第6話 闇に挑むアイドル


 数日後。オレは事務所のデスクに座り、モニターに表示された再生回数のグラフをじっと見つめていた。先日、ひかりと一緒に撮影した動画の成果が目に見える形で現れていた。


「……すごいな」


 画面に表示された再生回数は、ひかりの通常の動画と比べてもかなり高い数字を記録していた。「ひかりと癒しの噴水デート♪」というタイトルの効果もあってか、コメント欄も賑わっている。


「めちゃくちゃ癒された!」

「ひかりちゃんのデート風動画、最高!」

「映像の手ブレ感が素人味あっていいかも(笑)」


 手ブレの指摘はちょっと胸に刺さったが、視聴者の反応が想像以上に良くて、オレは思わず顔が緩む。


 再生回数の勢いは、ショート動画にも予想以上の反響を生んでいた。ひかりの軽やかなダンスや、噴水を背景にした明るいポーズがSNSで次々とシェアされ、特に人気が高かったのは、オレがマネージャーとして初めて編集した一本のショート動画だった。


 動画の内容は、撮影中のひかりのセリフを切り取ったものだ。


『みんな~! 私と噴水でデート、楽しんでる? って噴水が主役じゃないよ! 主役はこの私、灯ノ輪ひかり! 今日は噴水よりも輝いてみせるからね♪』


 短いながらもひかりの魅力がギュッと詰まったその言葉に、ポーズと噴水の輝きが加わり、自然と「いいね!」の数が伸びていた。コメント欄も盛り上がっている。


「デート気分最高!」

「こんなに可愛いアイドルに癒されるなんて、推し活してて良かった」

「推しの可愛さ、最大限引き出してるな~!」

「編集のセンスもいいね!」


 オレの名前が具体的に出るわけではないけど、「編集」の評価をされるのは少し誇らしい気持ちだった。


 ひかりが事務所に現れると、満面の笑顔でオレの方に手を振った。


「真白~! この前の動画、すごく良い感じじゃん! コメントもたくさん来てて、みんな楽しんでくれてるみたいだよ!」


「オレもひかりの魅力が伝わってるみたいで、良かったよ」


「特に真白が編集してくれたやつ、すっごく評判良かったよ!」


 ひかりはモニターを覗き込みながら、再生回数のグラフを指差す。オレが編集した動画だけ、他のショート動画よりも少し高い山を作っている。


「……オレ、あんなふうに動画編集するの初めてだったんだ」


「え、そうなの? 全然そんな感じしなかったよ! むしろセンスいいなーって思ってた!」


 ひかりの明るい声に、オレは少し照れくさくなりながら頭を掻いた。


 その時、オフィスの入り口から聞き慣れた声が響いた。

 高嶺さんだ。


「ひかり、真白、ちょうどいいところに。二人ともすぐ会議室に来てちょうだい」


 オレとひかりが顔を見合わせると、高嶺さんは少し険しい表情で手を招いた。


「な、何かあったんですか?」


「——ナイトメアの兆候が出てるわ。詳しい話は会議室で説明するから、急いで」


 ナイトメア。

 その名前を聞くだけで背中がひやりとする。

 ひかりも一瞬表情を引き締めたが、すぐにオレに向き直り、「行こう!」と手を振った。



 会議室に入ると、オフィス全体に漂っていた緊張感がさらに強まった。スタッフたちが端末に向かい慌ただしく操作しており、低い警告音が一定の間隔で響いている。

 モニターには複雑なグラフや赤い警告メッセージが表示されていて、部屋の空気は重かった。


「ナイトメア……ですか?」


 オレが尋ねると、高嶺さんが頷きながら、端末を操作して状況を映し出す。


「バーチャルシティの境界付近でナイトメアの兆候が確認されたわ。侵食が進行中で、完全に具現化するまでの猶予は、もうあまりない」


 画面には、バーチャルシティの境界を示す地図が映し出され、その一部を侵食する黒い影が不気味に蠢いていた。影はまるで生き物のように境界を飲み込み、赤黒い光を瞬かせている。時折、影から歪んだ手のような形が飛び出し、周囲のデータを噛み砕くように消し去っていた。


 これが「ナイトメア」――この世界を脅かす存在だと理解するのに、言葉は必要なかった。


 その時、室内が赤いサイレンを灯し、警告音が響いた。


「状況を報告して!」


 高嶺さんの鋭い声が部屋に響き、スタッフが一斉に報告を始めた。


「現在、ナイトメアの侵食範囲は徐々に拡大中で、境界線の30メートル以内に到達しています。完全に具現化すれば、境界エリア全体を飲み込む可能性があります。現段階での対処には、迅速な対応が必要です!」


 報告を聞いた高嶺さんが短く頷き、ひかりに視線を向ける。


「ひかり、いけるわね? 喉の調子は大丈夫? 今の私たちに頼れるのは、あなただけなの」


 突然名前を呼ばれたひかりは、すぐににこりと笑い、力強く頷いた。


「もちろんです! 喉も絶好調だし、ナイトメアなんて一撃で吹き飛ばしてみせます!」


「調子に乗らないこと、本番はこれからよ」


 高嶺さんの冷静な指摘に、ひかりは照れたように頭を掻きながら笑った。


 そのやり取りを見ながら、オレは戸惑いながらを口を開く。


「どうしてひかりが? ひかりになにをさせるつもりですか?」


 その質問に、ひかりがくるりと振り向き、目を輝かせながら答えた。


「ナイトメアを倒すんだよ! ナイトメアを退治するには、この世界に光を取り戻すことが一番。そしてそのためには、私たちのライブが最高の武器なんだ!」


「ライブで……倒す?」


 オレが半信半疑で尋ねると、ひかりは胸を張りながら自信たっぷりに言葉を続ける。


「そう! 私たちの歌やダンスには、この世界を作り上げたクリエイターたちの想いが詰まってる。それがナイトメアにとっては最大の弱点なの!」


 その言葉には不思議な説得力があった。この世界が希望や想いによって成り立つのなら、それを届けるアイドルが最大の武器になるのは理にかなっている。


「準備するわよ。ひかり、全力でやってもらうわ。真白、あなたも手伝って」


 高嶺さんがオレにも視線を向ける。


「オ、オレは何をすればいいですか?」


「ひかりを全力でサポートして。ライブを支えるすべての準備、そして視聴者に配信を届けるための仕掛けも含めて、あなたの役割は重要よ。あなたの編集や工夫が、ここでも生きるはずだから」


「わかりました!」


 オレは力強く頷いた。



 事務所で簡単な打ち合わせを終えたオレたちは、バーチャルシティの境界にある屋外ステージへ急いだ。現場に到着すると、冷たい空気が張り詰め、すでに機材の設営が進められていた。そして——境界線の向こうには、不穏に揺れるナイトメアの影が見え隠れしている。


 高嶺さんの声が飛び交う。

「真白、ライトの調整をお願い! 特にひかりの動きに合わせて、ステージ中央が常に一番明るくなるようにして。あと、音響の確認も急いで! 観客に最高の音質を届けられるようにしたいの!」


「わかりました!」


 オレは返事すると、震える手でライトを動かし、ひかりが一番輝くようにステージを調整した。自分のこの手がステージを作っていくことを実感する。もし失敗したら——そんなことを考えて押しつぶされそうになる自分を、必死に奮い立たせる。


 同時に周囲のスタッフとも連携しながら、少しずつ「現場の空気」に馴染んでいく自分を感じる。


 リハーサルをこなすひかりの姿は、ステージの中心でひときわ輝いていた。 


「ひかり、マイクのテストは?」

「バッチリ! セトリも完璧に決めてます!」


 リハーサルが順調に進む中、オレは配信環境が機能するかを最終チェックする。

 モニター越しの視聴者に、ひかりの魅力を最高の形で届けるための準備も万端だ。


 その時、警告音が響いた。


「——ナイトメアが完全に具現化しました! 境界エリアに侵入を開始しています!」


 スタッフの緊迫した声が現場に響く。

 だが、ひかりは笑顔を崩さず、ステージ中央に立ち、一瞬だけ静かに目を閉じた。


 そして深呼吸を一つ。

 次の瞬間、目を見開き、力強い声で叫んだ。


「さあ、みんな、行こう! 私のライブで、この暗闇を全部吹き飛ばしてみせる!」


 ひかりの言葉にスタッフ一同、勇気をもらい、オレも深く息を吸い込む。


「配信の準備できてます! あとは、ひかりのライブを最高の形で届けられます!」

 

 やるべきことは一つだった。


 ――このライブを成功させて、このバーチャルワールドを守ることだ。

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