第7話 ライブ・イン・バトル


 ステージの準備が整ったその瞬間、目の前に現れたナイトメアに全員が息を呑んだ。


 それは、圧倒的な恐怖の象徴だった。空気が冷たく張り詰め、まるで時間そのものが止まったみたいだった。耳鳴りのような低い振動音が響き、次の瞬間、闇の中から触手がゆっくりと姿を現した。それは、神話に登場する魔神を彷彿とさせる巨大な影。無数の目が不規則に点滅し、意思を持つように蠢く触手が周囲の闇を侵食している。


 その姿は、まさに悪夢――「ナイトメア」だった。


「これが……ナイトメア……こんなにも……大きいなんて……」


 オレは思わず後ずさりし、全身の力が抜けていくのを感じた。

 圧迫感に飲み込まれ、膝が震え、冷たい汗が背中を伝う。


「真白、しっかり!」


 ひかりの力強い声がオレを現実に引き戻した。

 肩に置かれたひかりの手は温かく、その温もりが凍りついた心をじんわりと溶かしていく。


「心配しないで。私がここにいる限り、何も怖くないよ!」


 ひかりがまっすぐな瞳で言葉を紡ぐ。

 その声は、自分自身だけでなく、周りも奮い立たせているようだった。


 バーチャルシティの境界付近に設置された屋外ステージは、煌めくエフェクトで彩られ、ひかりを迎える準備が整っていた。ライブの通知を受け取った人間たちのアバターが次々と集まり、会場は一気に熱気に包まれる。

 

  オレはその光景を見つめながら、舞台の背後に広がるナイトメアの巨大な影に視線を戻した。

 ――ナイトメアの存在は、人間たちには見えない。


 人間にとってナイトメアはただの「バグ」だ。ただのブロックノイズ、あるいは回線トラブルに過ぎない。そう見えているだけだ。


「こんなものが、ただのバグで片付けられるなんて……」


 オレは呟きながら、手元のタブレットに目を落とし、配信システムが全て問題ないことを確認した。

 今、オレにできるのは、ひかりのライブを全力で支えること。ナイトメアなんかに、この世界を奪わせるわけにはいかない。それが、オレの役目だ。


「うおおおお、ひかりちゃーん!」

「ライブだああああああ! 待ってたよー!」

「最高だあああおおおお!!」

「どこどこどんどん!!(テンションの上がる音)」


 観客たちがペンライトを振り、そのカラフルな光が星空のように会場を埋め尽くす。ひかりの登場を待ちわびた歓声が、バーチャル空間を震わせていた。


 その様子はライブ配信の画面にも映し出され、コメント欄が一瞬で溢れ返る。

「ひかりちゃん、輝いてるー!」

「この瞬間のために生きてる!」

「スタッフもナイスサポート!」


 オレは画面に流れるコメントを横目で見ながら、「ちゃんと届いている」ことを確認する。しかし、ふと視線を外すと、ナイトメアの影が静かに揺らめいているのが目に入った。その不気味な威圧感に、思わず息を呑む。


「真白、観客の状況はどう?」


 高嶺さんの声が飛ぶ。

 オレは手元のタブレットを確認し、すぐに答えた。


「はい! 観客数、ライブ視聴者数ともに十分です! いつでも始められます!」


「いいわ、ひかり、ライブを始めましょう!」


 高嶺さんの指示にひかりが頷き、ステージ中央に立つと、一瞬だけ深呼吸して、明るい声を響かせて、——ライブが始まった。


「みんなー、今日は集まってくれてありがとう! みんなの心に火を灯す、灯ノ輪ひかりだよ!」


 その瞬間、観客たちの歓声が広がり、ペンライトの光が一斉に揺れる。期待に満ちたエネルギーが会場全体を包み込み、空気が震えるようだった。


 だが、ナイトメアはその隙を狙うように動き出していた。広場の端から音もなく伸びてくる触手が、まるでステージを飲み込もうとするかのように蠢いている。その不気味な動きにオレは息を呑んだ。


 しかし――ひかりは一歩も退かない。

 その瞳は、ただ観客に向けられていた。


「さあ、みんな、一緒に盛り上がろう! 最初の曲は――私のオリジナルソング、『光の道しるべ』!」


 イントロが流れ出すと同時に、ひかりが歌い始める。

 澄み渡るような歌声は、瞬時に空気を変え、その場全体を包み込む。

 ひかりの周囲には光の粒子が集まり、ひかりの存在感をさらに引き立てていく。


 ナイトメアがその音色を阻止しようと触手を伸ばしてくるが、ひかりの歌声に触れるたび、闇がパチンと弾けるように消えていく。しかし、闇は次々と新しい触手を生み出し、より大きな波となってステージを飲み込もうと迫る。ひかりの歌声が一瞬でも途切れれば、その波がすべてを覆い尽くすだろう。


「ひかり!」


 舞台裏からオレが思わず声を上げると、ひかりは一瞬こちらを振り返り、優しく微笑んだ。


 ひかりはさらに力強く歌い続ける。

 観客たちもペンライトを振り、声を張り上げて応援を送る。

 その熱気が視覚化されたかのように、光の粒子が集まり始めた。


「これで……少しでも力になれれば!」


 オレはタブレットに目を向け、配信システムのエフェクト制御を開く。ひかりの歌声がより鮮明に、そして視覚的な光の効果が観客に届くように、エフェクトを最大出力に切り替えた。モニターに映るひかりの輝きが、さらに際立つ。


 その瞬間、観客たちの声援がさらに大きくなった。「ひかりちゃん!」と叫ぶ声が響き渡り、ペンライトの光が渦を巻くようにひかりを包み込む。


「みんなの力をもっと貸して! ペンライトを振って、この歌を一緒に盛り上げよう!」


 ひかりの呼びかけに、観客たちはさらに熱狂的にペンライトを振り続けた。

 そのエネルギーはひかりの周りに集まり、次第にナイトメアを追い詰めていく。


 そして、最高潮のサビへと突入する。


「さあ、いくよ――!」


 ひかりの声が高まり、観客たちもそれに呼応するように全力で応援を送る。その瞬間、ひかりの周囲に集まった光はオレンジ色に輝き、ステージ全体を包み込む。その輝きが一気に広がり、ナイトメアへと向かって解き放たれた。


「いけえええええええええ!」


 ひかりの最後の一声とともに、光の波がナイトメアへ直撃する。

 暗黒の触手が音を立てて崩れ落ち、闇そのものが裂けるように消えていった。


 一瞬の静寂の後、観客たちが一斉に歓声を上げた。


「うおおおお、ひかりちゃーん、最高!」

「さすが僕らの光だ!」

「ひかり! ひかり! ひかり!」

「ドンドンパフパフ!(感動の嵐の音)」


 舞台裏で見ていたオレは、ただ呆然とその光景を見つめていた。

 ひかりが、歌とパフォーマンスの力だけで、ナイトメアを倒したのだ。


「これが……アイドルの力……」


 ライブが終わり、観客たちはゆっくりと会場を後にしていった。その中で、ひかりが舞台裏に戻ってきた。額には汗が滲んでいたが、その表情には達成感が溢れている。


「ひかり、お疲れさま! 本当にすごかったよ!」


 オレが声をかけると、ひかりはにっこりと笑って答えた。


「ありがとう、真白。でも、みんなが応援してくれたから、最後まで頑張れたんだよ」


「これで……バーチャルシティは救われたんだ」


 オレが安堵の息を漏すと、高嶺さんの冷静な声が響く。


「残念だけど、ナイトメアが完全に消えたわけじゃない。この世界が不安定な限り、また必ず現れるわ」


 拳を握りしめるオレの横で、ひかりが一歩前に進み出た。


「それなら、また立ち向かえばいい。みんなの力を集めて、今日みたいにね!」


 ひかりの力強い言葉に、オレはハッとした。戦いが終わらないとしても、何度でも立ち上がる。それが、オレたちの使命だ。


「次もまた、オレが全力でサポートするよ」


 オレが決意を込めて答えると、ひかりは笑顔で手を差し出した。その手をしっかり握り返すと、不思議な力が湧いてくるのを感じた。


「期待しているわ、ひかり。そして真白。あなたたちの光が、この街を守る鍵になるわ」


 高嶺さんの言葉を胸に刻み、オレは決意を新たにした。この街を守るために――ひかりとともに、光を灯し続けるために。

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