ROUND2・起 婚約破棄呪術合戦①


 サーシャは日傘のを少し強く握った。


 おだやかながら湖風こふうを感じたからだ。

 湖面こめんがさざめいている。


 足音と気配。

 誰かが横に並んだ。

 いや。見なくても誰なのかは分かり切っている。


「サーシャ様。お待たせしてしまい、申し訳ありませんわ」


 ミランダが隣で呟いた。

 ちらりとだけ見たが、ミランダも湖の方を向いている。

 扇で口元に隠すようにしながら。


「お気になさらず。ずっと眺めていて飽きませんわ。ベネデッティ家の庭園を案内して頂いたご家中かちゅうの方に、このみずうみの伝説についても教えて頂きましたもの」


「ふふ。湖の精が水面に出した手に握っていた聖剣を勇者に授けたという伝説ですわね。その湖一帯の土地をベネデッティ家が買い取って、ほとりに屋敷を建てたんですの


「庭園から湖を眺めることができるなんて素敵ですわ」


「でも景観を保つためのお掃除もなかなか大変で、多くの使用人たちに苦労を掛けてしまっておりますのよ。庭池にわいけさえ持たないアーゼリオ家には無い悩みですわね。あら失礼。うふ」


 即マウントを取りにきたわね。

 常に初手を取りに来る。それがミランダ流マウント術。

 けれど――。


「確かに景観を保つのも大変そうですわ。湖面から湖の精の手ではなくて、逆さになった水死体の両足が生えていそうですもの」


「ひ、人様の屋敷の湖を、猟奇殺人の事件現場みたいに言わないで頂戴!」


 ふふん。予想通り成金自慢への皮肉は効果的だわ。

 待たせて考える時間を与えてしまったのは失敗だったわね。

 どう来るかの予測時間は充分にあったし、返しを練ることもできたもの。


 マウンティングファイトにおいて、時間やタイミングは重要なウエイトを占めている。

 チェスにも似た知的合戦なのだから。


 そう。敵の前の手を元に自分の次の手を繰り出す。

 そしてその時には、敵の反応を予想していなければ駄目。

 ゆえに敵のことを知り尽くし、どんなマウントが有効かを考え抜いておく。

 自分側がどんなマウントを取られやすいのかの自己分析も必要。


 孫子そんしいわく。

 敵を知り己も知れば、百戦危うからず。

 敵を知らず己を知って戦えば、一勝一敗を繰り返す。

 敵を知らず己も知らずに戦えば、戦う度に必ず敗れる。


 さらに孫子曰く。

 しょういきどおりをもって戦いを致すべからず。


 マウントの取り合いを感情に任せた罵詈雑言ばりぞうごんの応酬と思ったら大間違い。

 怒りに駆られての幼稚な悪口など、絶対に通用しない――。


「ふーんだ。良さの分からない貧乏人に見られて、湖の方が可哀そうですわ」


 ミラの字め。怒りに駆られて幼稚な悪口を言いやがって。

 ブチっ。


「誰が貧乏人だっての!? アーゼリオ家は充分裕福でしてよ!」


「どこが! サーシャ様ってば、そんな安物の日傘なんて差しちゃって!」


「安物じゃないわよ! ミランダ様の扇子こそ、代えがいくつもある量産品じゃなくて!?」


「なんですって!? ムッキー!」


「××××××××××××」


「××××××××××××」


「××××××××××××」


「××××××××××××」


…………


「ハアッ、ハアッ」


「ゼエッ、ゼエッ」


 感情に任せた罵詈雑言の応酬をしたせいで、息切れが激しいわ。


「お茶をお持ちしましたわ。あら?」


「どうかなさいました? ミランダ様もサーシャ様も、そんなに息切れなさって」


 いつの間にか、ベネデッティ家のメイドたちが不思議そうにこちらを見ていた。


「「スゥー。シャキッ。なんでもありませんのよ。ウフフのフ」」


 ミランダと一緒に深呼吸をして平静を装った。

 マウントの取り合いをやっているのが親にまで伝わってしまうと、間違いなく叱られるだろうから。


 二人で近くのガーデンテーブルに向かい合わせに座った。


「サーシャ様。アーゼリオ家の馬車の御者やお付きの方々には、屋敷でくつろいで頂いておりますわ。ですので、どうぞごゆっくりと」


「どうもですわ」


 準備を済ませたメイドたちが立ち去ると、またミランダと二人きりになった。


「まずは一杯召し上がれ」


「お言葉に甘えて」


「ふう」


「はあ」


 お互いに落ち着いたようね。


「改めまして、アルバート様との仲はいかがですの?」


 ミランダが恋バナを切り出してきたわ。


「ふふ。ラブラブですわ。異なる国に離れ離れになっていても、文通で愛を確かめ合っておりますもの。ここにも伝書鳩によるたくさんお手紙が届くかもしれませんけれど、お許し下さいませ」


「構いませんわ。わたくしもそうですもの」


「あら。ミランダ様もセバスチャン様と頻繁にお手紙のやりとりを?」


「ええ。わたくしどもも手紙で愛を育んでおりますの。何せセバスチャン様は世界に羽ばたくソプラーニ商会の跡取り。忙しく各国を飛び回ってお仕事をなさっているので、そう頻繁にはお会いできませんもの」


「なるほど。さすがミランダ様の婚約者ですわね」


「それほどでも――、ありますわね。おーほっほっほ。気分がいいので、せんだっての資金援助計画の件、前向きに検討させて頂きますわ」


 手紙のやつね。あれ腹立ったわ。

 アクセサリーをばら撒いて拾わせたと書いてきたことも含めて。

 これだから成金は。


「もちろん、利率は大幅におまけして差し上げてよ」


 くれるんじゃなくて貸しの上に利息取るんかい。


「という訳で、利率はトイチでいかがかしら? 利息は十日で一割。年利にすると365%――」


 スーパー闇金か!


「――と、お思いになるでしょうけど、もちろん利息にも利息が発生する複利ですので、年利は3242%ですわ」


「スーパー闇金ゴッドか! やはり暴利を貪っておられますわね。それでも将来の法人税率105%からの低減のご相談、今から承りますわよ? 他ならぬミランダ様のためですもの」


「ぐっ。手紙のあれ、憤りを禁じ得ませんでしたわ。ん? そういえば税率は――」


「どうぞ任せて下さいませ。税率115%から、きっと114・5%にまで減らしてみせますわ」


「どうして手紙のインクも舌の根も乾かないうちに税率が上がるんですの!? 減税率も縮小しているし。大体利益に対する税率が100%越えっておかしいでしょう!」


「悪徳商会にはそれぐらいがちょうど良いのではなくて?」


「人聞きの悪いことをおっしゃらないで! ベネデッティ家は慈善事業の支援のために多額の寄付もしていますのよ!」


「どうせ税金対策の節税用ですわねっ。ぷんっ」


「違いますわよーだ。ぷいっ」


 顔を背けて紅茶をすすった。


 空を見つめると、何羽も鳥が飛んでいた。

 ふふ。ミランダめ。思い知ることになるわ。


 そう思っているうちに伝書鳩が舞い降りてきた。

 ミランダが空に差し向けた手首に留まっている。


「早速セバスチャン様からお手紙みたいですわ」


 ミランダが手紙を外すと伝書鳩を空に放った。


「どれどれ。えっ? そんな、まさか!?」


 ミランダが手紙を見て愕然がくぜんとしている。


「どうなさいましたの? そのお手紙、見せて頂いてよろしいかしら?」


 ミランダがうなずき、力なく手紙を差し出してきた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ミランダ。君との婚約を破棄する。


   セバスチャン・ソプラーニより


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 受け取った手紙には、そう書かれていた。

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