第6話【最初の街こそ肝心なんです】

 町から出てどれくらい歩いただろう。隙あらば逃げ出そうとする少年を、シルヴィアがとっ捕まえるの繰り返しを眺めながら、周囲の景色の変化を感じ取る。

 きらびやかで整えられた町並み。決して裕福ではないものの、活気のあった光景はいつしか寂れたものに切り替わっていた。ぼろぼろの屋根、朽ち果てた柱、割れた窓。家の様子はさることながら、人々の様子も変わっていた。

 身に纏っているものはどれも擦り切れていて、靴は全て履き潰されたものばかりだ。だが、それ以上に、あたしは違和感を覚えていた。


(──生きてる、っていう感じがしないな)


 目に光がないのだ。この世に絶望して、抗う気力もなくなり、ただ生きながら死んでいく。それを享受することに躊躇いはない。それどころか、受け入れてすらいるように見える。


「……国のえれーやつらは、俺たちになんもしてくれないんだ」

「そりゃあ、そうでしょう」

「そうでしょう、ってシルヴィア。そんな言い方」


 苦虫を噛み潰したようにつぶやく少年の言葉にかぶせるように、シルヴィアが続けた。


「こぼれ落ちた者たち目を向けるつもりなど、今の人類にはありません。

 侵攻する魔物を滅ぼし、我らの領土を取り戻さなければならない。人類が勝てば、救いの器からこぼれたものも全員掬い上げることが出来る──そう、考えているから」

「じゃあ、死んだっていいのかよ!?」

「ええ、いいんです。最後に勝てばいいんだから」


 冷たく、淡々と告げる彼女の表情を、後ろを歩くあたしは見ることが出来ない。

 だけどその言葉に一切の感情がこもっていないことはわかった。突き放すような言い方なのに、まるで何かで覆い被せたようだ。

 食ってかからんとする少年を、いいから案内しなさいと急かす彼女。やがて、たどり着いたのは離れにある小屋だった。


「ここだよ。母ちゃんが寝てるから、うるさくすんなよ」


 不服そうに、扉をゆっくりと開ける少年に続いて、お邪魔しますと中に入った。

家にはほとんど何も無かった。テーブルが一個と、水くみ用のタル。そして擦り切れたベッドだけ。


「イルマ……? その、方達は?」

「母ちゃんねてろって。……見逃してもらった。ゆーしゃ様だってよ」


そこに寝ていたのは、痩せこけた女性だった。栗色の髪はぼさぼさに伸ばされていて、ツヤが失われている。その目が、こちらを向いた。くぼんだそこには、暗い眼があった。


「す、すみません、勇者、さま……。あなた方が、ヒトを救うというので、いいのでしょうか」

「どこでそれを?」

「こんなところでも、噂で聞こえてきます」


 そこまで言い終えて次の言葉を紡ごうとしたとき、ひどく彼女が咳き込んだ。喉からくるものじゃない。肺がそのまま押し潰されて、全部の空気を吐き出しきってもまだ止まらない咳。明らかに普通の状態じゃない。


「大丈夫!? えっと、水はどこかなイルマくん!」

「あ、ああ!? え、えーっと、そこ、そこ!」


 誰が動くよりも先に、あたしは急いで近場にあったコップをとり、水の溜まっていた樽から汲んでその母親に飲ませた。

 やがて、呼吸も落ち着いてきたようだ。深呼吸を何度も繰り返し、ありがとうと弱々しく彼女は微笑んだ。


「マリエル、といいます。

……この度は、イルマを助けてくださったようで、ありがとうございました」

「か、母ちゃん! こんなやつらにお礼なんて!」

「こら。助けてもらったら、お礼をしなさいって教えてるでしょ」

「う、ご、ごめん」


 マリエルが細腕を伸ばし、イルマの頭をそっとなでた。

 弱々しい光がそこにある。暖かな親子というものを、ほんの僅かな仕草の間に、感じ取った。こういうものなのだろうかと思う。あたしには、親がいないから。


「あ、ありがとう、ゴザイマス……」

「お礼、言われたよ。シルヴィア」

「──いいでしょう。改心しろとは言いませんが、母親を心配させるようなことは、今後は慎むように」


 まんざらでもなさそう? と思ったけれど、彼女の表情は一切動いていなかった。というかこの人って笑えるのかということさえ疑わしくなる。


「ですが、私は今回は勇者の添え物にしかすぎません。あなたの抱える問題を解決したいと、勇者様がおっしゃっておりまして」

「そうそうお悩み解決って、は?」


 何それ聞いていない、と異議を唱えようとした瞬間に飛ばされる圧。ああこれそういうことね。私の設定に乗っかってくださいってことね。うんいいよ乗っかるよもう仕方ないな。


「──で、え、えーっと、イルマくんは病気のお母さんのためにあんなことしてたんだよね?」

「……まぁ、そうだけど」


 うつむいて答えるイルマ。マリエルが目を伏せているあたり、薄々そういうことをしているということに気づいているようだ。


「じ、じゃあ、えーっと、その……お薬買うためとか?」

「そうだけど。薬さえあれば、母ちゃん助かるって」

「そ、そっかー」


 気まずい。大変空気がよろしくない。

 勇者のような振る舞いとはここまで大変だったのか、と反省するしかないけれど、ここから先どうすればよいのか分からないとシルヴィアに助けを求めた。

 だけどあの人は答えちゃくれない。何も言っちゃくれないんだ。ただ、イルマの手を引いて、部屋を出た。


「色々と、入用のものもあるでしょう。買いに行きましょうか。私が出します」

「やめろババア! 怪しいんだよ!」

「ああ、勇者様。念の為にこれをお持ちください」

「これは?」

「遠隔通信用ペンダントです。必要であればここに声を通せば、思念が私に伝わります」

「は、はあ」

「無視すんじゃねー!」

「ほら行きますよ」


 きぃ、と扉が閉まるまでぎゃーぎゃー言い争いが続いているのを呆然と見届けるしかできない。

 遺されたのは、あたしと、マリエルの二人だけ。

 絶妙に気まずい間が流れる。おかげで今もらったペンダントにしか視線がいかず、これはどういう構造でどうなってるんだろうとか考えて現実逃避していた。


「……あの」

「あ、えーっと、何かな」

「実は、知ってるんです。私の病気を治療する、方法」


 マリエルがこっちを見つめていた。

 その瞳は暗く淀んでいた。どうせ言っても仕方のないことだろうけども、と前置きした上で彼女は続けた。

「──此処から北の方角に、鉱山があります。……その奥深くは魔力溜まりになっているんです」

「魔力溜まり?」

「知らないのですか? あっ、いえ、ごめんなさい、こんな不躾な」


 咳き込む彼女の背をさすって落ち着かせてやる。


「いいんだよ。あたしが物知らないってだけだから。続けて」


 マリエルは頷いて、今度は咳き込まないようにとゆっくり話しはじめた。


「そこは鉱山の採掘作業で偶然発見されました。……空気中の魔力が、かなり濃いエリアなんです。そこに、薬草が生えています。魔力を吸った薬草が」

「それを飲ませれば元気になるの?」

「え、ええ……」

「分かった」


 それさえあれば彼女は助かるというのならば。

 私が行かなきゃ誰がいく。

 時間は待ってはくれないぞ。

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