10 ―奪還―

  黒衣の少年とルイーズがいるのは丁度ハート寮の旗の下、すなわちフィールドの四隅の一角だ。フィールドを囲む観客席が一段高くて壁になっているため、全方位から攻めるのは難しい。 

 つまり、奴にとって有利な状況だ。


「おいお前! そこのお姫様に執着する理由は分からんが、返してもらうぞ。必ずな」


 フィールド中央に立つ寮生代表たちが声を張り上げる。


「君の攻撃は見切った。だから今度は私たちが仕掛ける番だ。行くぞ、ゴーウェン!」


 アスレイスとゴーウェンが駆けると、襲撃者はルイーズを背にして立ち塞がる。


「あいつは任せて! わたしが動きを止める!」


 エステラの言葉と同時だった。翡翠の輝きと共に、彼女の足下から次々と緑が芽吹き、急速に成長を始める。やがて体育館全体へ無秩序に広がった蔦の紋様。それが彼女の魔応円サークルだった。。   


「いっけぇぇぇーーー!!!」


 掛け声に合わせて彼女が右拳を振る。その動きに魔応円サークルが呼応した。

 ぞわりと、紋様が触手のように蠢いて、刹那、その全てが黒衣の少年の下へと殺到する。

 だが――、


「うそっ!」


 びたっと、それらは少年の手前で壁にぶつかったように動きを止める。

 まるで結界だった。新緑の床にぽっかり空いた円状の不可侵領域。その中心に奴がいた。


「おいアース! あれはもしや」

「奴の魔応円サークルだね。同じ場所に複数の魔応円サークルは共存できない。それが基本原則だ。エステラと拮抗しているということは、やはり彼は応冠の扱いが相当上手いと見える」

「なにっ! それでは手の出しようがないではないか!」

「大丈夫。奴は確かに強い。その魔応円サークルも強力だ。だが、私には見えている。いくら堅牢な壁でも、物量で圧倒すれば必ず突破できるとね」


 相変わらず余裕の表情のアスレイスは立ち止まり、背後にいる少女の方を振り返った。


「エステラ! 力を貸そう」


 彼の右手が足下の蔦、もとい魔応円に触れる。


魔応円サークル展開。鏡像生成ミラーリング


 まるで雷光だった。アスレイスの戴く紫紺の応冠が閃いて、一瞬世界を明滅させる。

 直後。エステラの魔応円が変貌を始める。

 だがそれは、質的なものではない。極めて分かりやすい、量的な変化――倍加である。

 床に描き出されていくのは、元と瓜二つの蔦模様。ここに緑の絨毯が完成する。

 再び駆けるアスレイスの背中に、エステラが叫ぶ。


「アースちゃん、ありがとう! じゃあ、みんな。もう一押し、いっくよー!」


 再び彼女の応冠が輝きを増す。密度を増した緑の紋様が、一斉に少年へと追い打ちをかける。


「っ!」


 決壊。不可侵領域を食い破った緑の波濤が雪崩込み、少年の黒衣、その表面をびっしりと覆った。それは絡まる蔦のように、彼の動きを阻害する。

 だが、少年も黙っていない。

 蔦に呑まれる刹那、刺し違えるようにその右腕を振り回す。


「よくやったエステラ! ここからは俺の……むっ?」


 一足先に間合いをつめて、拳を構えたゴーウェン、その足下。

 新緑の床に、無数の風穴が空く。すなわち、少年が放った不可視の魔応円サークルだ。

 瞬く間に展開された連撃は、気付いたとしても回避は間に合わない、はずだった――。


「ほう。今なら俺にも、お前の小細工がよく見える」


 それは、並みの反応速度の場合である。

 ゴーウェンの頭上。漆黒の応冠が闇色に輝くと同時、その体躯が跳ねた。

 常人ではあり得ないほどの俊敏性。彼の応冠と鍛え上げられた肉体が可能にする高速機動。

 全ての風穴を回避しきったゴーウェンが再び距離を詰め、蔦で雁字搦めになった少年に迫る。


「この一撃で――」


 が、遅れてアスレイスが気付く。


「ゴーウェン、下がれ!」


 少年の右腕。それが関節を無視して捻じ曲がり、こちらへと向けられていた。


「なっ!」


 ゴーウェンがすっかり体重移動を終え、その右足を踏み出した先。

 一瞬前まで床を覆っていたはずの緑の紋様がぽっかりと抜ける。不可視の魔応円サークル、その顕現。


「させないさ!」


 間一髪だった。ゴーウェンの服をアスレイスが引っ掴み、後ろへと引っ張る。

 ドンッと衝撃音が聞こえた気がした。


「くそっ! なんと小賢しい奴だ」

「おっとゴーウェン、落ち着いている暇はないようだよ」


 二人の視線の先、襲撃者の様子に変化があった。

 それは浸食だ。彼を覆う緑の紋様が黒く染まる。やがて再び、元の黒衣が露となる。


「うそっ! わたしの力が効いてない……」

「ふむ。あの黒い外套。何か妙だと思ったら、服ではないようだ。つまり、あれも応冠の力の一端。私たちが知らない防御特化のクオリアーツ、といったところか」

「そんなことよりも動け、アース! 今は回避に専念するべきだ」


 いつの間にか元通りになった右腕を、少年がこちらへと向ける。

 二人は散るようにその場から飛び退き、そこでエステラが合流した。

 これで三対一の睨み合い。だが状況は押されている。


「分かっているさ。それに、そろそろ頃合いだね」

「うん。だから本番はここからだよ! いくよ二人とも!」


 駆ける三人。対するは、黒衣の少年。

 彼の手が伸びて、しかし、一瞬誰を相手にするべきか逡巡したように、虚空を彷徨う。

 それが最大の隙だった。今だ!


「よっと!」


 後方。少年の背後を取る位置に、観客席から身を乗り出したクライドが飛び降りた。代表たちが注意を引いている間に回り込んでいたのだ。

 少年の注意が前方に向き、適度にルイーズから離れた完璧なタイミング。今更のように少年が振り向くが、もう遅い。彼が誰を狙おうと、残った者で少年の無力化とルイーズの奪還が可能な配置だ。

 駆ける四人。その中心に立つ少年は諦めたように、伸ばした手を下ろし、


「よっしゃ、これで終わ」

意志投影プロジェクション! 来い、我が代応者エンジェント


 不気味な笑みが、裂けた。

 直後。少年が閃光に包まれたかと思った時には、既に形勢が逆転していた。

 四人の前に現れたのは総勢一〇体の人影。そのどれもが少年と同じ姿をしていた。

 〈代応者エンジェント〉。

 クオリアーツの一種。語源は『enchantエンチャント(魔法にかける)』と『agentエージェント(代理人)』を組み合わせた造語。自己の意志を感覚世界クオリバースへ投射することで生み出された己の分身であり、その意志に従って自身の代わりに行動する。使用者が込める意志が強ければ強いほど、高いレベルのパフォーマンスが長時間可能である。言葉は話せないが、魔応円サークルを介して代応者エンジェントが獲得した経験を自分の記憶として取り込むことができる。


「一〇体だと! あり得ん。あのお姫様ですら二体が限界だったはずだ」

「まずいねこれは。どの代応者エンジェントも私にはあの少年と同じに見える。つまり、かなり強い」

「それって……、あいつが更に一〇人増えたってこと! そんなことって……」

「くっそぉぉぉーーー」


 クライドが咆哮する。が、そこまでだった。

 寮生代表たちも代応者エンジェントで対抗しようとするが、間に合わない。まさに多勢に無勢。

 少年と一〇体の代応者エンジェント。彼らの無数の手が四人に伸ばされ、そして――。

 連続する衝撃音。クライドの意識は、どうしようもないほどの喪失感の中に沈んでいった。

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