11 ―帰還―

「っ! はーっ、はーっ。……ここは?」

「クライド! 良かった。起きたのね」


 澄んだ声と共に琥珀色の瞳がこちらを覗き込んでいる。


「ミーゼ……」 


 先程までの不気味な雰囲気とは一変して、明るい世界。教員や生徒たちの慌ただしい喧騒が聞こえている。今更のように固い床を背中に感じて、クライドはよろよろと起き上がった。

 この感覚……。どうやら現実に戻ってきたようだ。


「大丈夫? あなたが襲われた後、すぐに私の応珠は充電切れちゃって」

「まあ何とか無事だ。成る程。そっちは運良く脱出できてたんだな。良かった」


 ふと違和感に気付く。慌てて首元の応珠に触れる。が、反応がない。いつの間にか電源が切れてしまったようだ。バッテリー残量はまだ十分あったはずだが……。


「ええ。でも、そっちがどうなったのか全然分からなくて……。すごく心配だったんだから」

「それは悪かった。それで、他の皆は?」

「体育館にいた生徒たちは、もう皆意識が戻ってるわ。リックとか一部の生徒は不調を訴えているみたいだけど、多分大丈夫そう。あなたと寮生代表たちが最後だったの」


 周囲を見渡す。滞在時間が短かったからだろうか。〈ルーツ〉にエントリーすると意識障害を起こすという話だったが、どうやら全員無事なようだ。…………いや、違う!


「そうだ! ルイーズは?」

「うそっ、彼女ってまだあっちの世界にいるの!」


 驚愕するミーゼの反応で確信する。最悪だ。この事件はまだ終わっていない。


「その可能性が高い。なんとか助けようとしたんだ。けど、あいつのせいで無理だった」

「そんな……」


 いてもたってもいられず、クライドは再び応珠の起動を試みる。が、やはり反応がない。


「当然もう一度助けに行く。でもさっきから応珠に触れても反応しないんだ。あいつの攻撃を受けた影響かもしれない」

「多分それ、応珠に搭載された〈ガーディアン〉のせいよ。応冠の過剰な活動を検知して応珠を緊急停止させるの。その後、一定時間ロックがかかったはず。つまり使用者のための安全装置ね。確か、最近のアップデートで全ての応珠に自動で実装されたって聞いたけど」

「なんだって! じゃあ、〈ルーツ〉には行けないのか。でもルイーズが」

「落ち着いて。あなたが無事だったのも〈ガーディアン〉のお陰でしょ。もしかしたら今頃、もっと大変な目に遭ってたかも知れないのよ」


 ミーゼの言うことはもっともだ。だが、だからって大人しく待ってはいられない。


「ちょっと聞いてる? ルイーズも心配だけど、そうやって無茶するあなただって私は」

「……いや、まだだ!」

「えっ?」


 ミーゼが強い口調でこちらを諭すのを遮って、クライドは呟いた。目の前の彼女はとても優しい。こちらのことを本気で心配して怒ってくれるほどに。それでも、見過ごすことはできない。もしまだ苦しんでいる人がいるのなら、何としてでも助けたい。まだ、止まれない。


「なあ。全寮制ってことはルイーズも寮に住んでるんだよな?」

「それはそうだけど……。あなた、まさか」

「そのまさかだ。直接本人に会って無事を確かめる」


 言うや否や、クライドは走り出していた。その背中にミーゼが慌てて声をかける。


「ちょっと……あーもう! 分かったから一旦ストップ。こっちよ。ついてきて」



 ***



 ミーゼの後をついて校内を走る。向かう先は学生寮だ。


「そう言えば、あなたが倒れている間にニュースを見たの。それで知ったんだけど、〈ルーツ〉にエントリーしちゃったのは私たちだけじゃないみたい」


 彼女が前を向いたまま話を始めたので、クライドも気になって先を促す。


「それってつまり?」

「世界各国でも同じことが起きてた。多分、あの時〈シード〉にエントリーしていた世界中のハイアーズ、その大半が巻き込まれたんじゃないかしら?」

「なっ!」


 その事実は、クライドを絶句させるには十分だった。


「マジかよ……。世界規模の事件ってことになると被害が心配だな。どこも俺たちみたいに上手く対応できたわけじゃないだろ」

「詳細は分からないけど〈ガーディアン〉が有るからそこまで深刻にはならないと思う。それでも応冠が本当に安全なのか、皆不安になるでしょうね」

「ったく。この先どうなるんだか。でも今は、ルイーズが先だ!」


 校舎を出る。目の前の小さな広場を抜けると、その奥に学生寮がいくつも並んでいた。


「あった。あれがハート寮よ」


 ミーゼが指差したのは一番左の区画。その建物の一つに入る。丁度一階にあったエレベーターへと乗り込んだ。


「一応説明しておくと、ここはルームシェア型の学生寮よ。寮は五階建てで、各階に五人用のシェアルームが二つあるわ。ルイーズが住んでるのは最上階の五階で、彼女一人で一つのシェアルームを使ってるの」

「流石お姫様って感じだな」

「誤解しているようだけど、これにも事情があって……、着いたわ」


 エレベーターを出て、二人でルイーズの部屋へ。呼び鈴を鳴らす。……出ない。


「くそ、やっぱりまだ〈ルーツ〉に」

「……誰? 何か用?」


 少し遅れてドアの奥から声が聞こえた。間違いない。ルイーズだ。


「ルイーズ! 良かった。戻ってきてたんだな。大丈夫なのか? 開けてくれ」

「ちょっと、クライドは黙ってて。実際に会うのは初めてでしょう。ルイーズが驚いちゃう」


 二人のやり取りをドア越しに聞いて、ルイーズは大体の事情を把握したようだ。


「その声はミーゼとクライドね。もしかして私を心配してくれたの? ありがとう。さっきスティーヴにも連絡したけど、私なら大丈夫だから。それに……今は開けられない」


 頑ななルイーズの言葉に、返ってクライドの焦りは強くなる。


「なんでだよ? やっぱりあの時の」

「いいから聞きなさいクライド!」


 ぴしゃりと、ルイーズが言い放つ。その圧に、ついクライドは黙ってしまう。


「私は本当に大丈夫。でも、さっきの騒動で変な汗をかいちゃって。ちょうど今からシャワーを浴びるところなの。今はまだ服を着ていないから、後で学園で会いましょう」

「なっ……。それはすまない」

「クライドさいて―」


 嫌そうな目でミーゼに睨まれた。違う、そんなつもりじゃない。


「ああ、少し待って。行く前に一つ伝えておかないと」

「?」


 気まずさからさっさと退散しようとしていたクライドを、ルイーズが呼び止める。


「おめでとうクライド。さっきの試練、貴方は合格。ようこそハート寮へ」


 一瞬何のことか分からなかった。だが、すぐに思い至る。つまり、そういうことだ!


「……はっ、マジか! よっっっしゃゃゃーーー! ありがとうルイーズ。それじゃ先に学園で待ってる。けど無理はするなよ」

「良かったねクライド」


 波乱はあった。でも取りあえず、今はこの事実を素直に喜ぼう。全員無事に戻ってこれて、そんなハート寮の皆とこれから共に過ごせる、その事実を。

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