7  ―〈秘奥の心(ヒドゥンハート)〉―

「お、そろそろ来るみたいだね、彼女」

「さすがアース。本当によく見えているね。それで、どこら辺だい?」

「ちょうど君が立っているところだ、ティム。すぐに魔応円サークルが現れるぞ」

「おおっと。それを先に言えよ」


 アスレイスの言葉を受けてスティーヴが飛び退いた直後であった。微かに空気を震わせる音と共に、先程までスティーヴがいた床に図形が展開される。それは金色の線で描かれた大きな円。その内に刻まれた幾何学模様は六芒星のようだが、よく見るともっと複雑なデザインだ。


「ようやく眠り姫のお出ましか」

「いつ見ても美しい魔応円サークルだ。目の見えない私が言うのも何だがね」

「良いなー。私もルーちゃんみたいに魔応円サークルの遠隔展開したい!」


 〈魔応円サークル〉。

 ハイアーズが使用できるクオリアーツの一種。魔法円のような紋様を展開することで、その内側を外側から隔離して自身のクオリアを強く影響させることができる。最も汎用的な使い方は、自分の魔応円サークル内にいる他者との感覚共有だが、様々な応用が可能である。


「遠隔展開だけじゃないよ、エステラ。うちのお姫様の凄いところはクオリア制御の精密さだ。今行われているのは、展開した魔応円サークル内に自身の身体感覚を目一杯満たす作業。だけど、それだけじゃ足りない。同時進行で自分自身に暗示をかけるんだ。『自分は自室ではなく体育館のステージに立っている』ってね。そうすることで自分だけでなく〈シード〉すらも欺瞞するのさ。〈シード〉は感覚の世界だ。僕らがいるステージに実際はルイーズがいなくても、〈シード〉のこの場所に彼女の身体感覚が存在し、彼女自身がステージに立っていると認識しているならば、〈シード〉ではそれが事実となるんだ。つまりこうなる」


 スティーヴが右手で魔応円サークルを示す。直後、その内部に変化が訪れた。

 それは降臨であった。

 一瞬の閃きの後、魔応円サークルの中央に一人の女性が立っていた。


「お待たせ。ゴーウェン、アスレイス、エステラ、皆おはよう。スティーヴ、状況は? もう私の番で良い?」


 神々しいまでの美貌と天使のような美声。高貴な白磁の色艶を纏った手足はすらりと長い。女性らしい起伏に富んだ抜群のプロポーションは制服の上からでも分かるほどだ。白金に近い上品な煌めきを放つウルフカットのショートヘア。それを飾るのは、太陽のように燦然と輝く黄金のティアラ、否、応冠だ。本来仮想的な存在であるはずの応冠が、幾重にも重なる紋様によって実物のように重厚な質感を宿していた。


「やあルイーズ。ちょうど君以外が皆終わったところさ。あと、リアちゃんの件だけど」

「アメリアのことでしょう。分かってる。あの子ね。とっても可愛いからすぐ見つかった」


 ルイーズの足下で再び魔応円サークルが展開。その内側に入ったスティーヴの脳内に、彼女の視覚が共有される。そこに映るのは、スティーヴのよく知る少女だ。


「それを君が言うかね。まあ可愛いのは事実だけど。よし、後は頼んだよ」

「ええ。それじゃあ始めましょう」




 現実離れしたルイーズの登場は当然クライドたちも目撃していた 。


「ふぁ!? 脚長っ! ってか身長高っ!」


 無論、健全な男子高校生クライドの意識が向いたのは、女神のごとき彼女の姿の方である。


「やっぱりそっちに驚くのね。確かにルイーズってスタイル良いもんね。一八〇センチ超えてるって言ってたかな。それで成績優秀なんだから完璧過ぎてため息しか出ないわ」

「想像以上にかっこいいな。纏うオーラがもう既に、俺たちとは別格っていうか」

「ええそうね。彼女は特別よ。なにせハイアーズで唯一の五層冠クイント所持者なんだから。……私なんかじゃ到底敵わないわ」


 そう言ってルイーズを見るミーゼ。その瞳から滲む感情にクライドは気付かなかった。


「そう言えば、さっきのあれってなんだ? まるで魔法みたいに突然現れたけど」

「なんだ、ちゃんと見てたのね。でも自分で答えを言ってるじゃない。その応珠のスイッチ、切ってみれば? それで分かるから」


 クライドは言われた通り応珠の電源を切って応冠を外す。途端にステージ上のルイーズが見えなくなった。つまり彼女がいるのは現実ではなく――。


「成る程。ルイーズは遊応体ホロボディで〈シード〉にいるってことか。ってか、魔応円サークルって瞬間移動みたいな芸当もできたんだな」

「全員ができる訳じゃないわ。卓越した彼女の力が可能にする高等技術よ。いくら〈シード〉でも、本来は駅や空港でしか使えないものなの」

「それなら知ってるぞ。『ポータル』だろ。それを個人でやるんだから、やっぱりすげーな、お前らの代表」


 再び応珠を起動。改めて見るステージ上の彼女は、より一層輝いて見えた。 




 ルイーズがステージの中央に立つ。

 たったそれだけで、騒然としていた新入生たちが口を閉じる。その場にいるだけで圧倒されるほどの強烈な存在感。気付けば体育館は、聖堂のような静謐さで満たされていた。


「おはよう皆」


 超然と佇む彼女が話し始める。それはまるで天啓のようで。


「私はルイーズ・ウルブライト。〈秘奥の心ヒドゥンハート〉代表として、私が今から話すことをよく聞きなさい。他の寮の話を聞いているならもう分かっているでしょうけど、どの寮も何らかの信条を掲げて寮生全員がそれに取り組んでいる。それ自体は素晴らしいし、寮が組織として纏まるには重要なことだと思う」


 地上に舞い降りた女神は微笑まない。愛嬌を振りまくこともない。誰も自分を無視できないことを心底理解しているその言動。彼女は自分の恵まれた容姿と才能、そしてそこから生じるカリスマ性をはっきりと自覚していた。


「でも、それって面倒じゃない? 貴方たちは自分の思考に一貫性があるなんて信じているかも知れないけれど、そんなの幻想でしかない。実際はその日の気分に大きく左右されるくらい不安定なもの。今の貴方がとある寮の信条に共感できたとして、その思いが一週間後、一ヶ月後、そして一年後も変わらないと、どうして信じられるの? そんな保証なんてどこにもないのに。だから、ハート寮は貴方たちに何一つ求めないし期待もしない。重要なのは貴方たちの意志なんだから、全部好きなようにすれば良い。私の足を引っ張らない限りは見捨てないし、困ってるなら助けてあげる。私にはそれを可能にするだけの力がある。この三年間、ハート寮がずっとトップなのが何よりの証拠。どの寮に行くか決められない者。寮の一体感が苦手な者。自由な生活をしたい者。ハート寮はどんな学生も受け入れる」


 彼女から提示されたのは『自由』と『救済』、そして――、


「ただし、入寮には一つだけ条件がある。それは試練の達成。挑む覚悟がある者だけハート寮の門を叩きなさい。私が貴方たちを試してあげる。以上、質問は?」


 『試練』。

 その言葉を聞いて新入生の間に困惑が広がる。定員という制約はあるものの基本的に望んだ寮へ入れるはずであった。これではまるで彼女の方が入寮者を選んでいるではないか。

 スッと手が挙がる。それは明るい茶髪を胸元まで伸ばした少女だった。


「し……、質問いいですか? ウルブライトさん」


 小鳥の囀りにも似た愛嬌のある声。不安が滲む大きな瞳。華奢で清楚な姿はとても可憐で、見る者の保護欲を刺激する。彼女の小さな頭には、もっと小さな真珠色の応冠がアクセサリーみたいにちょこんと載っていた。


「構わないけど、貴方の名前は?」

「あの、アメリア・ハーストです。その、試練って具体的には何をするんですか?」

「やっぱり一度見せた方が早いかな。貴方の希望はハート寮? もしそうなら、このまま試練をするけれど」

「あ、え……えっと、はい。お願いします」

「怖がらなくても大丈夫。壊しはしないから。それに私、可愛い子は好きだし」


 言外に壊すこともできると語るルイーズに、アメリアの顔がさらに強張る。が、ルイーズはさして気にする様子もなくアメリアに向けて右手をかざした。その瞬間、アメリアの足下に金色の魔応円サークルが展開され、


「きゃあ!」「わっ!」「え……」「何これ?!」


 予想以上に大きく広がった。それはアメリアの周囲にいた数名の学生も巻き込んで、彼らから戸惑いの声が上がる。


「何を驚いているの。せっかく試練を実演するんだから一人だけやっても仕方ないでしょう。逃げても良いけど、そんな情けない姿は見せない方が賢明ね。どうせ達成すれば良いだけなんだから」


 結果、アメリアを含めて都合八人の新入生が試練に参加することになった。床に描かれた金の模様はまさに魔法円そのもので、その上に緊張して立つ彼らはさながら、怪しい儀式に捧げられた哀れな供物であった。


「試練の内容はとても単純。一〇秒間耐えなさい。床に膝をつかなかったら試練達成ってことで入寮を許可してあげる。それじゃスタート、一〇」


 カウントダウンと共にルイーズの応冠が輝きを増し、呼応するように魔応円サークルが光を放つ。

 ぞわっと空気が不気味に蠢く気配。

 魔応円サークルの上にいるアメリアたちは急に寒気を覚えた。船に乗った時のように視界が揺れる。

 アメリアは少しふらつきながらも何とか堪えてカウントが進むのを待つ。


「七」


 ガクッと、隣の男子が崩れ落ちる。額に汗をかいた彼の様子は相当きつそうだ。その頭上で黄色の応冠が明滅を繰り返しているが、アメリアにその意味までは分からない。

 気になって周囲を見渡すと、他の参加者もかなりつらそうな様子だ。ぐらぐらと体全体で大きく揺れる者、両膝に手をついて何とか耐える者、そして耐えきれずに跪く者。たった一〇秒先の未来が果てしなく遠く感じられた。


「三……、二……、一……、はい終了」


 パンッとルイーズが手を叩く。瞬間、金の魔応円サークルも消失した。ようやく解放されたアメリアたち。妙な気分だ。


「お疲れ様。五人達成か。まあ、こんなものかな」


 幾分か落ち着いたが、奇妙な浮遊感と倦怠感がまだ意識を苛んでいる。


「おめでとうアメリア。貴方も合格」

「えっ」


 疲労のせいか、アメリアは伝えられた事実を理解するのが少し遅れてしまった。


「胸を張りなさい。他の参加者の様子を眺めるくらいに余裕だったのは貴方だけなんだから。あと、私の後ろにいる貴方のお兄さん、試練の間ずっと心配そうに貴方を見ていたから、手でも振って安心させてあげれば?」

「あ、はい! ありがとうございました」


 言われた通りアメリアがステージ後方へ向かって手を振ると、スティーヴが笑顔で応じるのが見えた。




 と、その光景を見ていたクライドが何かに気付く。


「ん? もしかしてあの子って、スティーヴの妹か?」

「ええ。アメリアちゃんね。私もスティーヴから聞いただけで見るのは初めてなの。横顔しか見えなかったけど、やっぱり可愛かったわ。つい守ってあげたくなっちゃうくらい」


 ミーゼの言葉にクライドも頷く。あの兄妹、方向性は違うものの、どちらの言動にもこちらの警戒心を解く不思議な力が宿っていた。その才能は素直に羨ましい。


「最近、スティーヴがルイーズに何か相談してたけど、もしかして妹さん絡みだったのかも」

「そうなんじゃないか。試練の最中のあいつの様子、完全に妹大好きなお兄ちゃんだったぞ」


 と、そこまで話してクライドは思い出した。


「気になったんだが、なんでハート寮だけ『試練』なんてするんだ?」

「うーん。簡単に言えば、ルイーズが特別だからってことなんだけど……。彼女にも色々事情があるから仕方がないことなの。やっておかないと後で危険になるのは新入生の方なんだし」


 困ったように眉を下げるミーゼ。どうやらよほど深い事情があるようだ。


「あと、この際だから伝えておくけど、彼女に応冠の力のことや過去の話はしないことね。彼女、自分でも結構気にしてるんだから、自身に宿る力のこと」

「成る程。つまり、強過ぎるってのも大変ってことだな」

「そっ。分かってるじゃない」



 試練の脱落者たちの調子が戻ったことを確認して、ルイーズが再び話し始める。


「さて。試練はこんな感じだけど、簡単でしょう? 一応説明しておくけど、これは貴方たちの力を試すものじゃない。貴方たちの応冠と私の応冠、その相性を試すもの。私の力は特別だから、相性が悪いとその応冠に悪影響が出る場合がある。さっきの脱落者みたいに応冠が明滅するのは、私の魔応円サークルによって貴方たちのクオリアが干渉を受けるから。応冠は本来、自己の意識と意志を表すもの。それが揺らぐってことは、何か良くないことが起こってるってこと。じゃあ、他に質問は?」


 先程の試練が余程衝撃的だったのか、新入生はすっかり大人しくなっていた。


「無いなら終わりましょう。スティーヴ、後をお願い」

「りょーかい」


 ルイーズと入れ替わるようにスティーヴが前に出る。


「それじゃあ皆、寮の紹介はこれでお終い。選定式はここからが本番だよ。どの寮に入りたいか決まったかい? 大いに悩んでも良いけれど、気負う必要はない。最初に言った通りどの寮でも楽しいはずさ。入寮手続きはそれぞれの寮の旗が立っているフィールドの四隅で可能だ。寮生も集まっているから、迷っているなら彼らの話も聞くといい。寮を選ぶ権利は入学試験の成績順。まずは成績上位のグループ一番から――」




 スティーヴの指示の下、動き始める新入生。

 体育館全体が一気に騒がしくなるのを尻目に、クライドは疑問を口にする。


「おい。今、成績順って言わなかったか? 自分の成績がどうだったかなんて知らないぞ」

「何言ってるの? 合格通知のメールとか入学手続きの書類とかに書いてあったでしょ」

「そうだったか。なら分かるかも」


 そう言ってクライドは虚空に手をかざす。微かな振動と共に、ポケットのスマートフォンが起動する気配。と、何も無かったはずの空中に突如画面が浮かび上がる。


「いやー、マジで便利だな。これ」


 まるで目の前に実物のスマートフォンがあるように画面を操作するクライド。


「応冠との連携機能ね。最近の機種ならどれも標準搭載らしいわね。私がここに来た二年前は対応機種も限られてて、そんなに選択肢って無かったのよ」


 ハイアーズにとって、スマートフォンは手に握るものではない。仲介端末である応珠の通信範囲であれば、直接触れずとも操作は可能だ。さらに、応冠による個人認証は防犯面でも優れている。応冠は指紋と同様、世界に同じものは二つとない身元識別情報だからだ。


「やっぱりないぞ。そもそも特待生に成績がつけられていない」

「嘘! あなたって特待生だったの! 遅刻したのに?」

「ぐっ、遅刻の話はもう勘弁してくれ。そうだな、言ってなかったな」

「へー。クライドって、実は優秀だったのね」

「『実は』は余計だ」


 いつかの意趣返しをしながら、ミーゼも自身のスマートフォン画面を空中へ展開する。


「確かに特待生なら通常の入学手順と違うわけだから、この学園について疎くてもおかしくないけど。こういうのって普通はちゃんと調べるものよ……見つけた! やっぱりね。特待生は別枠みたい」

「つまり?」

「通常の定員とは別だから、どの寮を選んでもいいってこと」

「マジか! サンキュー、ミーゼ。助かった」


 画面を閉じて前を向く。喧騒が収まっていく気配。どうやら多くの新入生が既に寮を決めて手続きに進んでいるようだ。すっかり出遅れてしまった。


「よし。そろそろ俺も動くか」

「……それで、どの寮にするの?」


 ミーゼの視線は何かを期待しているように見えたが、クライドは気付いていない。


「そうだな」


 思案したのは一瞬だ。悩むまでもない。シンプルに考えれば自ずと答えは決まるのだから。


「トップが一番凄そうで、同期の奴らと仲良くやっていけそうなところかな」

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