オレンジのはんぶん-5


 周りですすり泣く声が聞こえる。「三年間楽しかった」、「卒業してもずっと友だちだよ」「また遊ぼうね」「いままでありがとう」

 代わり映えのしない台詞は嗚咽ともに私の耳にも入ってくる。そんな音を聞いてしまうと感傷に浸ろうとする気が起きないからやめて欲しい。

 私は小説とか漫画とかそういうフィクションには涙腺がゆっるゆっるだから、目標にむけて頑張っている人らが、報われたときとかもうティッシュの箱そのものが手放せない。だけれど、こういう現実では涙腺が緩むことがめったにない。まぁ、大欠伸をかましたときとか、過呼吸を起こしたときとかの生理的な涙はもちろんある。人間なんで。

「サクライ、ちょっと……」

 肩をとんとんと叩かれてはっと我に返る。オオノだとすぐにわかった、なぜなら肩が叩ける距離にいるのはオオヤしかいない上に、そんなふうに声をかけるなんて小学生じゃあるまいしそう多くはないから。ほんと、オオノってずれてる。

「だからさサクライ、話しかけたその場からどっかいかないでよ」

「え、ちょっとそれはオオノにいわれたくない」

「なんで?」

「なるほど無自覚」

「だからなんのことって?……そうじゃなくてアルバム返す」

「あ、書いてくれたの?ありがと」

 考えるよりも先に口が動く。悪いほうじゃなくてよかった、ただ最後で名残惜しいからでほんと良かったと、思う。

 ぱらり、とアルバムの目当てのフリーページを開く。友人のメッセージと違和感のある英文。『Life is a climb. But the view is perfect  Oh no』

 突っ込みどころがありすぎて、どれからいくべきかまようってなんなんだろうね、君は。流石と評するべきかな、ほんとに。

「oh……noなのね?」

「ごめん何が言いたいのかまじでわかんない」

「いやだってかいてるじゃん?これはちょっと面白すぎるじゃん……ウケ狙い?」

 からかいでもなんでもなくいつもの抑揚の少ない私のローテンションで問うてみる。

 オオノは困ったように卒業式でも寝癖たっぷりの頭を掻く。

「こっちのが、サインはさ、書きやすいんだよ……」

「サイン」

「マジでもう勘弁して。突っ込みすんの疲れるから」

 はははと笑う。朝とか昨日とかと違って二人っきりじゃないのに私らは大笑いした。

 彼に突っ込みを入れてもらうのは楽しかった。ふたりひたすらじゃれあう、そんな感じだった。もう終わってしまうことは多分、どちらもわかっている。

 お互い贈りあった言葉には質問をしなかった。否、できなったのだ。聞いたら正直に答えなければならないから。適当だよとか。好きなんだとか。ぜんぶぜんぶ。

「プリムラの花言葉って知ってる?」

「しらないけど、それがどうかしたの」

 小説の一文が頭をよぎる。雪国で有名な川端康成の言葉らしいそれ。

『別れる男に花の名前をひとつ教えておきなさい。花は必ず毎年咲きます』

 私は微笑んだ。意図したわけじゃない、君が、大野が今日のことをゆっくりと忘れますように。

「青春のはじまりと悲しみ。そして、青春の美しさ」

 終わっても泣けない私らに贈る、別れの言葉。



 何年経っても私はあの二日間を鮮明に覚えている。

 オレンジの香りを嗅ぐたびに彼を思い出す。

 プリムラを花屋で見かけるたびに思い出す。

 私にとっての片割れを。

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