第3話 落書きのマネージャー、使命を背負う
「何度見ても……慣れないな……」
オレは鏡に映る自分に視線を落とし、ため息をついた。
そこにいるのは確かに「自分」だけど、性別が変わったことで、今まで意識したことのない「柔らかさ」が全身を纏っていた。
髪型は以前と変わらないのに、柔らかなウェーブがかかっただけで、随分と印象が変わる。肩幅も狭くなり、手足の線もほっそりとして、まるで全身が細いペンで描き直されたような、繊細なバランスに仕上がっていた。
それから、視線を上げると、自分の目が以前よりも大きく輝いて見えるのは気のせいじゃない。目元の形や表情の出方が変わっただけで、こんなにも違って感じるなんて思わなかった。
違和感を抱えながらも、鏡の中で自分をまじまじと観察している自分が少し滑稽に思えて、思わず口元を引き締めた。
「これが……『今のオレ』なのか……いや、私って言った方がいいのか……? 設定なんてないし、どっちでもいいか……」
一人でブツブツ言いながらも、この姿に慣れようとしている自分もいた。
メール一通で決まった性別変更と、この新しい生活。
あっさりと受け入れていることに、自分でも驚いていた。
「……まあ、これも……オレの設定には違いないよな」
そう呟きながら、髪をふわっと耳にかけてみたら、その仕草が妙に女の子っぽくて、自分でも苦笑してしまう。
しかし、悠長にしている場合ではない。
今日から始まる新しい生活――マネージャーとしての仕事だけど、オレは何をどうすればいいのか全くわからない。
「……えっ」
そんな時、突然床に青い光の転送ポイントが浮かび上がった。
眩しい光が広がり、思わず目を細める。
光の中から現れたのは、スーツ姿の女性だった
「おはよう、新人さん。私がチーフマネージャーの
高嶺さんはショートカットの髪をサッと整え、凛とした笑顔を浮かべている。スーツにピンヒールという完璧な出勤スタイルはプロフェッショナルそのものだった。
「……おはよう……ございます。……あの、オレにプライバシーとかないんですか?」
「何言ってるの。この世界じゃ、情報はみんなオープンなの。プライバシーなんてあってないようなものよ」
肩を落とすオレを見て、高嶺さんは少しだけ口元を緩めた。
「それにね、ここはホログラフィの社員寮なの。会社にアクセス権があるのは当然でしょ? 呼び出しが必要な時は、いつでもどんな時間だって対応できるし、便利だと思わない?」
「ひぇ……」
オレが言葉を失っていると、高嶺さんは手を差し出してきた。
「さあ、新人教育を始めるわよ。時間との勝負だから、しっかりついてきて」
その勢いに押され、オレは転送ポイントに立った。
正直、自分に何ができるのか全くわからない。
それでも、この新しい姿に恥じないように……そう思いながら、どこかで新しい日々への期待も湧いてくるのを感じていた。
事務所の中は活気に満ちていた。
スタッフたちが忙しそうにデータのやり取りをする中、高嶺さんに連れられて、オレたちはタレントデータベースが保管されている部屋へと向かっていた。
「ところで新人さん。あなた名前は?」
「ありませんよ、オレにそんな設定」
ぶっきらぼうに返すと、高嶺さんは肩をすくめて軽く笑った。
「なに、不貞腐れてるの? これからマネージャーとしてガンガン活躍していけば、いずれママの目に留まる日が来るわよ」
「でも、オレはただの落書きですよ」
ぽつりと言うと、高嶺さんの表情が少しだけ真剣になった。
「もし……あなたが本当にただの落書きだったら、ママは覚えてないはずよ。けれど、あなたのことを覚えていたからこそ、性別変更の許可が降りたのよ。違う?」
「……そうですね、そうだったら嬉しいです」
そう思うと心の奥が静かに灯る。
オレが短く頷いたその時、久郷社長が早足で通りかかった。
「やあ、おはよう。あれから調子はどうだい?」
高嶺さんがすかさず声を上げる。
「社長、ちょうど良いところへ。この新人さん、名前が設定されていないので、ホログラフィの社員として、ぜひ社長から命名をお願いしたいんですが」
「ふむ、いいだろう」
久郷は考えるそぶりを見せ、ふと手を叩いた。
「そうだな……っ、君は紙ナプキンの落書きから生まれた設定NULLの少女。よし、今日から君はホログラフィの新人マネージャー・
そう言うと、久郷社長は満足そうな表情を浮かべ、また早足で立ち去っていった。
「……素描屋真白」
オレはその名前を小さく呟いてみた。
なんだか、胸の中に「自分」としての小さな輪郭が浮かび上がるような気がする。
「いい名前をもらったわね、真白」
隣で見守っていた高嶺さんが、優しく微笑みながら声をかけた。
その微笑みに、オレは少し照れながらも、そっと笑みを返した。
タレントデータベースが保管されている部屋に入ると、ホログラフィの事務所が想像以上に機能的であることに驚かされた。コンパクトながらも最新鋭の設備が整い、整然とした空間が広がっている。
「真白には所属タレントについて説明するわね」
高嶺さんがスクリーンを操作すると、空間に次々とホログラムが投影された。
4人のキャラクターが現れ、その姿は鮮やかに浮かび上がっている。
「まずは灯ノ輪ひかり。登録者16万人で、事務所の看板タレントよ。歌、ダンス、雑談、ゲーム実況までこなすオールラウンド型で、どの配信でも安定した人気があるわ」
ホログラムの中で、ひかりは明るい笑顔を見せている。その輝きはまるで本物の星明かりのようで、オレの推しとしての誇らしさが胸にこみ上げる。
「次は
ホログラムに映るまほかは、ピンクがかった髪を揺らしながら魔法の杖を掲げている。その華やかさにオレは小さく感嘆した。
「続いて
黒髪に蝶の装飾が映えるりんねのホログラムは、どこか幻想的で、見ているだけで引き込まれそうだった。
「最後は
白髪に狐耳のカノンは、和洋折衷の衣装を身に纏い、柔らかな笑顔を浮かべていた。その姿は見る者を安心させる力があるように感じる。
「どう? 真白、担当するタレントたちのこと、イメージがつかめた?」
「はい、それぞれ全然違う魅力を持っていて事務所も安泰ですね」
高嶺さんはホログラムを見ながら、神妙な表情へ変わると静かに続けた。
「真白、実のところ、ホログラフィは正念場を迎えているの。このままだと、事務所の存続が危ういわ」
「え……どういうことですか?」
オレは自然と身を乗り出した。
ひかりという看板タレントがいて、それでも厳しいなんて考えられなかった。
「現状、収益の大部分をひかりが支えている。でも、一人だけでは限界があるわ。残念だけど、他のタレントたちはまだ十分な収益を出せていないの」
高嶺さんの厳しい表情は変わらない。
「具体的に言えば、あと3か月。夏までにスポンサー契約を取らないと、この事務所――ホログラフィは倒産するわ」
「――ええっ!?」
胸が重くなる。
思い描いていた華やかな世界とは裏腹に、現実はこんなにも厳しいのか。
「でも、大丈夫。タレントたちと私たちスタッフが力を合わせれば、きっと乗り越えられる。だから真白、あなたも一緒に頑張りましょう」
オレは小さく頷いた。
「そういうわけだから真白、あなたにはマネージャーとして、ひかりだけでなく、他の3人のサポートにも力を入れてほしいの。最初にお願いした内容とは少し違うけれど、大丈夫かしら?」
深く考える間もなく、口が動いた。
「……はい、オレ、やります!」
高嶺さんの表情がほっと緩む。
「その返事が聞けて安心したわ。さあ、ここからが本番よ」
こうして、オレ——素描屋真白の新しい日々が、危機的状況とともに動き出した。
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