第8話【あなたとわたしの契約】
「走りづらいなぁ」
雑草と岩肌を蹴って加速、加速、加速。体を屈めて弾丸のように最高速度を維持。
勾配が続くからと失速なんてしていられない。
だけど引っかかる部分がなくはない。鉱山といえば人の手が入っているというイメージだった。だけどシルヴィアから地理の授業で聞かされていたイメージとは随分と違っていた。
洞窟に入ったことは一回か二回くらいしかないが、勾配で岩肌だけならすごく走り応えがあると思っていたのに。現実は寂れた場所と淀んだ空気ばかりだ。
(……なんか痛い?)
だけどそれに交じる何かが伝えてくる。
鉱山に近づくにつれて少しずつ強くなってくる。最初は撫ぜるようなものだったのに、今じゃ鋭い針で刺されたような痛みに変わってくる。
ここは危険だぞ、引き返したほうがいいぞ。お前なんかじゃ敵わないぞ。囁くような警鐘を振り払いながら進み続け──ようやく辿り着いた。
「ここかな」
薄暗い洞穴が口を開けている。そこから吹き出してくる風が肌に当たるたびに、ちくりと痛みが走る。悪寒? ううん、そんなものじゃあない。誰かが向こうにいて待ち構えている、そんな予感。でも誰がいようとも関係はない。
薬草はこの奥にある。光っているその場所に向かわなければならない。そうしなければマリエルを助けることが出来ないから──。
「──ッ!」
ヒュン──風切り音に合わせて打ち込むは拳。
叩くは衝撃。決して硬いものではなく受け流されるような一手でもって。
手練れだ。それを理解すると同時に足を滑り込ませて蹴りを入れた、が。
「やば」
倒されるのは自分の方。間抜けにもそんな声を出しながら、空が一回転して地面に叩きつけられた。
あの一瞬の内に足を絡め取られていた。出てきた感想はすごい、ただそれだけだ。
「反応が鈍いですよ」
見下ろしていたのは宝石のように澄んだ綺麗な瞳。その持ち主であるシルヴィアが発した凛とした声に諌められてぼうっとしていたことに気がついた。
彼女に手を引かれて立ち上がり、ぱんぱんと土埃を落とす。
「今ので100回は死んでいましたよ」
「でもシルヴィアだから生きていた。あたしは幸運だ」
「屁理屈言わないでください、勇者様」
彼女の表情は変わっていないが心なしか呆れているような気がする。その理由が分からないほどあたしも阿呆ではない。今の一瞬で100回は殺されていた。油断しすぎだ。これから戦う相手は無尽蔵に湧き出てきて、無慈悲に人間を殺戮していく災害なのだ。
災害。人災天災、そして魔災。抗いようのないそれらを滅ぼし人類に勝利をもたらすことが勇者の役目。
「ごめんて。──でも、覚えた」
シルヴィアに足払いを仕掛ける。無論彼女は半歩引いて耐える。重厚な質感、大樹は倒せないと突きつけられる絶望感。すぐさま顔面に拳を突き出す。受け止められる。
足払いをかける。変わらず足も動かない。隙を突いて狙ってくる、先ほどと同じ足の絡め。
その瞬間に空いていたもう一つの拳を頬に叩き込んだ。
「がら空きだよ」
決めてやった、と突きつけた。シルヴィアの表情に変わりはなかった。すごいとか素晴らしいとかそういう感情は抱いている……と信じたい。
頬から垂れた血を上品にもハンカチで拭った彼女の姿は実に様になっていた。多分モロに衝撃受けたと思うんだけどさぁ。微動だにしていないのはなんなんだよ。
捩じ込んだ拳の感触を確かめる。ずきずきと痛む。拳の保護具を巻き付けているのにこれだから、無かったらもっと痛いんだろうなと考える。
「勇者様。自覚されている通りあなたは弱いです」
「一発入れたのにぃ?」
「まぐれです」
ばっさりと切り捨てなくてもいいのにと思わないわけではないけれども。そこはぐっとこらえて続きを促した。あたしの監視役は彼女なのだ。逆らったら人類を救うことすら出来なくなってしまう。
「──あなたがこれから立ち向かうのは強大な魔王です。そして、彼女に忠誠を誓った怪物どもです。私ですら葬れないような存在が、この先彼らを葬れますか?」
「や、だってそもそも貴女を殺したくて殴ったわけじゃあ」
「殺すつもりでかかってきてください。常に、いつだって。自分に敵意を向け自分を、そして人類を害する存在その全て」
すとん──。その言葉が脳に伝わり落ちていく。
とん、とん、とん。扉が開けられる。脳にかかった鍵が開けられる音がする。
それがあたしのやるべきことで成すべきこと、命の使い方であると理解出来た。いいや、これは違う。まるで思い出したかのように納得してしまったのだ。
ならば次にやるべきことはなんであるのか。そうだ、こんなところで腕試しなどということに興じている場合ではない。
「ありがとう、シルヴィア。あたし勘違いしていたみたいだ。そうだよね、確かに全員殺して終わらせなくちゃあならない。そうしなきゃ、人類にとって必要なものが失われる。小さな悲劇じゃあ、マリエルみたいなものとかだ」
彼女へのお礼はすらすらと出てくる。自分に言い聞かせるように言葉を並べてやるべきことを再確認する。
まずは坑道の走破だ。そして奥へと向かわなければならない。そこにある薬草を採ってマリエルの元に届ける。それで完璧だ。
「中は魔物に陣取られているようですよ。イルマから聞かされました」
「魔物に? ……そういえば、魔力が豊富だかっていうのは聞いたケド」
「鉱山は侵攻に合い、鉱夫は皆殺しにされました。その中にはイルマのお父様もいたそうです」
「お父さんが?」
「鉱夫といったでしょう? 彼もまた、鉱夫でした。そして踏み潰されました」
シルヴィアが近づいてくる。表情は変わっていない。その綺麗な瞳の奥に宿っている思考はあたしなんかじゃ絶対に分からない。距離が近づいてくる。少しずつ、少しずつ。その瞳を見ていると動けなくなる。何故かは分からないけれど。足が竦んでいるわけじゃない。殺意をぶつけられているわけじゃない。
ああ、でも彼女は何か大事なものを伝えようとしてくれているのだろう。さっきあたしの鍵を外してみせた時のように。
距離が近づいてくる。体と体がくっついて密着する。顔が近づいてくる。彼女の唇があたしの耳に触れた。そっと、囁いた。
「あなたの使命は、魔王の脅威を取り除き人々を救うこと。其の為ならばヒトに仇成す皆全て、尽く討ち滅ぼさなければなりません」
とん、とん。
すとん──。
「そうだね。必ずやり遂げるよ」
「ええ、では必要な言葉は分かっていますね?」
「もちろんだよ、シルヴィア」
「では、唱えましょう。そして刻みつけましょう」
たとえお前が私を殺しても、
お前が仇成す者ならば、
何度でもお前の前に現れる。
「「 【
それが、
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