世界は誰のためにある

くくり

世界は誰のためにある

 まだ幼い私がこの世界に生まれ変わったと気づいた時、私の身分はこの帝国の奴隷であった。


(この世界のどこかにいるヒロイン達が、帝国の定めた奴隷を解放するのは少なくとも数年後か。)


 私は、神事の贄になるために辺境の奴隷市場から安く買い叩かれ、帝都へ向かう格子付きの荷馬車に雑に揺られながら、ぼんやりと前世を思い出していた。

 この世界小説を知っていたところで、それに触れられる立場にすらない。親が奴隷なら、子も奴隷だ。それが、この世界の身分制度だった。この世界の大半の奴隷は、帝国に宣戦布告もなく突如侵略された小国の生き残りだった。当然そのほとんどは帝国の言葉をまともに理解できず、帝国が扱う文字という概念すらない。そんな教養のない奴隷は、そこらの家畜同然の扱いだった。それまで親の雇い主のお情けで田んぼを耕し食わせてもらってきた幼少期は、現代人からしてみれば生きているかも分からないような悲惨なものだ。転生に気付いたところで、この運命に抗う気持ちなど欠片もなく、それどころか前世の記憶など心を蝕む毒でしかない。齢五年、荷馬車で揺れる干からびた理性は、現実を脳みそに刻みつけるだけだった。


 生まれ育った辺境を売りに出されて(かつ前世を思い出して)から約五年、さまざまな悪路を経由して帝都へ到着した。後で知ったことだが、この旅路が聖地巡礼だったのだという。教会に放り込まれた後は、言葉が分からないのを良いことに残りの禊に三年くらい必要なことを侮蔑的に説明された。

 それからは、毎日毎日冷たい滝行とお祓いの日々。食事は、清められた白湯と果物と白パン。(白パンを毎日食べられるのだと知った時は、生きてて良かったと初めて思った)

 ついに贄にされる当日は、腹一杯で死ねるとか奴隷にしては贅沢な日々だったなぁ…としみじみと人生を振り返っていた。後は死ぬだけとなって、一瞬気を抜いたんだと思う。


『この世界の神様は、藍色が好きなのか。』


 迂闊にも、首に刃が落とされる直前、流暢な帝国語を話してしまった。


『へぇ…お前、帝国語を話せるのか?堕ちた身、というわけではないな。その額の刺青は、生まれながらの奴隷につける印だ。独学か…いや、ないな。辺境近くの奴隷にそれほど教養のある人物は派遣しておらん。』


 神事の供物から一転、罪人のように処刑されるのだろうか。せっかく前世を思い出してから今まで、口の聞けないふりをしてきたのに。苦しい人生だったが、最期くらい苦しまずに死にたかった…台無しだ。


『神の藍が、魂に移ったか?答えよ、奴隷』


『……滅相もない、弁えて薄汚く生きてきたつもりでございます。』


『やはり面白い!まだ死ぬな。私が、飼ってやる。』


 奴隷にも階級がある。今言った愛玩奴隷や性奴隷は、元々の身分が貴族であったり王族であったりと教養があり見目の良い者たちがなるものだ。間違っても辺境の蛮族の農耕奴隷の女から生まれた奴隷がなるものではない。それに私などに話しかけただけで、お付きの侍女が何人か倒れた。挙句、そんな奴隷如きが尊い方と口をきいた事で、近衛騎士が血色ばんでいる。そんな無理な道理が通るわけがない。この高貴なボンボンは、自分の我儘をなんでも叶えられるとでも考えているのだろう。

 何も期待することなく、首が跳ね飛ばされるのをいまかいまかと待ってみたが、降り注いだのは刃ではなく高貴な御身からの藍色の羽織だった。ちなみに、藍色の衣服を身に纏えるのは、王族と神官長様だけと決まっている。


『一番低い身分のお前に、名をやろう。誰もお前の世話などしたがらんだろうから、私が自ら世話もしてやろうではないか。』


 今までの奴隷人生が吹き飛ぶ、とんでもねえ男に気に入られてしまったのである。 

 神事を取り行っていた神官長様並びに神官たちが泣きながら懇願するも無視し、そのまま私を抱えあげた。神様から贄を取りあげるなんて罰当たりなこと、本当に大丈夫なのだろうか?そう考えていたのが伝わったのか、豪快に笑い飛ばしていた。

 その破天荒なことをしでかしたのが現皇帝と正妃の長男、帝国皇帝継承位第一位であるカナフである。

 そのまま自分の宮殿まで私を連れ帰った後、彼は猫が鼠を甚振るように私を尋問した。どうして言葉が話せるのか、いつから話せるのか、生まれはどこなのか、親の出身国はどこなのか、ありとあらゆることを聞き出された。奴隷根性の染みついた私に抗う術などなく、洗いざらい吐き出した。どうやっても辻褄が合わないので、転生者であることも馬鹿正直に話していた。


『本当に、良い拾い物をした!お前、今日から俺の部屋に住め。』


『こ、殺してくれ…!!』


『ならん!俺が飽きるまで生きろ。』


 それから早五年、皇子様との奇妙な生活が過ぎ去った。

 カナフから逃げるために、毎日散策する庭という名の森林公園を二キロほど歩くと巨木がある。辿り着くとまず、適当な小枝を拾って、日当たりの良い場所に突き刺しておく。

 そして、その巨木の根っこで寝そべって空を眺めるのが、日課だった。ここにいれば、誰にも会わずに済むからだ。敵も味方も必要ない。ただ、あいつの気の済むまで付き合って、いずれ死ぬだけだ。皇子様の家畜は、基本的に暇なのだ。与えられた小屋で、決まった時間に寝起きし、三食食べて(ひどい時は五食)、暇を潰すだけだ。食事を待つ間に、家畜が立ち入っても良いとされている限定された範囲で運動するのが最近の常だった。


(暇すぎて、気が狂いそう…)


 あの皇子様は、私が他の暇つぶしを望むまで、コレを続けるらしい。最悪だ、本当に。自ら家畜を厳しく躾ようとはしないあたりが、彼らしい。私の小屋は、やつの私室の中の一画、半径二メートル弱の柵の中。贅沢の縮図みたいな仕様のクッションやら寝具が、オシャレに敷き詰められていた。(アホじゃないのか、あの男)

 極め付けが、服だ。


『奴隷は、基本的に衣服は纏わないんだがなぁ?』


 あのすっとぼけた顔に、舌打ちしなかった私の忍耐を誉めてくれ。確かに、ほぼ全裸で長年生きてきた。全裸の奴隷とは、雇い主がいないやつことを意味する。贄を脱した私には、はっきりとした雇い主がいなかったのだ。五歳も過ぎれば、だいたい買手がつき、親から引き離されたりするものだが、私はその前に贄となって売り飛ばされたのでほぼ全裸で荷馬車に揺られながら生きてきた。転生の記憶が、羞恥心を呼び起こすものだから大変だった。


『…俺、下手に子どもが出来たら揉めるって理由だけで、童貞なんだわ。』


『殺して下さい。』


『嘘に決まってんだろ、処女め。』


『頭おかしいのか、あんた。』


『サーシャが、素直に話をしてくれないからだろ。』


 という下らない流れで、私の服が支給されるようになった。次に、額の奴隷紋は、皇子の所有紋に上書きされた。タトゥーではなくて、これは魔法みたいな力で刻まれた不思議なものだ。扱えるのは、魔力みたいな不思議な力を蓄えた人だけらしい。基本的に、奴隷のような低い身分の者たちは、まず使えない力だった。先天性が主だが、まれに後天性で使える者もいるらしい。私は、使えなかった。さすが、奴隷のサラブレッドである。


「……話してみたいなぁ。」


 無意識に呟いたのは、日本語だった。仮に、この小説だった世界でヒロインやヒーローをやっていた連中と、話せたところで何が起こるわけでもないだろう。これは、私の気持ちの問題だった。まぁ、悪役である公女やヒロインである聖女相手じゃ、奴隷なんて視界を汚すことすらなかっただろう。ヒーローに関しては、正統派の王子様だ。この帝国の皇子のように汚い現場まで降りてきて、仕事をするような奇特な男でもないかぎり一生出会わないだろう。

 宝石は、宝石。石ころは、石ころ。あるべき場所に、ただ在るだけ。生まれ、とはただただ平等に横たわるが、育ちは暴力的なまでに不平等だと思う。与えられるものは、自分では選べない。交わらない道では、与えようもない。

 サラサラと風が木々の枝葉を撫でていくのを見上げながら、そんな取り留めのない事を考えて、眉間に皺が寄った。私に与えられたのは、衣食住。それも、一般よりも上等だ。それでいい。考えるのは、やめよう。考えてしまえば…必ず欲が出る。


(帰るか…)


 日当たりの良い場所に立てた一本の小枝を引き抜いて、その辺に投げ捨てた。この世界で、時計は嗜好品だ。大貴族しか持っていない。帝国の大都市でも、時計は公共施設に一個あるか無いかだった。

 だから奴隷は、時間なんて気にしない。気にしないから、一度帰らずに野宿したら、魔獣に襲われてえらいめにあった。なので、陽が落ちるまでには帰るようになった。死んだと思って諦めたら、すごく良い笑顔で皇子様が迎えにきたから死ねなかった。

 魔法って凄いんだ。一瞬で移動できて、一瞬で魔獣を灰にすんの。だぁれの服も汚れなかったわ。

 皇子様は何も言わなかったけど、次の日、近衛のおっちゃんに“日が暮れるまでには必ず帰れ”と口酸っぱく言われた。その日から、仕方なく日時計もどきを作って、夕刻までには戻るようにした。なんか最近、そのおっちゃんと侍女頭の姐さんが、私に絆されてきたのが気がかりだ。


「帰るかなぁ…おっかないのが、三人に増えたし。」


 また気を抜いて帝国語で独り言を欠伸と噛み締めたら、どこかで吹き出したような笑い声がした。


(監視付けてんなら、別に良くない?あんなに、怒んなくても。あ〜、でも、これ余計な人員割いてるのか。お散歩コース、変えるかな。頻度も。)


 次の日から、二日空けて公園に行くようにした。散歩コースも、短めにした。めちゃくちゃ暇で、皇子様がめちゃくちゃウザくなった。十日後には毎日公園に行くようになって、散歩コースも元に戻した。


「サーシャ、遊びに行くぞ。」


「早く結婚しろ。頼むから、結婚しろ。婚約者でいいから、早く決断しろ。本当に、頼む。」


「もっと言ってやれ、奴隷。」


「ソルジュ、聞こえているぞ。」


「二十五にもなって、継承権一位が未婚てわけ分からん。何が、どう拗れてんだよ。皇子様、性格以外は拗れてなくない?」


「隣国の王太子の成人の儀に呼ばれているから、用意しておけよ。お前の話していた“前世”とやらが真か否か、確かめる時がきたぞ!」


「五年も前の戯言を、覚えてたのかよ。」


「当たり前だろう。お前が忘れても、俺は覚えているぞ。ほら、これ色々調べたから読んでおけよ。」


 自分の前世は正直そこまで詳しく話していない。しかし、この世界がかつて小説の舞台になっていたことを話していた。そう話さなければ、帝国語が話せることの説明がつかなかった。ただ、言語に関しては理屈ではないので、こじ付けた。どういうわけなのか、あの日から話す言葉と聞こえてくる言葉が全て翻訳されてしまうのだ。文字の読み書きもそうだった。こればかりは、自分でも分からなかった。


(で、本当に来ちゃったよ…)


 煌びやかな内装に、清楚かつ華やかな王族の正装。この壮麗で歴史的な価値も持つ王城を維持するための、盤石な王政の運営。これを創り上げた人々を、その意志を継ぎ維持してきた人々の努力と信念の揺らぎなさを、たかが奴隷の私が知っていることの異常さ。

 そのたゆまぬ努力が集結する高潔な場で、陳腐な三文芝居とはなんと贅沢なことだろう。小説のクライマックスの場面に立ち会うことができて、光栄である。


「公女アクセーヌ!今、この場を借りてお前の罪を告発する!!そして、婚約を破棄し、私は聖女リリアと婚約を結び直す。我々の真の愛が、世界を救う鍵となると聖なる預言の書にも書いてある!!この聖預言書が、私のこの言葉を支えてくれることだろう!?」


 実際に聞くと、頭の痛くなるセリフであった。


「お前が言っていた、聖女と王子と婚約者の修羅場か?」


(身も蓋もないことを…)


 楽しそうな声が、右隣から届いた。特等席から見るオペラのような臨場感に高揚するが、色々と台無しになっている。(私は、立ち見だが)階下で繰り広げられるのは、本来予定されていた成人の儀でもなければ婚約式でもなかった。小説で読んでいた時は、あんなにも輝かしく興奮した景色が煤けて見えた。


「この国の聖女の条件に、処女はないしなぁ。普通に、浮気がばれて引っ込みつかなくなったか?」


 静まり返っていた断罪の場に、静かに響いた声は、間違いなくこの場所で一番高貴な声であった。

 この国の王よりも高い位置に配された御台に、さらに天幕を張って、なおも顔を覆うのは深い藍色のベールに式典用の衣装は、帝国でも限られた者しか着ることの許されない装い。


「俺のお祖母様が生まれ育った国で、こんな喜劇とは…サーシャ、お前も交ざるか?」


 いつものように、愛称で呼ばれたが応えない。彼の一言一言が、さざなみのように皆の頭の中の、様々な思惑を刺激する。婚約破棄を成人の儀で見せ物にされて、招待客はわざわざ遠方から足を運んだのに、皇太子の後ろ盾を強化するための場が飛んだ茶番になったのだ。どうするのだろうか、この国の女王と王配は。


「婚約者の方も、先手を打って、隣国の王弟とよろしくやっていたそうじゃないか。いくらなんでも、この国の王族を馬鹿にし過ぎでは?臣下として下ったはずだが、実は裏で糸を引いているのか。」


(こうして全部バレているのに…。でも、公女はこのまま断罪されて投獄されていたから、もしかして私と同じ転生者だったのか?それにしては、王子もセリフが少し変わっているし…聖預言書に関しては聖女しか知り得ない。もしかして、両方がそうだった…?)


 なんにせよ、聖女の語る薄っぺらい愛も、その茶番に乗って公爵家の責任から逃れようとする公女の浅はかさも、全てをひっくるめて利用しようとするナルシシストたちも、ここから見ると反吐が出る。私が失望でため息を吐けば、また楽しげに隣が笑う。

 私たちのやりとりは、天幕で下から見えない。見えないはずが、茶番を終わらすであろう殿下の鶴の一声を待っているのが、空気でありありと分かる。小説のストーリーでは、ここでカナフ殿下が天幕から出て、階下の者達へ沙汰を言い渡すのだ。


『その婚約破棄、しかと見届けた。』


 その後、ヒロインは聖女として数々の苦難の冒険に出かける。公女様は、最終的に修道院行きだった。ゲームでは、アナザーストーリー展開もあったな…、でも、間違いなく奴隷のアナザーはなかった。この改悪されたエンディングは、どうなるのだろう。


(前世?シナリオ?ヒロイン?悪役?何を喚いている?どんなに足掻いても、たかだか十八にも満たない子どもの悪あがきが、に通用するとでも?)


 精神年齢は三十歳超え、それがどんなアドバンテージになったというのか。政治家だった?一流企業の社長だった?一から水を分解できるほどの技術と知識があった?何かを極めた?何を?スマホ片手に突き詰めた知識が、権力よりも強いのか?

 自分の領地を隅々まで見渡し、研究できるほどの頭があったところで、権力の前では無力だと分からなかったのか?智力で革命を起こすより、武力で革命を起こす方が、効率が良いなんて分かり切っていることなのに。

 カツカツと、楽しそうに街ひとつ買えるほどの値段がついた椅子の肘置きに、躊躇いなく爪で引っ掻き傷を作る人が、楽しげに笑う前で…その前世の知識が、どんな盾になってくれるというのだろう。


「サーシャ…俺は、【お前ら】の前世に付き合うつもりはないぞ。」


 あなたたちの『好き』には、果てしない時が待っている。それを愛と呼ぶの?なんて、愚かな。

 事前に渡された資料には公女の公爵領での領地改革、経営方法の刷新が詳細に載っていた。確かに、一見うまくいっているように見える。しかし、このまま行けば、いずれ一定層が小金持ちになり、商い人が力をつけ始める。徐々に、その豊かさが…身分制度を脅かし始める。

 歴史を知らないのか?私の記憶では、ブルジョア層がいつだって革命の中心だったように思う。戦うには、金がいる。


(だからね、君たちは順番を間違えたんだ。)


 まず、公女がしなければならなかったのは、自領の独立。そして、民主主義の定義を浸透させること。

 それでも、盤石とはいえない。きっと、それがなされた時、身分制度は撤廃される。他国は、それをまだ良しとしないので、圧力からの戦争も視野にいれておくべきだろう。

 シンデレラになれなかったヒロイン気取りのお嬢さんも、同じことが言える。身分制度の根深さを、私たち現代日本人は、本当の意味で理解できない。生まれた時から自由に意志を発言できる、その感覚では…この中途半端に身分制度が礎の世界では、生きていけないのだ。


「サーシャ、奴隷だからといって、許可なく話してはいけないとは言っていないよ?」


「…私を、今まで飼われていたのは、これを見せるためですか?」


 なんてことはないように、皇子が鬱陶しそうに片手を払っただけで階下の茶番が一瞬でなかったことにされた。ものの五分もかからず、この日の出来事が全て無かったことにされたようだった。来賓たちは何事も無かったように、急遽開催された立食パーティーにて外交に勤しみ出した。


「まぁね。まずまず楽しめたが…スティングルス領の公爵は、娘の教育を間違えたのは明白だ。首をすげ替えよう…、アレらの思想は、まだまだ必要ない。異母兄(隣国の王弟)の首も添えようか、そうすれば、母上の怒りはとりあえず収まるはずだ。」


 観念して、私も帝国語を話すことにした。


「あの王子様は…誰と婚姻させたところで、なんにもならないでしょうね。」


「奴隷の君にも分かる未来が、彼らには分からないようで、俺は悲しいよ。」


「スティングルス領地の…皇女殿下と皇帝陛下のお好きな酒や食器が楽しめなくなるのは、いささか問題です。」


「君の想像通り、俺が何もしなくても、必要な者の首は御前に並ぶさ。」


「公女と聖女は、ご主人様の愛妾に据える事は…許されませんか?あの能力や知識は、使いようでさらに帝国の発展に繋がるのでは?」


「サーシャは、優しいね。娘らは、最終的にそこを狙っていたのではないかと…君も気づいているだろう?」


「…汚い獣の頭では、分かりかねます。」


「教えてもいない、触れさせてもいないのに、そこまで勤勉な君以上に興味深いものではないが…考えておくよ。宰相あたりの愛妾で十分だ。」


「……。」


 最悪な人選に言葉もなく視線を下げれば、楽しげな笑い声が聞こえた。

 伸びてきた手の気配に、慌てて距離を取るが、さらに捕まえるように腕を取られて…最悪なことに膝の上に抱え込まれてしまった。控えていた侍女が、倒れる音がした。


「…侍女たちの身が持ちません。」


「そろそろ、なんで文字が書けるのか教えてくれても良くはないかい?」


「…教えたら、彼女たちの命を救っていただけますか。」


「まさか…お前を悲しませたのに、許せるものか。」


「家畜に、そこまで愛情を注ぐものではありませんよ…。」


「ふむ…なら、家畜は喰らってやらねばならんか?」


「殿下…戯れが過ぎます。」


 ドン引きしながら、不敬を承知でその腕から逃げ出そうとすれば、強く押さえ込まれて、晒していた首筋に噛み付かれた。


「ねぇわ…まじで。」


「俺は、そっちの話し方も好きなんだよなぁ…そろそろこの国に入れ込んでた理由も話してみないか?」


「大した理由じゃないよ。」


 小説とは違うエンディングを迎えたその日、私はこの世界小説にこだわることをやめた。

 結局、聖女は今回の騒ぎの罰に各地へ聖女行脚を命じられ、公女は立場はそのままに三年間の教会での無償奉仕を言い渡された。王太子は第一王子に戻されて、隣国の後継者争いは振り出しに戻った。そして、王子は聖女の旅に同行し、また一から修行し直すという。…やだなぁ、そんな世界を救う旅のエンディング。

 肝心の奴隷解放運動が起こるのは第二部だったことを思い出し、最高に格好悪かったエンディングが、実はプロローグだったことを思い出すのは、一ヶ月後だった。


(あの断罪から、一ヶ月も経つのか)


 話す、という意思疎通は難しい。話さなければ、伝わらない。話したとて、伝わらなければ意味がない。

 そういう事に関して、天才的な才能を発揮するのが、私のご主人様なのかもしれないと思っている。つまり、彼前では、沈黙を金とせざるを得ないという事だ。


「大臣、いま一度、我々の話をご一考いただきたく…」


 だと言うのに、玉座から遠い謁見の場で、諦めずに言葉を繋ぐ彼らは、ある意味健気だ。

 彼ら…聖女御一行は、今から数ヶ月後に起こるであろう災害に対して陳述しにきたのだ。だが、何か裏付けがあるわけではない。

 ご主人様の御前に用意されたトーシャワー地区の地図を、何の気なしに眺めた。そういえば、そんな話があったな。一読者で、コアなファンでもなんでも無い奴の記憶など、その程度だ。


「サーシャ、何か他にしたいことはないのか?そろそろお前の日課を観察するのは、飽きてきたぞ?あの簡易な時計は面白かったが、学者がお前の知恵に驚嘆しておってなぁ…。お前の村か親は、奴隷らしくなく学があったのか?」


「……。」


「サーシャ…、そろそろ俺に懐けよ可愛くないやつだな。」


「……いや、聖女様方の話を聞いてあげて下さいよ。裏付けなら、彼女たちの中に地理や地区の風土、天候などに精通したものに、取らせてくれば良いのでは?」


「そうやって、話を逸らすのは、お前の可愛くない所だ。大臣が代わりに話を進めてくれているから、問題ない。」


 むくれたようにため息を吐く彼に、不敬ながらこちらもため息を吐いた。


(確かに、暇な毎日だ。)


 毎日、自分の小屋でゴロゴロする私を、柵の外から飽きもせずに眺めるご主人様。

 “私に聞くより民や聖女や公女の話を聞けよ。”と口にしたくないので、分からないふりをしてやり過ごしてきた。尊き壇上のやりとりに気づくはずもない彼らは、まだ健気に叫び続けている。


「痴れ者が……、よもやあの浅慮な聖女の能力を忘れたわけではあるまいな。」


 皇子は、苛立っている時の癖なのか、ゆっくり自身の長く伸びた銀髪を掻き上げて右肩に流しながら、呟いた。

 私は、前下がりのショートカットの黒い髪に、額がよく見えるように前髪はセンター分け。首につけられた皇子様の瞳の色と揃いの藍色のチョーカーは、案外気に入っている。三着着回している、同じデザインの服は、ツナギのように着れる機能的なものだった。色は、地味な黒にしたかったのだが、皇子からの気が滅入るという理由で白になった。(汚れが目立って仕方がない)毎日、申し訳ない気持ちで過ごしている。

 そろそろ私に飽きて、捨て置いてくれないだろうかと、悩むほどだ。今は、野暮ったい真っ白なローブを頭からすっぽり被って、存在感を極限まで消している。


「彼女が強く願えば願うほど、その言葉が形になる。という御業でしたか。」


 ご主人様の言葉に、彼らと話していた農林畜産に関して業務を担う大臣が反応した。彼は、現在の陛下に仕える身なので、皇子に対して断りなく言葉を使える。歳は、陛下とそう変わらないと聞いている。大臣の中でも最年少なのだとか。


「その口枷をもってしても、彼女の予言は止まらぬと…。確かに、浅慮。今世の聖女は、自身の沈黙に価値がある、となぜ気付かぬのか。皇子、一応調査してみますかな?」


「真実と相なった時、どう繕う。聖女が、魔女に変わるぞ。利になると考えての行脚が、鋭い刃になって返ってくる事になる。」


「なんと面倒な………奴隷の、そちはどう考える?」


「……。」


 大臣に唐突に水を向けられ、少したじろぐ。

 私は、この世界を変える気もなければ、立場にもない。変えられるとすれば、彼女たちだと思っている。楽しげに私を見つめる皇子の視線に、眉を寄せて、視線を伏せたまま口を開いた。


「僭越ながら…公女マリトワ様が、聖女様に相反する魔法が得意として一時的に彼女の御業を退けたと聞きました。それに、彼女は彼女で、予知する能力があるとも。トーシャワー地区は教会の規模が小さい、ゆえに、公女様含めて何名か修道女を派遣し、貧民街などで奉仕活動を数ヶ月行わせてみる……と愚考いたします。」


 私が言い切る前に、大臣が喉を鳴らすように笑った。


「貴様、本当に奴隷か?」


「まごう事なく。」


「大臣、俺が気まぐれで飼ったものが、つまらないモノなわけあるまいよ。」


 しばらく私と聖女御一行以外で話し合いがされ、マリトワ公女含めて15人の修道女達の派遣が決まった。その中に数名、大臣や宰相の子飼いの魔法使いを交ぜるようだ。災害が起きたとしても、被害を最小限に食い止める策をこれから秘密裏に立てるとのことだ。これで、マリトワ公女も、少しは名誉を挽回できるだろう。

 しかし聖女は、私が思っていたより、随分と自分を知らずに生きているようだ。変に関わらない方が良いかもしれない。


「聖女様の発言を、お許し願えますか?」


「ならん。」


「ですが、トーシャワー地区に関しての詳細は、聖女様しか知らぬのです。」


「公女マリトワをトーシャワー地区に派遣する。貴様らは、その災害が起こるまでその地区周辺に近寄る事を禁ずる。」


「…御意」


 大臣の回答に、一行が息を呑んだ。

 恐らく、今の言葉の意図を汲んだ者は半数。残りは、聖女様含めて憤っている。手柄を横取りされた、とでも思っていそうだ。


「なんで!?アタシの予言なのに、アタシ達にトーシャワー地区を救わせてくれないの!?」


 口枷が外れた。

 どうやら彼女の後ろに控えていた信者の一人が、要らぬ気を利かせたようだ。

 

(また人が死ぬな…)

 

 愚か者が、こうも呆気なく人を殺す世界だ。私も、喋りすぎに反省する。


「早々に名誉挽回、とはいかぬのだ。のう…キャスガネーデ侯爵の倅よ。」


 今だに不思議なんだが、映画の吹き替え版を観ているような感覚で、言語が分かるのだ。

 文字を読む時は翻訳がルビのように振られ、言葉は口の動きと合っていないのに日本語に聞こえる。私が話した言葉、日本語が自動的に口から帝国共通語で勝手に吐き出されていく。自分で自分が気味が悪くなる、それくらい得体の知れない違和感を説明できないので、皇子に嘘をついたわけである。

 聖女の御業は、そんな感じなのではないかと思う。だから、制御するために、厳しい修行が必要なのだろう。彼女が、初めての聖女でもあるまいし、この帝国の教会の起こりは、それこそ帝国より早い。歴史に裏打ちされた確かな鍛錬を、何故か彼女は受けたくないと拒絶したらしいが。

 …ちょっと今、気づかなくて良い事に気がついた自分がいるが、やめておこう。


「皇子様、どうかお慈悲を!アタシの予言は、この先も役に立つはずです!!」


 必死に言い募る様が浅ましく、苦い顔で今まで代表して話していた王子様が、俯いた。分かるよ、誰か殺してくれないかなって気持ち。


「あ、夢で見るんです!例えば、皇子様が飼っているモノを当てられます!」


 貰い事故だと?私が、顔を上げたのと、苦い顔の王子様が慌てて彼女の口を塞ごうと動いたのは、同時だった。


「藍色の瞳を持っていたという理由だけで神事の贄にされそうになっていた、黒い毛並みの彼女を気に入って拾って帰ったはずです!」


 贄の理由、そうだったのか?と他人事みたいに感心していたが、次の言葉で息が止まった。


「藍色って意味の名前をつけて、サーシャって愛称で可愛がっている『猫』がいるはずです!!」


 咄嗟に、贄の時に覚えさせられた真言を唱えたが、聖女の力が上だったようだ。皇子、笑うな。近衛隊長、肩震わすな。やめろ、大臣たちも二度見するんじゃない。ポヒュッと間抜けな音がして体に光が散り、ローブが衝撃で乱れて、首から上が顕になってしまった。


「最悪だ……もっと真面目に、贄の修行をすれば良かった。」


「サーシャ、可愛いなぁ!お前は、本当に飽きない!!はっはっはっ!!」


「私を今すぐに殺してくれ…」


 真言は、心で唱えれば唱えるほど、不浄なものを退けるのだそうだ。聖女様のたった一つの偽りを退けるには、力が及ばなかったが。


「奴隷の…そちは、獣人族だったのか?」


「カーリャ地区の外れに村があったから、ルーツを遡ったら混じっているかもしれませんね。」


「なるほど、混血が生まれやすい地区ではある。可能性はあるな。」


「なぁ、お前達は真面目に話しているが、私はサーシャの変貌に怒れば良いのか感謝せねばならぬのか、量りかねておるんだが?」


 “あぁ…そうですか。”と大臣と息が合ってしまい、眩暈がした。

 

 のちに、事故として処理されるこの日の珍事。


「猫の耳が生えるとは、御業も俗よの?」


「それ以上近づいたら、死ぬからな。あのアバズレ聖女、聖女行脚をなんだと思ってやがったんだ。さらに、ヤリまくり行脚とか、娼館に売り飛ばした方が金かかんなかったんじゃねーのか?くそっ…やるなら全力で、全部、猫にしやがりあそばせってんだ…!ヤル事ヤって、修行サボって力半減してる上に、あの断罪劇のこと忘れてんのか?頭湧いてんのか?なぁ?元凶の片割れよ?」


 くだんの聖女は問答無用で牢屋にぶち込んでもらい、まだ話が通じそうなボンクラ王子を壇上の一席にて締め上げる。


「殺してくれ…あと、俺は、ヤッてません。」


「婚約者ヤられてんじゃねーよ、素人童貞。担がれてただけとか、生き恥行脚かよ?可哀想だから、奴隷の私が抱いてやろうか?あ?クソッタレ。」


「こんなに流暢に毒舌を操る奴隷とか、色々と信じられない…。どうでもいいと思うが、俺の婚約は破棄されていないから、公女マリトワが婚約者のままなんだ。一応、一線は越えないように気をつけていたから命拾いした。」


「アバズレが婚約者なのは変わんねぇのな。それから毒杯一歩手前の王子なんか、奴隷より生きづらいわ、ドアホめ!」


「返す言葉もない……。」


「俺より仲良くなるなよなぁ、ボンクラ」


 この世界猫耳を変えるために、私が聖女を目指すことになるまであと数分のことである。

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