第7話【勇者が滅ぼすべきは魔物と涙】

「──父親はいないのですか?」


 シルヴィアは買い出しの帰りに、ふとイルマに聞いた。

 誰がどう見ても限界ギリギリの家庭だ。

 戦時下によって福祉の手から零れ落ちた中では珍しくもない、貧困家庭。

 マリエルがあの調子でイルマがスリをしている時点で家庭環境がよろしくないのは明らかだった。


「……ババアに言うことねーよ」


 まだ警戒されているようだ。

 容赦なくこめかみに拳をめり込ませてやる。


「いだいいだいいだい! やめろそれ!」

「まずは言葉遣いから正す必要がありそうですね」

「ざけんな! コトバヅカイがどーってなんだ!」

「そんなのでは働けませんよ。あとババア呼びを止めなさい」

「わかった! わかったシルヴィア!」


 ぐりぐりぐりぐり。こういう荒んだ子には荒んだやり方が効果的なのだと教えられてきたので、その通りにやってやる。


「さんをつけなさい」

「シルヴィアさん!」

「よろしい」


 手を離してやるとイルマは話しはじめた。少しだけ、私と距離を取りながら。


「……こーざん、だっけか。ここはそれで金かせいでたんだよ」


 その視線は遠くの山に向いていた。陽は暮れ始めていた。オレンジ色に染まっていたそこは岩肌が露出しており、とてもではないが自然に恵まれているとは思えないその大地。

 調査書で目を通したことはある。……ここはかつて採掘業が盛んな地域であった。決して設けているとはいえないものの、近隣の都市に採れた鉄を輸出し生計を立てていたらしい。


「父ちゃんもそこで働いてた。オレ、大きくなったら父ちゃんを仕事したかったんだ」

「その当の父親は?」

「死んだよ」


 ぴた、と足が止まった。イルマは俯いたままぽつり、ぽつりと話を続ける。


「──死んじまったよ。鉱山が魔物に占領されたんだ。奥になんかすげーのがあるだかなんだか知らねーけどよ。そこを根城にするだかって突然言って来やがったんだ」

「抵抗は」

「出来たらやってたよ! 父ちゃんもみんな頑張った! でもちょっとずつ、ちょっとずつ倒れて、たおれてって……」


 崩れ落ちた彼の慟哭は、声の代わりに涙となって消えていく。

 だがシルヴィアにとってそれは見慣れた光景であった。どちらかが先に始めたかも分からない、人類軍と魔王軍の戦争(殺し合い)。


「ゴーレムの奴ら、骨も全部食っちまうんだ! だから墓も作れねえ!」


 踏み潰されるのは弱者(しげん)だ。消費され食い尽くされ野晒にされ、最後は肉盾として放棄される。

 その結果出来上がるのが、どこにでもある平々凡々な眼の前の悲劇なのだ。


「誰も、誰もおれたちを、母ちゃんを助けてくれなんかしねえ! どこもどいつも! 自分が忙しいって! なんだよ! ちょっとぐらい分けてもらってもいいじゃねーか!」


 そして、魔王軍に踏み潰されたもののことを気にかけられるほど人類に余裕はない。

 資源(リソース)は限りがあるのだ。滅ぶことが決定した場所に割くくらいならばいっそ切り捨てて他に宛てる。

 今起きている戦争はその繰り返しでしかない。


 ……だからこそ、それを止めなければならない。


『シルヴィア、──シルヴィア!』


「勇者様?」


 通信が入ってきた。彼女の声は途切れ途切れだった。ただ、息を切らしているような様子から走っていることだけは伝わってくる。


『マリエルの病気治せるかもしんない!』

「落ち着いて。冷静に。ああいえ、どこに向かっているかだけ報告しなさい」

『えっとね、鉱山!』


 溜息が出る。偶然なのか必然だとでもいうのか。それとも噂話をしているだけでくしゃみが出るとでもいうかのように、呼び寄せてしまったのか。

 これも運命だ諦めるしかない。自分に今出来ることは彼女の傍に付き、その全てを見届けることだけである。


「……では、すぐ行きますから。いいですか。余計な場所で【セーブ】しないでくださいよ」

『復活出来なくなるんだっけ!?』

「なぶり殺しに合いたくなければ、です」

『そっか! 気をつける!』


 それきり音声は無くなった。


「イルマ」

「……んだよ」

「買い出しの荷物、置いてきてください。私は勇者様の元に向かいます」

「は!? あそこは鉱山で、魔物がいっぱいいるんだぞ!?」

「だから?」

「そ、その、お前らも」


 言い淀む彼の目をじっと見つめる。有無は言わせない。誰のためにこれをしているのか。今買ったもの(主に私のお金)は誰に向けてのものなのか。

 それに対する反論は許さない。そしてそれを解決するまで私達の問題に関わることも許さない。

 やがて少年の目には薄く暗く、淀みのようなモヤがかかりだす。やがてそれは段々と黒いものに染まっていく──怯え、理解できないものに対する視線。


「……ああもう知らねえよ!」


 彼は私の荷物を引っ手繰って駆け出した。途中止まって一度振り返った。だけどかぶりを振って自分の進む道を再度走っていった。

 それはまるで逃れるようでもあった。死んでも知らねえかんな、ばーかと。

 その背が小さくなっていって完全に見えなくなった頃、私は鉱山の方角へと向けて歩き出した。

 地図は手元に無かったが、魔物に占領されているというのならばすぐに分かるだろう。

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