第二章 光のユニゾン
第10話 新たな光、ユニット結成への第一歩
事務所の朝は穏やかだった。
ひかりのナイトメア討伐ライブから数日、事務所内には少しずつ日常が戻っていた。
オレはデスクに座り、ミルクをたっぷりと入れたコーヒーを一口すすった。
柔らかな甘さが口の中に広がり、自然と頬が緩む。
「……やっぱり、ミルクを入れたらすごくおいしい」
以前はブラック一択だったのに、性別が変わってからは、このまろやかな味が妙に心地いい。カップを両手で包むと、自分の小さな手や細い指に思わず目が留まる。
「……可愛い、かも」
そう思った自分に少し照れて、思わず顔を逸らす。
「そ、そんなことよりも、ひかりのライブ……、まだ話題なんだ」
タブレットに映る視聴データやコメント欄には、ひかりを称賛する言葉が溢れていた。自然と笑みがこぼれる。
「ふぅ、ひとまず、これで時間を稼げた感じかな」
ナイトメアとの戦いで得た支援金は確かに大きかったが、それも一時的なものだ。事務所として新たな一歩を踏み出さなければ、再び厳しい状況に追い込まれるのは目に見えている。
「ユニットを作るしかない――ひかり、まほか、りんね、カノン。それぞれの個性を活かして、事務所をもっと強くする!」
残り少なくなったミルクコーヒーを飲み干すと、まろやかな甘さが気持ちを少し後押ししてくれた気がする。
「……事務所は不安だよね、オレ動きます!」
小さく気合いを入れ、タブレットを手に取る。
この柔らかな仕草が少しずつ「今の自分」に馴染んでいくのを感じながら、オレは新しい一歩を踏み出す準備を始めた。
お昼過ぎ、高嶺さんが事務所に戻ってきたタイミングを見計らい、オレは声をかけた。
「高嶺さん、ちょっと時間いいですか?」
「どうしたの、真白? 何か問題でも?」
高嶺さんは手に持っていたタブレット端末を置き、こちらを見た。
その真剣な視線に、オレは少しだけ緊張しながら話し始める。
「問題というわけじゃないんですけど、事務所のこれからのことを考えて、提案があります」
「提案?」
「新しいユニットを作りたいんです。ひかりは一人で頑張りすぎていたから、今度はみんなで支え合える場を作りたいんです」
驚いたような表情を見せる高嶺さんに、オレは慌てて続ける。
「もちろん、ひかりのためだけじゃなくて、他のメンバーも巻き込んで全員が活躍することで、ファン層を広げられると思うんです」
「ユニット……そうね、悪くないわね。ただし、メンバー全員が納得することが条件よ。真白、あなたが彼女たちを説得できる?」
「オレ、やります」
「いい返事ね。わかったわ、やってみて何かあればサポートするわ」
高嶺さんが頷いてくれたことに、オレは少しホッとした。
しかし、その直後、高嶺さんが何かを思い出したように手元の端末に目を向ける。
「そうだわ、真白。ちょうどあなたのことについて報告が届いていたの」
「オレについて……?」
「以前、あなたのアバターの内部データをチェックしたでしょ。その結果が出たわ」
高嶺さんは端末の画面をこちらに向けながら話し始める。
「基本的には健康そのものよ。線画のレイヤーは綺麗に重なっているし、色彩データも破綻していないわ。輪郭線の途切れやノイズの混入も見当たらない。アバターとして非常に安定した状態ね」
「そうですか……良かった」
オレは胸をなで下ろすが、高嶺さんの表情が少し険しくなる。
「ただ、一つだけ気になる点があるの」
「気になる点? なんですか?」
「あなたの内部データに、解析不能な領域が見つかったの。それも、普通のアバターでは絶対に見られない異質な構造よ」
高嶺さんは手元の端末を操作し、画面に複雑なデータパターンを映し出した。
それは、無数の線や光が絡み合い、どこか禍々しさを感じさせる奇妙な形状だった。
「これが……オレのデータ?」
「そうよ。この部分だけが他のデータとまったく噛み合っていないの。まるで、外部から無理やり追加されたみたいに……」
オレは目を疑った。
自分のアバターの中に、こんな不気味なものが隠されているなんて想像もしていなかった。
「えっ……でも、オレ、そんなの全然覚えがないんですけど……」
不安が胸をよぎる。
自分でも知らない何かが、自分の中にあるのは気持ち悪い。
「そうね……そうだと思うわ。真白自身の意思とは無関係に存在しているデータだと考えた方がいい」
ふいに、心臓がどくりと鳴った。
オレ自身すら知らない何かがこの体の中にある。
それを考え始めると、不安が胸を覆った。
「真白、もしも何か異変を感じたら、必ずすぐに知らせてちょうだい。それだけは約束よ」
「……わかりました。必ず報告します」
「でも安心して。真白、私はあなたを信じてるから」
「……高嶺さん」
その一言がじんわりと胸に沁みる。
オレはその一言を噛み締めるように小さく頷いた。
高嶺さんが笑みを浮かべ、再び画面に目を向ける。
そして、ふと小さく首を傾げた。
「それにしても……真白って、魔界地方出身なの?」
「――え?」
予想外の言葉に思わず大声が出てしまう。
「違いますよ、そんな設定、どこにもありません」
「そうよね、このデータはきっとどこかで見た記憶が知識ね」
高嶺さんはクスクス笑いながら、オレの頭をぽんぽんと軽く撫でた。
「や、やめてください! オレ、子供じゃないんですから!」
「ふふ、でも可愛いわよ、真白」
思わず頬を赤らめるオレを見て、高嶺さんは楽しそうに微笑んだ。
オレはぷいっと顔を背けるが、信頼されていることに少しだけ安心する。
「と、とにかく、オレはユニットの準備に集中しますから!」
逃げるようにオレはその場を後にした。
新しい一歩――みんなの力を合わせるために、オレは動き出すんだ。
事務所の一室で、オレはタブレットを開いてリモートミーティングを開始した。
まほか、りんね、カノンの三人のアバターが画面上に現れる。
初対面の緊張を隠しながら、オレは明るく切り出した。
「えっと、今日は三人にちょっとした提案があって、集まってもらいました。突然で驚かせてたらごめん!」
画面に映るまほかは魔法の杖を手にしながら無邪気な笑顔を浮かべ、りんねは腕を組んで少し警戒するような視線を向けている。一方でカノンは穏やかな微笑みを浮かべ、オレの話を待っている様子だ。
「ふふ、どうしたの、真白くん? 高嶺さんから聞いたけど、何か面白いことを考えているんでしょう? 私たち三人を集めるなんて、よっぽど大事なお話かしら」
カノンが柔らかい声で問いかけてくる。
「はい、大事な話です。実は――新しいユニットを作りたいと思っていて、三人にもぜひ参加してほしいんです!」
まほかが目を輝かせて反応した。
「ユニット? それって、みんなで歌ったり踊ったりするの?」
「ざっくり言えばそうだけど、それぞれの個性を生かしたテーマでやりたいと思っています」
「個性を生かすって、どういうこと?」
りんねが鋭く尋ねる。
「例えば、まほかは魔法をテーマにしたファンタジー的なパフォーマンス。魔法の杖を活かして、観客を驚かせる仕掛けとかどう?」
「えっ、それ楽しそう! まほか、やってみたいかも!」
まほかが目を輝かせながら、杖をくるくる回す。
「りんねはクールでミステリアスなキャラが魅力的だから、それを活かしたダンスパートとか、ソロで雰囲気を作るのもいいと思うんだ」
りんねが少し目を細めて頷いた。
「まあ、悪くはないかもね。要は見せ方次第、ってことね」
「そしてカノンはその華やかな存在感を、全体の演出を引き立てるアクセントとして使ってほしい。動きだけじゃなく、表情でも観客を引き込むような感じで」
カノンは穏やかに笑いながら言った。
「ふふ、いいわね。真白くん、意外とセンスがあるのね」
三人の反応にホッとしながら、オレは改めて確認した。
「……じゃあ、みんな前向きに考えてくれるってことでいいのかな?」
「もちろん! みんなでやれば絶対楽しいと思う!」
まほかが無邪気に笑顔を見せる。
「いいわよ。真白くんがここまで熱意を見せてくれるなら、試してみる価値があると思うわ」
カノンが柔らかく微笑む。
「……そうね。ただし、私が本気を出すなら、全員がついてこれないと困るわよ?」
りんねが挑発的な笑みを浮かべながらも、小さく頷いた。
「みんな……、ありがとう」
それぞれの返事を聞いて、オレは小さくガッツポーズを決めた。
これでスタートラインには立てた気がした。
ふとカノンが何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば……真白くん、この話、前にも似たようなことがあったのよね」
「え? 似たようなことって……ユニットのことですか?」
オレが驚いて聞き返すと、カノンは静かに頷いた。
「そう。前に、ひかりちゃんと私たち三人でユニットを組もうって話が出たの。でも、その時ひかりちゃんが断ったのよ」
「ひかりが……?」
「ええ、『自分にはみんなを引っ張る自信がない』って言ってたの。その時は少し寂しかったけど……」
カノンは微笑みながら、優しい声で続ける。
「今のひかりちゃんは違うみたい。ナイトメア討伐ライブの後、何かを得て乗り越えたんじゃないかしら」
カノンの言葉に、オレの胸がじんと熱くなった。
ひかりが抱えていた過去、そしてそれを乗り越えようとしている現在。
それを超えていくのは、このユニットしかない――そう確信した。
「ありがとう、みんな。本当にありがとう」
オレは深く頭を下げた。
ユニット結成への第一歩。
それは、ひかりが過去を乗り越え、新たな未来を切り開くための物語の始まりだった。
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