第2話 ハズレガチャのオレがVtuberのマネージャーに!?
気がつくと、俺は見知らぬ場所に横たわっていた。
白くぼんやりと光る天井と、無機質な四角いインターフェイスが目に入る。
周囲は静まり返り、空気すら存在しないような不思議な感覚が広がっていた。
ここは……どこかの建物内。
それも『データ未完成エリア』だろう。
壁や床はシンプルなグリッド模様で、装飾や特徴は一切ない。建物の一部が未完成で、データだけが仮に置かれた状態のようだ。
全身が妙に重く、揺れているような違和感がある。
まるで自分のデータがまだ完全に再構築されていない感覚。意識ははっきりしているのに、自分の体に異物が残るような奇妙な感覚がする。
「目が覚めたか?」
突然、低い声が響いた。驚いて体を起こすと、目の前にはスーツ姿の男が腕を組んで立っている。その背後には、俺を気絶させたひかりの姿が見えた。
「……ここは?」
掠れる声で、思わず尋ねる。
スーツの男は冷たい視線を俺に向け、淡々と答えた。
「ここは、灯ノ輪ひかりの所属するVtuber事務所——ホログラフィだ。そして私は社長の
久郷が視線を送ると、ひかりが一歩前に出た。
だが、その表情は険しく、どこか困惑しているようにも見えた。
「あの、さっきのことなんだけど……気絶させて……ごめんなさい」
ひかりの声は、配信で聞いていた時と同じ柔らかな調子だった。塩らしいその様子に、思わず「謝れて偉い!」と言いそうになったが、ひかりの視線が鋭く変わる。
「だけどね、君をここから逃すつもりはないから——。君は私が転生していることを知った。それは絶対に知られちゃいけないことだったんだよ。だって私は——っ」
ひかりが言葉を選ぶようにして口を開きかけたその瞬間、久郷が鋭い声で遮った。
「それ以上、話す必要はない」
その声には苛立ちが滲んでいた。
久郷はひかりを静かに一瞥し、再び俺に向き直る。
「君、灯ノ輪ひかりにどうやって接触した?」
「接触って……俺はただピザを配達しただけで――」
「——嘘だッ!」
久郷の声が突然強まり、俺は思わず身を引いた。
その視線には疑念が満ちている。
「Vtuberと直接出会うなんて、通常ではありえないことだ。偶然だと? そんな言い訳が、この私に通用するとでも思うのか? まさか、データを盗むために近づいたんじゃないだろうな……?」
久郷の鋭い声が空間に響き渡り、その場の空気を凍りつかせる。
「もし意図的な行動だったとしたら――」
そう言いながら、久郷は空中に指を滑らせるように手を動かし、俺をタップした。
次の瞬間、俺の全身がブルブルと震え始める。
「こうやって君を長押しして、体を振るわせて、そのまま削除もできるんだぞ?」
「アババババ! やめろ、気持ち悪い!」
視界が震え、体全体が振動する奇妙な感覚に、俺は思わず叫んだ。
だが久郷は冷笑を浮かべたまま、さらに操作を続ける。
「ではこうするか――」
空間に『未送信フォルダ』の表示が浮かび上がる。
「お前を未送信メッセージに添付し、宛先もなく、誰にも開かれないまま永遠に放置してやろう!」
「それだけはやめろおおお! そんなところ誰も見ない!」
久郷はその冷笑を深めながら、さらに手を動かした。
「なら最後の手段だ――お前をフォルダの奥の、そのまた奥の、そのさらに奥のフォルダに保存してやろう」
「やめてくれええええ! 二度と見つけられなくなる!」
久郷の目は冷たいままだ。
俺は必死で抵抗の言葉を探すが、その威圧感に押される。
「なら正直に答えろ――どうやってうちのタレントに接触した?」
その問いに、俺は必死で首を振る。
「社長、待ってください!」
突然、ひかりが久郷の前に立ちふさがった。
その声はわずかに震えていたが、必死さが伝わってくる。
「彼にそんな意図はなかったと思います。本当に偶然、私のところへ配達に来て、それで、私のアバターが乱れて、私がバーチャルスタンガンを使ったせいで……、彼が巻き込まれたんです……」
ひかりの声はだんだん小さくなり、最後には消え入りそうになった。
罪悪感が滲み出るようなその声に、久郷は無言でひかりを見つめる。
「君がそう言うなら、ひとまずは信じよう。しかし、この男を完全に信用するにはまだ早い。徹底的に調べさせてもらう!」
久郷の目が再び俺に向いた。
その鋭い視線に思わず背筋が伸びる。
次の瞬間、俺の中にあるデータが勝手に開示され始めた。
「うぐぅ……や、やめろ……っ」
俺は慌てて声を上げる。
やましいものはないが、――見られたくないものはあった。
「ほう……これは面白い」
久郷がデータを眺めながら低く呟く。
その目が、今までとは違う興味を帯びて輝き出した。
「君には——『ママ』がいるようだな」
ひかりが驚いた表情を浮かべた。
このバーチャルワールドには、2種類の住民が存在する。
一つは、人間界の創造によって生まれた存在。
もう一つは、この世界の隙間を埋めるために自動生成されたNPCだ。
俺は前者、人間の手によって描かれた創造物だ。
だからこそ、「ママ」や「パパ」と呼ばれる創造者がいる。
「彼の創造神は、@ななもり先生。間違いない、彼はその創造物だ」
「@ななもり先生……って、あの有名な絵師の方ですか?」
ひかりが驚いた声を上げる。
俺は思わず心の中で叫んだ。
——やめろ。そんな大それたものじゃないんだ。
俺は皆が考えているようなキャンバスや液晶タブレットで描かれた立派な存在じゃない。
「なるほど……」
久郷は腕を組み、まるで状況を整理するように首を縦に振った。
「彼の描かれ方がどうであれ、@ななもり先生は人間界で活動している絵師様だ。もし先生の創造物に何かしたとなれば……、事務所への影響は計り知れない。炎上するどころか、もう二度とVtuberを生み出せなくなるだろう」
久郷の言葉が静かに響く。
俺の胸がざわついた。
——そう、俺自身に価値なんてない。
俺は――ママ、@ななもりが喫茶店の待ち時間に紙ナプキンへ描いた、
——ただの落書きだった。
商業用のイラストと違って、俺には何の設定もない空っぽの存在。
それなのに、俺を守るのはママの名声――皮肉なものだった。
久郷は苦々しい表情を浮かべながらスマホを取り出し、何かの画像をじっと見つめた。
「私にも創造神がいる。『ことりピヨ』というママだ。ママは私に敏腕でラブリーチャーミーな事務所の社長という設定を下さった。君もママに恵まれたようだが、こちらの秘密を知ってしまった以上、このまま見過ごすわけにはいかない」
そう言いながら、久郷がじりじりと俺に近づいてきた。
緊張が高まる中、ひかりが一歩前に出た。
ひかりは意を決したように、久郷をまっすぐに見据えて言った。
「だったら……彼を私のマネージャーにするというのはどうでしょうか?」
「……マネージャーだと?」
久郷の目が細まり、その視線がひかりを鋭く射抜く。
だが、ひかりは怯むことなく続けた。
「……彼を、私のマネージャーにしてください! それが一番の方法だと思います。私のせいで巻き込んだのだから、その責任を取らせてください……っ!」
ひかりの視線が一瞬だけ俺へ向く。
その瞳には、焦りと罪悪感が滲んでいた。
「それに、彼のママと良好な関係を保つためにも、これが一番の方法だと思います! 社長、そうするしかありません!」
ひかりの提案に、久郷は眉間に深い皺を寄せ、腕を組んだ。
状況を整理するように視線を宙に彷徨わせると、
「……確かに、創造神との関係は大事だ。むやみに敵を作るべきではない」
久郷は声を絞り出し、改めて俺を見据えながら低い声で続けた。
「いいだろう。彼を新人マネージャーとして採用し、様子を見よう。ただし、不審な行動があればその時は容赦しない」
その言葉に俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
久郷は一呼吸置き、さらに厳しい表情で続けた。
「だが、問題はまだある! Vtuberのマネージャーに『男』をつけるわけにはいかない。アイドルに男の影がよぎれば——、ファンが嫉妬で燃え上がる。つまりは、——炎上だ!」
「……社長、その理屈は極端すぎませんか?」
ひかりが呆れたように口を挟むが、久郷はまったく意に介さない。
「いいや、これは極端ではなく事実だ! 理屈ではない、法則だ! ファン心理というものは予測不能だが、火種だけは確実に除外しなければならない!」
「それじゃあ、どうすればいいんですか?」
久郷は大げさに肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。
「簡単だ。彼の性別を変えればいい」
「えっ……?」
俺は一瞬、言葉の意味が理解できずに呆然とする。
「つまりだ、男ではなくなれば問題は解決する。シンプルだろう?」
「待て待て待て! 俺の性別を変えるって、どういう――」
「ごめんね、社長のラブリーチャーミーな部分が出ちゃったみたい」
ひかりが申し訳なさそうに俺を見つめる。
その瞳には少し迷いがあるように見えたが、この場で俺の意見など通るはずがない。
——数分後。
「社長、@ななもり先生から許諾をいただきました」
事務所の敏腕スタッフが現れ、にこりと笑いながら報告する。
それを聞いた久郷が満足げに頷いた。
「——よろしい。これで問題は解決だ」
「ま、待ってくれ! ママは俺のことについて何か言ってたか? もしかして設定をくれるとか……」
思わず聞いてしまう。
ママと連絡を取るのは初めてだ。
もしかしたら、落書きの俺にも正式な設定が与えられるかもしれない――そんな小さな期待があった。
「@ななもり先生は非常にお忙しい方なので、こちらのメッセージに対して一言だけでした。『OKです』と」
「……そんな……っ」
ママが自分を気にかけてくれるかもという期待はあっけなく打ち砕かれた。
俺の反応をよそに、手続きは淡々と進められていく。
技術スタッフが呼ばれ、俺のデータプロファイルが操作される。性別設定が女性へと切り替えられ、見た目や声まで微調整されていく。
作業は驚くほど手際が良く、抗議する暇もなかった。
「できました」
技術スタッフの一人が満足げに告げる。
俺は鏡のようなインターフェースに映る自分を見て絶句した。
「これが、——オレなのか……?」
映し出されたのは、短めのプラチナシルバーの髪。柔らかなウェーブがかかり、動くたびに光を受けて繊細に揺れる。顔立ちは中性的で整っているが、その淡い青色の瞳と透き通るような白い肌によって、不思議な魅力を放っていた。肩幅は以前よりも狭くなり、驚くほど滑らかに流れるウエストのラインが、どこか儚げな印象を与える。胸元の膨らみは控えめだが、それが逆に中性的な雰囲気を際立たせているようだった。
「うん、完璧! これならどこに出しても恥ずかしくないよ!」
ひかりが笑顔を浮かべながら満足そうに頷く。
その無邪気な様子が悔しい。
「そんな……っ、オレ、これからどうなるんだ……?」
「もちろん、私のマネージャーとして頑張ってもらうよ!」
ひかりがウインクをして、手を差し出す。
「これから、一緒に頑張ろうね!」
ひかりの柔らかな手がオレの手を握った瞬間、心の中で妙な感情が湧き上がった。それは推しがそばにいる喜びと、現実を飲み込めない戸惑いの入り混じった、データで表せない不思議な気持ちだった。
ナプキンアートの落書きから生まれたオレは、ママからすればただのハズレガチャに過ぎない存在。完璧に設計された商業用キャラクターには到底及ばない、設定も何もない存在だ。
それなのに、――ハズレガチャのオレがVtuberのマネージャーに!?
「こんなの、誰が想像しただろう……?」
混乱と不安が心を埋め尽くす中、ひかりの笑顔だけが、データの波に浮かぶ小さな
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