしてしまう事例はあったわけだし。まあ、他の生徒たちの健康チェックの結果も概ね良好そうだから、今のところ悪影響は少ないと言えるね。それに、全員自力で〈ルーツ〉から離脱しているってことは、いくら危険な場所だとしても回避は可能ってことになるね」


 顎に手を当てながら話すウォールの意見はもっともだった。だが、それでもクライドたちは安心しきれない。


「よし。それじゃあ、応冠がそもそもどういうものなのか、おさらいしよう」


 二人の顔に不安の色が見てとれたからだろう。ウォールが話し始める。


「応冠と言えば、今だと頭上に浮かぶ王冠みたいな紋様のことを指している。が、本来は違う。これは結果的に出現する幻みたいなものなんだ。物質としての応冠本体は頭の中、脳の表面を覆う電極付きメッシュネットだ。まあ例えるなら、脳がヘアバンドを巻いてる感じかな」

「両耳から入れたやつだよな。麻酔中だったから全然覚えてないけど」


 クライドが左右の人差し指をそれぞれの耳に突っ込むようなジェスチャーをして見せる。


「正確には耳に突っ込まれたのは極細アームだ。それも応冠専用手術ロボット『マリエッタ』が操る特別製のもの。アーム先端から超極細の特殊な注射針で脳の片側ずつを覆うように応冠を導入するんだ」

「確かロボットのお陰で、安全に応冠が導入できて手術痕も残らないんですよね。私、もし頭蓋骨に穴を開ける必要があったらハイアーズになってなかったと思います」


 そう言って、ミーゼがつむじのあたりを触りながら心底安心したような顔を浮かべた。


「同感だ。きっと多くの人が同じ考えだろう。それに開発当初、人の手で導入された応冠の効果にはかなり個人差があったんだ。良い方にも悪い方にもね。でも今は、システム面の最適化と手術ロボット『マリエッタ』のお陰で改善された」

「なんだ。先生よりも『マリエッタ』の方が応冠の普及に貢献してるじゃん」

「ちょっとクライド」


 クライドの余計な一言にミーゼは慌てるが、当のウォールは笑顔で応じた。


「はっはっはっ。そうとも言えるね。まあ、そうやって導入された応冠は神経活動を読み取るだけでなく、神経細胞を刺激することで同じように働くんだ。つまり脳の外周に更に神経網が張り巡らされるわけで、応冠が神経拡張技術と言われるのはこのためだ」

「なあ先生、それって応冠を導入すれば賢くなるってことなんだよな?」

「と言うよりも、神経同士の接続がより最適化されて、脳の各領域の連携が効率的になるという方が正確かな。その結果、自分の意識だけでなく、五感から得られる感覚的経験、すなわちクオリアを上手く扱えるようになる。最近じゃ、この力を『冠覚クラウンセンス』なんて呼んでるね」


 次々とぶつけられる質問。それに対してウォールは、時折眼鏡を押し上げながら楽しそうに答えていく。


「こんなスゲーもの作るなんて、発明した奴はよっぽど賢くなりたかったのか? いや違うのか。こんな魔法みたいな技術を産み出した時点で十分天才なわけだし」

「ははっ。ちょっと違うかな」


 困惑の表情を浮かべるクライドにウォールが訂正を入れる。


「応冠開発者であり、私の師匠でもあるジョナサン・ラングール氏は当時、ブレイン・コンピューター・インターフェースを作る予定だった。思考で機械操作を可能にする技術だ。そのために、師匠は応冠の試作品を自らの脳に導入した」

「うげぇ。自分の体で人体実験かよ。いくら研究の為とは言え、流石に無謀過ぎる……」


 顔も知らない開発者の奇行に絶句するクライドを尻目に、隣のミーゼがすかさず補足する。


「あらクライド知らないの? ラングール博士は病気だったの。筋萎縮性側索硬化症ALSって知ってる? 徐々に体を動かせなくなる難病よ。根治できる治療法が無いんだから、無謀でも何でも、試したくなったとしてもおかしくないわ」

「成る程。って、なんでミーゼはそんなに詳しいんだ?」

「これくらい常識よ。だって、『ラングールの手記』を読んでたら全部書いてるじゃない」


 半ば呆れるように語るミーゼ。その言葉がクライドの耳に引っかかった。


「なんだそれ? ラングールって、さっき言ってた応冠の開発者のことだよな? ずいぶん前に亡くなってたんじゃなかったっけ?」


 本当に何も知らないクライドにミーゼが溜め息をつく傍らで、ウォールが説明を始める。


「いやいや。ほんの六年前だよ。まあ君たちにとっては結構昔になるのかな。やっぱり若いね」


 僕も老けたなあとぼやきながら、ウォールが話を続ける。


「『ラングールの手記』っていうのは、師匠が応冠を開発するまでの試行錯誤の日々について記した日記だよ。あの人は元々日記好きだったからね。師匠の死後、遺族の承諾を経て書籍化された。大体五年前、応冠が一般人に普及してきた頃だった。まあ、当時は応冠ばかりが取り沙汰されていたせいで、この本はあまり話題にならなかったけどね」


 そう言ってウォールは肩をすくめてみせる。


「ふーん。よくミーゼはその本のこと知ってたな。ハイアーズになったのって二、三年前だろ?」

「あら。応冠を導入する時に、気になって色々調べない? 応冠の機能の詳細や、導入時の費用とリスク、それに各メーカーの応珠のスペックとか。そんなことを調べているうちに開発者についても知りたくなったの。よくあることでしょ」

「いや、そこまでは調べねーよ。でも凄いな。結構調べてるはずなのに全部覚えてるなんて」


 自分ができないことを当然のようにやってのけるミーゼを、クライドは素直に称賛する。


「いいねミーゼ君! そういう凝り性な気質は何をするにも重宝するよ。特に研究とかね」

「ありがとうございます、ベイドマン先生!」


 尊敬している人に褒められて、ミーゼはまんざらでもなさそうに微笑んだ。


「なんか、だんだん俺も読みたくなってきたな。その本」

「そんな目で見つめても貸さないからね。というか電子書籍だから貸せないんだけど」

「そんなに気になるなら、クライド君にも一冊あげよう。まあ、元々渡す予定だったんだけどね。これは僕からの入学祝いだ」


 そう言って、ウォールは鞄から一冊の本を取り出した。


「マジか先生!」


 クライドが受け取った本の表紙には『ラングールの手記』の文字と共に、何かのモニュメントが写っていた。


「流石先生。ありが……」


 それは、天辺がミルククラウンのように弾けた球体のオブジェだった。脳裏に嫌な思い出が一瞬よぎって、思わず固まってしまう。


「良いなー……ってどうしたのクライド?」

「いや、何でもない。本読むのなんて久々だなって思っただけだ。えーっと何々」


 そう言いながら、クライドは動揺を誤魔化すように本を開いてみる。


『Be ingenious.(独創的であれ。)』


 そう、短い言葉が最初のページに記してあった。


「なんだこれ?」

「それは師匠が生前、最後に残した言葉だよ」


 そう言って、ウォールの目が一瞬細められる。まるで何かを懐かしむように。


「それを直接聞いた彼の妻マリアは、ハイアーズ全員に向けたメッセージだと言っているね。僕なりの解釈だけど、師匠は自身の境遇に悲観することなく、独創的なアイデアでそれを打開して人類に革新をもたらした。皆にもそうあって欲しいっていう願いなんじゃないかな?」

「ふーん。やっぱり天才は言うことが違うな」


 クライドは本を閉じて背表紙が上になるように膝の上へ置いた。


「おっと。ミーゼ君もせっかく来てくれたんだ。何かあげるよ。えーっと何があったかな」

「えっ良いんですか! じゃあ私、先生のサインが欲しいです」


 鞄を漁り始めたウォールに、ミーゼが目をキラキラさせながら答える。


「それならお安い御用さ。クライド君も要るかい?」

「いや、俺は貰ってもすぐ無くすからいいや」

「ははっ、君らしいね。……と、もうこんな時間か。話しすぎてしまったね」


 自分の名刺裏にサインを書きながら、ウォールは左腕にはめた腕時計を見る。かれこれ一時間は話していたようだ。


「そろそろ解散にしようか。まあ僕が言いたいことはこうだ。ラングール氏は応冠に希望を見たんだ。その本に書かれた言葉が何よりの証拠さ。だからきっと、この力は僕らの明るい未来に繋がっている。僕はそう信じているのさ」

「はい。私もそう思います! 今日は色々とお話ししてくださってありがとうございました」

「またな先生」


 受け取ったサイン入り名刺を、胸ポケットへ大事そうに仕舞うミーゼと共に、クライドはカウンセリング室を出た。頭の中を覆っていた不安は、いつの間にかすっかり晴れていた。

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