第9話 別れの灯、始まりの光


 控え室は静まり返り、ひかりはソファに腰掛けていた。横顔にはどこか影が落ちていて、オレはひかりが口を開くのをじっと待った。


 やがて、ひかりが口を開いた。

 その声は小さく、震えていた。


「私が灯ノ輪ひかりになった理由、そして明星あかりの最後を……ちゃんと話すね」


 ひかりは深く息をつき、視線を膝の上に落とした。

 その姿にオレも言葉を飲み込み、ただひかりを見守る。


「私は明星あかりとして、この世界で生まれたの。本当に幸せだった。ママが作ってくれたアバターで歌って踊って、ファンのみんなに応援してもらって……夢みたいな時間だったよ」


 ひかりの声には懐かしさと切なさが混ざっていた。

 オレはただ耳を傾け、静かに聞き続ける。


「でも、ある日突然……、ママ――きぬぽん先生が、すべての契約を打ち切ったの。その日のことは今でもはっきり覚えてる。肖像権も、動画も、配信の記録も……私を支えていたものを全部、一瞬で失ったの」


 ひかりは言葉を詰まらせ、震える手を膝の上でぎゅっと握りしめる。


「理由はわからなかった。前の事務所からは配信活動が中止されて、気づいたときには……私の存在が、この世界から消されてたみたいだった。何が悪かったのかもわからなくて、ただ、『もういらない』って言われたように感じた。きっと私は——捨てられたんだ」


 ひかりの深い傷が言葉に滲んでいた。

 その痛みが伝わってきて、オレの胸が締め付けられる。


 だけど、だからこそ——。


「ちょっと待てよ、ひかり。捨てられたって決めつけるのは早すぎるよ」


 ひかりは驚いたように顔を上げた。

 その瞳には、不安と戸惑いが見え隠れしている。


「きぬぽん先生がそんな風にあかりを見捨てるなんて、オレには信じられない。先生がどれだけあかりを大切にしていたか、ファンとしてずっと見てきたからわかる。きっと、何か大きな事情があったはずだよ!」


「……そんなこと、ありえるのかな……」


 ひかりは少し考え込むように俯いた。

 その瞳の奥に、ほんの少しだけ光が戻ったように見えた。


「私は……ママに捨てられたんだって、ずっとそう思い込んでた。でも、真白が言うように、本当の理由を考えたことはなかった。……ママのこと、信じてたはずなのに」


「それは無理もないよ。突然そんなことが起きたら、誰だってそう思う。けど、もし本当の理由がわかったら、きっとそんなことを思わないよ」


 ひかりは、ふっと短い息を吐き、静かに続けた。


「ありがとう、真白。……さすがマネージャーだね。こんな風に励まされるの、初めてかも」


 ひかりの笑顔には少しだけ力が戻っていて、頬がほんのり赤く染まっているのに気づいたオレは、一瞬ドキッとした。


「ひかり……もしかして照れてる?」


「えっ? ち、違うよ! 別にそんなことないもん!」


 ひかりは慌てて手を振りながら、オレから目を逸らした。そのぎこちない動きがあまりにもわかりやすくて、思わず笑ってしまう。

 

 少しの沈黙の後、ひかりは改めて真剣な表情でオレを見た。


「真白、お願いがあるの。これはひかりとしてじゃなくて……私の前世、あかりとしてのお願いなんだ」


「……あかりとしての、お願い?」


 オレが聞き返すと、ひかりはふっと柔らかく笑って小さな電子チケットを取り出した。


「私があかりのアバターにアクセスできるのは、今日が最後なの。だから、あかりとしての最後のライブを見届けてほしい。このステージはどこにも配信されない、真白だけの特別なステージだよ」


 覚悟と悲しみが混ざり合っていた。

 その重さが控え室の静けさに染み渡るように広がる。


「受け取ってくれる?」


 差し出されたチケットを見つめ、オレは深く頷いた。


「もちろん。最後まで、ちゃんと見届けるよ」



 ひかりが最後のステージに選んだのは、ナイトメアとの激闘が繰り広げられた場所だった。焦げた床や壊れた照明が戦いの痕跡を色濃く残しており、修復されないままのステージが目の前に広がっている。


「ここでいいの?」


 オレが確認すると、ひかりは迷いのない足取りで舞台中央に進みながら笑みを浮かべた。


「うん、ここが一番でしょ。ナイトメアを倒した場所で、最後の歌を歌うなんて……かっこよくない?」


 その無邪気な笑顔は、どこか誇らしげでもあった。


「かっこいい……っていうか、ひかりらしいよ」


 オレもつられて笑みを浮かべる。

 そんなやり取りの中、ひかりはふと空を見上げた。


「ねえ、真白。ここで歌えば、私も次に進める気がする」


 ひかりの声には決意が宿っていた。

 それを聞いて、オレも静かに頷く。


「……わかった。最高のステージを見せて」


 ひかりは満足そうに頷き、アバターを切り替えた。

 

 眩い光がひかりを包み込むと、現れたのは懐かしいあの姿だった。ショートヘアに星をあしらった衣装、赤色の髪がきらめく、それはオレがずっと応援していた推し——明星あかり。

 

「……本当に……あかりだ……」


 胸の奥が熱くなる。こみ上げる感情をどうにか堪えながら、オレは目の前の彼女に見入った。


「どうかな? 昔と変わらないでしょ?」


 あかりがクルリと回ってみせる。その仕草には懐かしさと変わらない無邪気さが宿っていて、オレの心をさらに強く揺さぶった。


「変わらない……本当にそのままだ……」


 あかりはふっと笑みを浮かべた。


「ありがとう、真白。じゃあ、聴いてほしい。これが、私の最後の歌」


 あかりは静かに目を閉じ、深く息を吸い込む。その仕草には、ひかりにはない独特の余裕と風格があった。オレはその姿に、自然と息を飲んでいた。


 音源も、エフェクトもない。簡素なステージだった。それでも、ひかりが口を開き、最初の音を紡いだ瞬間、空気が張り詰めた。


 歌い始めたのは、あかりのデビュー曲。無伴奏のアカペラもかかわらず、その歌声は一瞬で広場全体を包み込んだ。

 ひかりの透き通るような歌声とはまた違う、あかりの声には長い時間をかけて積み重ねてきた重みと力強さがあった。歌詞一つ一つに込められた感情が、心の奥に染み入っていく。

 それがファンと築いてきた絆、そしてVtuberとしてのプライド――そのすべてが詰まった、あかりの集大成だった。


「すごい……」


 オレはただその声に飲み込まれるしかなかった。ひかりが素晴らしい歌い手であることは疑いようもない。だが、あかりの歌声には、それを超える経験値があった。


 歌い終えたあかりは、静かに目を開けた。

 その瞳は潤んでいたが、どこか晴れやかな光を湛えていた。


「ありがとう、真白。あなたが最後まで見届けてくれたこと、本当に嬉しい。これ以上ないくらい、幸せな気持ちで終わりを迎えられるよ……本当にありがとう」


 オレはあふれる涙を拭いながら、力強く頷いた。


 あかりが穏やかな声で切り出した。


「それから、真白……ひかりを許してあげてくれる?」


「え?」


 戸惑うオレを、あかりはまっすぐに見つめた。


「ひかりはね、真白を自分と同じだと思ってた。ママに捨てられた者同士だって。でも……違ったんだね。真白は諦めず、前を向いてる」


 あかりの声には優しさと寂しさ、そして誇りが混ざっていた。


「オレは……」


 言葉がうまく出てこないオレに、あかりはそっと微笑む。


「ひかりはまだ未熟で、自分を許せないでいる。でも、真白がそばにいてくれたら、きっと大丈夫だと思うの。だから……どうか、ひかりを支えてあげて」


 オレは迷うことなく、強く頷いた。


「もちろんだよ。ひかりのことはオレに任せて。オレがしっかり支える」


 あかりは満足そうに微笑むと、眩しい光に包まれていく。そして――灯ノ輪ひかりのアバターが戻ってきた。


 戻ったひかりは、少し照れくさそうに笑いながら小さく手を振った。


「……ただいま」


「おかえり、ひかり」


 オレは心から返事し、ある決意が胸に湧き上がるのを感じた。


「オレ、わかったんだ。マネージャーとして、何をすべきかがやっと見えてきたよ」


「えっ? 何を?」


 ひかりが不思議そうに首をかしげる。

 オレはその視線をしっかりと受け止めて続けた。


「ひかりは、いつも一人で考えすぎて頑張りすぎるところがある。だから、もう一人で背負わなくていいように、みんなで支え合えるチームを作ろう——ユニットを結成するんだ!」


「……ユニット?」


 驚いたように見つめるひかりに、オレは続ける。

 

「そうだよ。一人で輝くだけじゃなくて、お互いの輝きを引き出し合える場所を作る。それがオレのマネージャーとしての使命だと思う」


 その提案に、ひかりの目に再び力が戻る。

 そして、ゆっくりと頷いた。


「……ありがとう、真白。これからも……よろしくね」


 それを聞いて、オレはまたひかりを支えていく覚悟を新たにした。


 こうして明星あかりの幕は静かに閉じた。しかし、灯ノ輪ひかりの新たな物語は、この瞬間から動き出した。

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